第22話 下街を救う
『ぐむむ……! か、硬い……!』
「ザッくん、待って待って」
ザグギエルが塊肉にかぶりつくが、肉の弾力に歯が返されてしまう。
大皿の横に添えられたナイフで、カナタは肉を切り分けてやった。
「これは薄く切って食べるんだよ」
長年の使用で刃が丸くなっていても、カナタにかかれば
薄く切られた肉は、外側は黒く焼け焦げているようにすら見えたが、内側は透き通るような桃色をしていた。
ギルド酒場の自慢の逸品。ローストビーフだ。
客の噛み応えの好みが分かれているため、切り分けるのはセルフサービスとなっている。
「はい、あーん」
『うむ、かたじけない』
グレービーソースをかけた肉を頬張る。
こうやってカナタに食べさせてもらうことにも、だんだん慣れてきてしまっている。
これは堕落ではないのか。
ザグギエルは危機感を覚えた。
このまま甘やかされていては、強くなるどころか駄目になってしまう気がする。
しかし、数百年の孤独に苦しんできたザグギエルにとって、カナタの惜しみない優しさはあらがいがたいものがあった。
主人の希望に従うのが良き従僕。
だからこれは仕方が無いことなのだ。
などとザグギエルは自分に言い訳するのだった。
『これは、美味い……! 先ほどまではあれほど硬かったのに、本当に同じ食べ物なのか……!?』
余熱でじっくり火を通したローストビーフは、カナタの天才的なナイフさばきで透けるほど薄く切られ、口の中に入るやいなや柔らかく溶けてしまった。
「ふふー、いっぱいあるからね。たくさん食べてね」
カナタが切り分けた場合、いったい何枚のローストビーフが出来てしまうのか。
料理人が調理場の奥からカナタの様子を見て『あのナイフさばき、是非うちに欲しい……!』などとのたまっていた。
『むぐむぐ、むぐむぐ』
「はうう、一生懸命食べてるザッくん可愛いよう……。もう胸がいっぱいでご飯食べられないよ……」
机に投げ出した片腕を枕にして、カナタはザグギエルの食事を見守る。
頬は上気し、瞳は潤み、まるで恋する乙女のようだ。
『いや、食事はきちんと摂るのだ、カナタよ』
「ザッくんが食べさせてくれるなら考えるー」
『むむ、確かに。余ばかりが世話をされるのも気が引ける。よし、任せよ』
ザグギエルは短い手足でフォークを抱えた。
なんとかローストビーフに突き刺し、カナタの口元に運ぼうとするが、慣れない二足歩行は無理があったらしい。
『ぬお!?』
こてんと転がる丸々とした体。
宙を舞い、自由落下を始めるローストビーフ。
「いーたーだーきー、ます!」
モフモフの厚意を無碍にはせんと、カナタは神速で動いた。
猟犬を超える速度でローストビーフに食いつき、ムシャムシャと咀嚼する。
「おいひぃ~。ザッくん、ありがとう!」
『う、うむ。たくさん食べるがよい』
「じゃあ、今度はわたしの番ね。食べさせっこしよ」
『む、むむ、それはいささか気恥ずかしい。が、カナタが望むのであれば仕方あるまい』
などと、ふたりがテーブルでイチャイチャしている頃、酒場の隣にあるギルドの受付は繁忙の極みにあった。
原因はもちろん、カナタだ。
前日に高額の賞金がかかった魔鳥兄弟を仕留め、その翌日には巨大なドラゴンを討伐。
その報奨金の扱いも定まらないうちに、新たなクエストを達成してきた。
しかもその達成したクエストというのが、耳を疑う内容だ。
カナタの受けたクエストは簡単な下水道掃除だったはず。
それが何故か王都全体の下水道を完全浄化し、下街に毒を垂れ流していた原因まで突き止め、呪詛を物理的な毒に変えてまき散らすほどまで集積した悪霊を昇天させてしまった。
もし誰もこのクエストを受けず、下水道を放置し続けていたら、悪霊はますます力を増し、無防備な地下から王都を襲っていたかも知れない。
カナタのやったことは王都の民の未来を救ったに等しい。
短い期間で立て続けに英雄的偉業が達成され、その事実確認や報酬を巡って、ギルドはてんやわんやの大騒ぎだった。
しかも今は夕飯時だ。
この時間になると、大勢の冒険者たちがクエストを終えて帰ってくる。
どの受付の前にもずらりと行列ができ、冒険者たちはイライラしながら自分の順番が回ってくるのを待っていた。
「なんで今日はこんな遅いんだ……? 俺ぁ、腹が減っちまったよ」
順番抜かしや割り込みはギルドの心証を著しく下げるため、荒くれ者の冒険者たちもここでは大人しく順番を守っている。
しかし夕飯時を過ぎても一向に列が進まず、いらつきを通り越して男は肩を落とした。
「知らないのか? あそこにいる嬢ちゃんが、とんでもないクエストをやり遂げたんだってよ」
「あーん? ……げっ、あの娘、昼間に来た子じゃないか」
「下手にちょっかいかけなくて良かったな。噂じゃB級に飛び級で昇格するらしいぞ」
「冒険者の資格を取ったその日に昇格とか、万年D級の俺とはエラい違いだ。何者だよいったい」
「カナタ・アルデザイア。名前くらいは聞いたことあるだろ。俺もあんな可愛いお嬢さんだとは知らなかったけどな。あの娘なら昇格も当然だろうさ。ま、そんなワケで、当分俺らの順番が回ってくることはねぇよ」
「あー、受付へ行かないで先に呑み始めた連中がいたのは、そういうことだったのかよ……。くっそ、俺もそうしときゃ良かったぜ……」
男が忌々しく睨んだ先には、列に並ぶことを早々に諦めて酒杯を開けている冒険者たちがいた。
男の順番は中程まで進んでいるので、今さら列から抜けるのも損した気分になる。
「ったく、いつまでやってるんだろうな。いい加減交代してくれないかね」
男が列から顔を出して先頭の様子をのぞき込むと、冒険者ではなく仕立ての良い服を着た中年男性が受付嬢に頭を下げていた。
「どうか! どうかしばしお待ち頂けないでしょうか!」
どこもかしこも大賑わいの中、男性はひときわ大きな声を上げている。
「依頼料の支払いは必ずします! しかし今の予算では到底足りないのです!」
そう頭を下げるのは、ギルドに下水道掃除の依頼を出した役所の責任者だった。
役所が発注したクエスト達成の報告を聞き、依頼料の額を見て役人は失笑した。
下水道掃除の依頼は歩合制だ。
一歩分の距離につき銅貨三枚と定めた。
条件が悪すぎたのか、随分長い間放置されていたのだが、ようやく引き受けた冒険者がいたらしい。
当クエストは歩合制なので、ギルドに前もって依頼料を預けていない。
そのため、ギルドから支払いの請求が来たのだ。
しかし提示された依頼料が桁五つは違う。
なんだ、この無茶苦茶な金額は。
たかが下水道掃除がこんな額になるはずがない。
馬鹿馬鹿しい。
ギルドはちゃんと仕事をしているのか。
こんな記載ミス、うちの新人でもやらないぞ。
そうクレームを付けに来たのが一時間前。
受付嬢から真相を聞いた役人は顔面蒼白になった。
ギルドの報告は間違いだったどころか、依頼した下水道だけではなく、王都の下水道が全て浄化されたという。
それが事実なら、役所の都市事業数年分の仕事が解決されたことになる。
これだけ聞くと、むしろ得をしたように思える。
役所が依頼したのは下街の下水道掃除であって、王都全域が浄化されたからといっても、下街の範囲外に対する支払い義務はない。
もし王都の下水道全域を清掃しようと思ったら、数千人単位の人足と教会に莫大な寄付を支払って浄化魔術を何度も使用してもらわなければならないところだ。
そうなればその経費は金貨数万枚を超えていただろう。
ギルドから課せられた支払額は金貨六百枚。
成果から考えればはした金も良いところだが、問題はその金額をすぐには支払えないところにあった。
今季の予算にそんなものが組まれているはずもなく、しかし依頼したクエストが達成された以上、支払いが出来なければ契約違反だ。
国の法律に関係なく、ギルドは独自に違反者を裁くことが出来る。
相手が役所であろうと、関係が無い。
そのことに責任者は怯えているのだった。
「横紙破りをしようとしていることは重々承知です! しかし、支払おうにも金庫には予算以上の金銭は存在しておらず!」
「え、ええ、そうですね……」
深々と頭を下げる役人に、応対した職員メリッサは歯切れ悪く相づちを打った。
達成したクエストに対して報酬を支払えない。
どこかで聞いた話だ。
「(っていうか、私たちのことですよね……)」
カナタがドラゴンたちを倒した報奨金はうやむやになったままである。
本人がいらないと言っても、周囲はそれで納得しないだろう。
未だ全員を納得させられる解決方法をギルドは考えついていなかった。
この役人とまさしく同じ状況に直面しているメリッサは、強気に出ることが出来なかった。
ギルドは依頼者と冒険者、双方にクエストを保証する。
依頼者には依頼の完遂を。
冒険者には報酬の支払いを。
こうやって支払いを渋る依頼者がいた場合は、問答無用で金銭を徴収するのだが、今の自分たちが言えた義理ではない。
「しかし、そうおっしゃられても、ギルドの規約を破るわけにはいきませんので……」
言えた義理ではなくとも、職員たるメリッサは言う他かなかった。
「そこを何とか! 直近で支払える金額はどうかき集めても金貨百枚だけなのです! 残りは来期の予算で必ずお支払いいたしますので、それまで待って頂けないでしょうか!」
「いえ、ですから……」
「お願いします! お願いします!」
役人は床に頭をこすりつけて懇願した。
東方から伝わりし、最上級の謝罪法、土下座である。
余談だが彼の叔父はルルアルス女学園の学園長だ。
「あの、そんなことをされても困ります。わたしはただの職員ですので……」
「お願いします! お願いします!」
「良いですよ?」
横からひょっこりと顔を出したのはカナタだった。
後ろから声をかけられて、半泣き状態の役人が振り向く。
「いま、なんと……?」
「良いですよ、って言いました」
「ほ、本当に? 本当にございますか!?」
「はい、その代わりなんですけど──」
カナタの口から出された条件は、下街の改善計画だった。
下街の住民が労働力や消費者として機能していないのは、中街が下街の住人と言うだけで雇わなかったり、商品を販売することを拒否しているからだ。
不当な扱いを取りやめ、住民の生活水準が上がれば治安も良くなるし、税収も捗って一石二鳥だ。
中街以上の人間と下街の住民には確執も遺恨もあるだろうが、その点はカナタが間に入ることで解決している。
下街の人間は今やカナタの信奉者だ。
聖女と崇めるカナタの言うことならば、喜んで従うだろう。
盗むな。犯すな。真面目に働け。
あとはその環境さえ整えてやれば、上手く回るだろう。
計画の予算は、今回カナタに支払われるはずだった金貨のうち、すぐに払える百枚を除いた五百枚が当てられることになった。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 必ずやカナタ様のご希望通りに計画を進めて見せます!」
役人は自分の首が繋がって感謝の土下座をこれでもかと繰り返した。
「カナタさん、私が言うことじゃないかも知れないですけど、それで良いんですか?」
手続きを進めるメリッサが問う。
カナタは満面の笑みで答えた。
「良いんです」
だって恩を売っておけば、モフモフに巡り会える確率が上がるじゃないですか。
とは口に出さなかったが、カナタはブレないのであった。
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