第35話 北へと向かう

 ザグギエルは、歴代の中でも最強と謳われた魔王である。


 その軍略は兵を最効率で運用し、その知謀は邪魔な強者の動きを封じ込め、覇を唱えてからわずか数年で暗黒大陸の支配者となりおおせた。


 いっそ臆病とも取られかねない慎重な戦略を好む一方、個の暴力は圧倒的の一言であり、戦場で対峙した者は自らの不幸を嘆くほかなかったという。


 研究者気質な部分もあり、有用な古代魔法をいくつも現代に蘇らせ、魔王軍の実力を確固たるものにさせていた。


 暴虐非道にして聡明叡智。

 公明正大にして冷酷無比。


 弱者の気持ちなど分かりようのはずもない、生まれついての独裁の王、それがザグギエルという存在だった。


 魔王の中の魔王と畏怖されたザグギエルは今──


「おー、よしよしよしよし。ここだね、ここが良いんだね!」


『み、眉間の上を激しくこするのはらめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ……』


 一人の少女によってなすすべもなくモフられていた。


『そんなにされたら、余はっ、余はっ、おかしくなってしまうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!』


「いいんだよ、おかしくなっていいんだよ。わたしはとっくにおかしくなってるよザッくんんんんん❤」


『余は、王には他人の気持ちが分からないとよく言われたが、カナタの気持ちは本当にまったく分からぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!』


 街道のど真ん中での痴態であった。


 ザグギエルが人型であった頃ならば、街道を巡回する兵に通報があっただろうが、今のザグギエルは三角耳の生えた毛玉だ。


 少女が動物と戯れているようにしか見えない。

 いや、実際その通りなのだが、二人の会話には問題しかなかった。


『はぁ……はぁ……。本当にこんなことをしていて、余は最強になれるのか……?』


 ようやく解放されたザグギエルはカナタの膝の上でぐったりとした。


『いや、自らの主人を信じなくてどうする……! これは余が最強へと至るために必要な特訓に違いないのだ……!』


 違いありまくりだった。

 これが特訓ではなく、ただ単に過剰に愛でられているだけということに気がつく日は来るのだろうか。

 たぶん、来ない。


「ザッくんはもう最強にモフモフだけど、もっとモフモフになりたいんだね。なんというたゆまぬ向上心。さすがすぎるよザッくん」


『そ、そうか? カナタのよく言うモフ度という強さの基準はよく分からぬが、カナタに褒められるのは悪い気がせんな』


 決定的にすれ違っている主従は目を合わせて、ふふふと笑った。


「さ、休憩はこのくらいにして先に進もっか」


 街道の端で座り込んでいたカナタは埃を払って立ち上がり、ザグギエルを肩に抱き上げる。


『この道は北へ続いているようだが、この先には何があるのだ? 余は長い間、人間界を彷徨っていたが、人の街には近づかなかったからな。地理にはかなり疎いのだ』


「えっとね。この道をずっと行くと、小さな村や町がいくつかあって、その先に聖堂教会の本部があるよ」


『聖堂教会。あの女神めを崇めている宗教団体だな』


「うん、15歳になった人たちに職業を選ばせるのが主な仕事だけど。他にも孤児院を運営したり、炊き出しをしたり、死霊の浄化を司ったりもしてるよ。」


『ふん、立派なことだが、あの女神の膝元と思うと信用できんな。死霊を払い、下水を浄化し、毒に侵された王都の下街を救ったのは、教会の連中ではなくカナタではないか』


 ザグギエルによって女神の企みを聞かされたカナタだったが、特にその様子に変わりはない。

 女神が人間の魂を餌としか見なさず、魔王を使って収穫していたと言う事実を聞いて、義憤に燃えるわけでも、女神に恨み言を吐くわけでもない。


 ただどこへ向かうかも決めずに旅立った割には、カナタは確信を持って北へ進んでいるようだった。


『聖堂教会の人間がどれくらい女神の本性を知っているかは知らぬが、女神は我らを敵と認定している。カナタはその総本山へ向かうと言うのだな』


「そうだよー。あの女神様から、ほんの少しモフモフの残り香がしたんだよねー。だから北に行けばきっと会える気がするんだ」


『さすがは我が主よ。逃げるのではなく、あえて本拠地へ乗り込んで行こうとは。なんという胆力。やはり我が主たる者、そうでなくてはな!』


「ふふー。でしょー。私のモフモフセンサーが、ビンビンに気配を感じ取っているの!」


『ほう、そのモフモフセンサーとやらが何かは分からぬが、【モフ】の名が付いていると言うことはさぞかし武勇に関係があるものなのだろうな! 女神め、貴様が敵対するというのなら、その総本山から叩き潰してくれる!』


「ふふふ、モフモフ、モフモフ、新しい子はどんな子かなぁ」


 すれ違い主従は高らかに笑いながら、北へと向かうのであった。

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