第6話 命名する

 魔王ザグギエル。

 念話を通してしゃべれるようになった毛玉猫は、そう名乗った。


「魔王、ザグギエル……?」


 きょとんとするカナタに、ザグギエルは自嘲気味に笑った。


『ふっ。今となっては、元魔王だがな。大昔に神に呪いをかけられたのだ。余はそれ以来、この貧弱な魔物の姿として生きてきた』


「魔王ザグギエル……」


『余の言うことが信じられないか? まぁ、それもそうだろう。かつて暗黒大陸を支配した魔王が、こんな貧弱な魔物に落ちているなど、笑い話も良いところだろうからな』


「魔王ザグギエル……」


『そうだ。元とは言え、余は人類の大敵だ。余の正体を知った以上、人として討つのが正しい行いだろう。それも覚悟の上で名乗った。この数百年、いや、産まれてこの方、余にここまで優しくしてくれた者は、貴公が初めてだ。貴公になら余は討たれても構わんと思っている』


「魔王、ザグギエル」


『……なんだ、娘よ。何故そう何度も余の名を呼ぶ?』


 話を聞いているのかいないのか。

 ブツブツと自分の名前を繰り返すカナタに、ザグギエルは怪訝に訊ねた。


「魔王ザグギエル……。なら、ザッくんだね!」


『……なに?』


 さっきから考え込んでいたのは、ザグギエルの処遇をどうするかではなく、名前を考えていたかららしい。


 カナタにザグギエルを討つつもりなど当然なく、仲良くなるにはどうすれば良いか、そのことばかり考えていたのだった。


「よろしくね、ザッくん!」


『待て待て、娘よ。なんだその、ザッくんというのは……?』


「愛称だよー」


『あ、愛称……? そ、そうか、人間にはそういう文化があるのだな……』


「可愛くてぴったりだと思うの!」


 可愛い。

 男にとっては、喜びがたい褒め言葉だ。


 なんとも言えない微妙な顔をしたザグギエルに、カナタは目を輝かせて詰め寄る。


「ねっねっ! ザッくんで良いでしょ!」


『いや、うむ、まぁ、貴公がそう呼びたいのなら余は構わん。貴公には恩があるからな。好きに呼ぶが良いぞ』


 威厳が全く感じられない名前に、ザグギエルは思うところもあったが、喜ぶ少女に水を差すようなことはしたくない。


 ザグギエルは魔王として寛容を示した。


「うんっ。ザッくん。わたしの名前はカナタだよ」


『そうか、余の恩人の名は、カナタというのか』


「うん、ザッくん」


『カナタよ』


「ザッくん♪」


『うむ、カナタよ』


「ザッくん❤」


「……うむ、名前は分かった。だからな』


「ザッくん❤❤❤」


『か、カナタよ。話を続けたいのだが……」


「ザッくんんんんんんん❤❤❤❤❤❤」


『近い近い。顔が近い』


 瞳孔をハート型にして、ハァハァ言いながら近づいてくるカナタを、ザグギエルは短い前足で押しのける。


「はぁぁぁ、ちっちゃい肉球、気持ちいぃぃ……」


 頬を押しのけられながらも、カナタは幸せそうだった。


『落ち着け、カナタよ。話が進まん』


「はーい」


 大人びた外見とは裏腹に、どうにも子供っぽいところがあるカナタに、ザグギエルはやれやれと嘆息した。


『貴公が余を連れてきたのは、善意だけではなく、魔物使いとして余と契約を交わしたかったからであろう?』


「う、うん。下心ありでごめん」


『何を恥じる必要がある。余は貴公には感謝しかない。この恩は必ず返したいと想っている』


「それって、仲間になってくれるってこと?」


『……いや、残念だが、それは無理だ』


 ザグギエルが首を振ると、カナタは泣きそうな顔になった。


「どうして……?」


『貴公には恩があり、余もそれを返したいと思っている。だが、余はこの通り何の力もない存在だ。カナタは魔物使いなのだろう? 力を失った余では貴公ほどの強者に相応しくない。仲間にするのであれば、もっと強い魔物を探して……』


「そんなの関係ないよ!」


 カナタは思わず立ち上がった。


「わたしにはザッくんが必要なの! 強いか弱いかなんて関係ない! お願い、ザッくん! わたしの仲間になって!」


 心からの願いを打ち明けられて、ザグギエルは目を瞠った。


『か、カナタ……、そんなにも余を、求めてくれるのか……?』


「うん、もちろんだよ!」


 カナタにとって、ザグギエルはなくてはならない存在なのだ。


 戦力ではなく、モフモフ要員として。


 愛らしい目。小刻みに動く耳。柔らかい体。

 そして何より、ふわふわの柔らかい毛。

 全身どこを触っても気持ちいい。

 これほど理想の存在がいるだろうか、いやない。


 あの心地よさを知ってしまった以上、ザグギエルなしの生活など考えられなかった。


 一日一モフはしないと、確実に禁断症状を発症してしまう。


 ザグギエルに戦闘能力など必要ない。

 そのモフモフさがあれば短所など補ってあまりある。


 もはやカナタはザグギエルのモフモフなくしては、生きていけない体になってしまっていた。


『か、カナタ。貴公はそこまで余のことを……!』


 一方、ザグギエルはザグギエルで、感動に打ち震えていた。


 カナタの胸の内を知らないザグギエルは、純粋に戦いの共として必要とされているのだと思っている。


『こんな余のことを、力を失った余を見捨てないというのか。貴公の元でやり直す機会を与えてくれるというのか……』


 力を取り戻し、また魔王として返り咲くことを信じてくれるというのだ。

 圧倒的な強者である少女が、お前のことが必要だと言ってくれたのだ。


『貴公の想い、確かに受け取った! ここで応えられなければ、魔王ザグギエルの名が廃るわ! カナタよ! 余を貴公の仲間にしてくれ!』


「ザッくん!」


『カナタ!』


 固い絆で結ばれた二人は、がっしと抱きしめ合った。


 その心はまったく通い合っていなかったが。

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