第5話 毛玉猫をもてなす

 カナタは森から街へとあっという間に戻ってきた。


 入荷審査のために門の前で順番待ちをしている馬車の列を追い抜き、門番に学生服の校章を見せる。


 ルルアルス女学院の生徒であれば、出入りに複雑な審査はいらない。

 兵士が校章を確認して、それで終わりだ。


 ただ、無謀な装備で外へ出ようとする生徒などがいれば話は別だ。

 街の人間の安全を守るのが仕事である兵士としては、当然声をかけることになる。

 その無謀な生徒というのが、カナタだったというわけだ。


「あっ、もしかしてキミか! 何の装備も持たないで外に出た無茶な学生っていうのは!」


 校章を確認した兵士がカナタを見て声を上げる。


 どうやら彼は、カナタを追いかけてきた兵士たちと交代するときに、そのことを知ったようだ。


「すみません、急いでいるのでー! 事情は帰ってきた兵士さんに聞いて下さーい!」


「ええっ!? キミ、その手に持っている毛玉はいったい? まさか魔物じゃ──って、足速ァい!?」


 つむじ風のごとく門を通り過ぎたカナタは、人通りの多い道を誰にもぶつかることなくジグザグに駆け抜けた。


 人々はそれこそ風が吹いたとしか思わなかっただろう。

 馬以上の速度で駆けるカナタを誰も視認できなかった。


 腕に抱いた毛玉猫には、まるで負担がかかっていない。

 歩法を極めたカナタだからこそ出来る高速移動だ。


 一陣の風となって走るカナタの目的地は、学園に隣接された学生寮だ。

 カナタはそこで一人暮らしをしている。


 中等部を卒業し、高等部には進学しないことを伝えはしたが、まだ身分は王立ルルアルス女学園の三年生だ。


 まだ寮を利用する権利は当然ある。


 カナタが魔物使いとなったことを知っている教師に会うとまた呼び止められて、無駄な時間を使うことになるだろう。


 カナタは寮の周囲に誰もいないことを確認すると、開いている窓を探した。


 ちょうど四階の廊下に面した窓が開けっぱなしになっている。


 カナタはその窓へ向かって、跳んだ・・・


 重力を無視した軽やかな跳躍は、一瞬でカナタを四階の窓へと運ぶ。


 窓枠に手を突いて、滑り込むように廊下へ着地したカナタの前には、掃除中の寮長さんがいた。


「えっ、ええっ……?」


 目の前で起きた出来事に、ハタキを持った姿勢のまま固まっている。


「カ、カナタ・アルデザイアさん……!? 今あなたどこから来ました!? ここは四階ですよ!?」


「いえ、ちゃんと階段から上がってきましたよ?」


 カナタはしれっと嘘をついた。


「それでは急いでいますので、ごめんあそばせ」


 寮長さんにお辞儀をすると、カナタは自分の部屋に引っ込んだ。


「ふぅ、やっとついた」


 カナタはドアにもたれて息をつく。


「ごめんね、疲れちゃったかな?」


 抱きかかえていた毛玉猫を顔の高さに持ち上げてのぞき込むと、毛玉猫はじっとこちらを見つめ返してきた。


 警戒はしているようだが、暴れたり逃げ出したりはせず、カナタのされるままになっている。


「ご飯の前にお風呂にしよっか」


 この寮には各部屋すべてに風呂場が設置されてある。

 元々寮にあったわけではなく、三年前カナタが初めて剣技大会で優勝した褒賞に、王から賜ったものだ。


 さしもの王も『何か願いはあるか』と聞いて、『お風呂が欲しいです』と返されたのは初めての経験だっただろう。


 前世では日本人であったカナタに、風呂のない生活が耐えられるはずがなかった。


 一応学園にも共通施設である大浴場はあったが、入りたいときに自由に使えるものではなかった。


 寮の各部屋に風呂が設置されてからというもの、入居者からのカナタの人望は絶大なものとなっている。


 二回、三回、とカナタが優勝するたびに寮は豪華な施設が増えていくのだが、それは今重要な話ではない。


「そう、重要なのはお風呂。モフモフとお風呂に入るのは、長年の夢の一つ……! ようやくそれが叶う……!」


 カナタは手早く服を脱いでいく。


 先ほどの戦闘や森の行き帰りでカナタは汗を掻くことも汚れることもなかったが、モフモフとお風呂に入る。

 そこに理由は必要なかった。


「め、メウ! メウ!」


 どうしたことだろう。

 先ほどまで大人しかった毛玉猫が、突然騒ぎ出した。


 短い後ろ足で上半身を起こし、同じく短い前足を懸命にパタパタと振っている。


「はわわ、なんですかなんですかなんですか、もぉぉぉぉっ!」


 可愛すぎる!


 カナタは毛玉猫が何を訴えているのか分からなかったが、その可愛さに思わず胸に抱きすくめてしまう。


「め、メウゥゥゥ……」


 年齢の割には大きなカナタの胸に挟まれて、毛玉猫はぐったりした。


「あ、あれ、苦しかった?」


 いつまでも裸でいるのも何なので、カナタはさっそく風呂場に足を踏み入れる。


 ふにゃふにゃになってしまった毛玉猫を風呂椅子に座らせて、カナタは長い黒髪を紐で短くまとめる。


 それから湯船に湯を溜めた。

 蛇口をひねると、温かい湯が勢いよく出始める。


 魔石を熱源として利用した湯沸かし器はこれまた王に賜ったものだ。

 水道を引いてあるのでトイレは水洗だし、軽食を作れるキッチンまである。


 これらもまた王に賜ったものだ。水道代も魔石代も王の私財から出ている。

 カナタが剣技大会で優勝するたびに、寮の生活水準が向上していった。


「先に体を洗っちゃいましょう」


 カナタは石鹸を丹念に泡立てると、毛玉猫にまぶしていく。

 白い泡はあっという間に黒くなってしまい、その泡さえあまりの汚れで泡立たなくなってしまう。


「うわわ、いったん洗い流すねー」


 洗面器で湯船の湯をすくい、毛玉猫の耳に入らないようにゆっくり湯をかける。


「うわー、すごー」


 泥や地や草の汁や、色々な汚れが混ざった黒い湯が毛玉猫を中心に広がっていく。


「め、メウメウ……」


 毛玉猫はその様子を恥じ入るように、か細く鳴いた。


「これは念入りに洗うしかないようですなぁ」


 モフモフを何回でも洗える喜びに、カナタはウキウキしながら石鹸を泡立てた。


 泡で体を覆い、染みこむのを待ってからまた湯で流す。

 それを繰り返すと、段々毛の指通りが良くなってきた。


「おかゆいところはございませんかー」


 カナタは揉むようにして毛玉猫の全身を洗っていく。


「め、メゥゥゥ……」


 毛玉猫は困惑するような声を上げるが、抵抗することもなくカナタのされるがままだ。


「はぅぅぅ……、しんなりしたモフモフもまたいいっ……!」


 すっかりもこもこに泡立つようになった毛玉猫に、お湯をたっぷりかけて洗い流す。


 毛色が真っ黒なのは変わらないが、油でべたついたような汚れはすっかり落ちた。


 毛玉猫を洗っている間に、湯船の湯が張っていた。


「怖くないからねー」


 胸に抱いたまま、一緒に湯船に浸かる。


「はふぅぅぅぅぅ……」


「メゥゥゥゥゥゥ……」


 心地よい湯の温かさに、二人のうっとりとした溜息が重なる。


「ぬくぬくだねー」


「メウメウ……」


 毛玉猫はカナタに同意するように鳴いた。


 しっかり体を温めてから、カナタたちは風呂を出る。


 タオルでしっかり水気を拭いて、クシを通してやると、毛玉猫はふっくらモフモフになった。


 元々丸かった姿がさらに丸くなった印象だ。

 太りに太ったデブ猫のように見えなくもない。


 乾いた毛を撫でると、洗う前とは雲泥の差だった。


「うわわわ、手触り気持ちよすぎでしょう……!」


 フワフワの毛の感触がカナタを虜にする。

 永遠に触っていたいくらいだ。


「と、いけないいけない。次はご飯にしないと。お腹、すいてるよね?」


「め、メウ!」


 そんなことはない、といった様子で首を振る毛玉猫。

 もしや言葉が通じているのだろうか。

 魔物であれば、知能の高さも動物以上のものも相当いる。


 風呂ではカナタのさせたいようにしていたが、食事となると警戒しているかもしれない。


「いらないの?」


「メウメウ!」


 そこまで世話にはならないと言わんばかりに、毛玉猫はそっぽを向いた。


 しかし、そこで『きゅるるるるる』と可愛い腹の音が鳴った。


「なんだー、お腹空いてるんじゃない。ちょっと待っててね」


 カナタは湿った髪をタオルでターバン状にまとめ、バスタオルのままキッチンに立った。


 魔物使いとなるべく勉強したカナタは魔物の食性にも詳しい。


 胃腸が頑健な魔物は、動物と違って食べ物で体調を崩すことはない。

 攻撃的で人を襲うので肉食と勘違いされがちだが、大抵の魔物は雑食性だ。

 人と同じ食べ物を与えても問題はないとされている。


 カナタが愛読している、『伝説の魔物使いアルバート・モルモが記したモンスター辞典(全部含めてタイトル)』にもそう書いてあった。


「牛乳とチーズはあったよね。だったらこれにしよう」


 カナタはメニューを決めた。


 フライパンにオリーブオイルを垂らし、細かく刻んだ玉葱を炒め、そこへ生米を投入し、さらに炒める。


 カナタの住む王都は交易が盛んで、東方から食材の輸入も頻繁にされていた。

 この地域では、米は小麦と並んでポピュラーな主食である。


 炒めている間に沸かしておいた熱湯を加え、米が膨らみ水面に顔を出すくらいまで水を吸ったところで、牛乳を注ぎ入れる。


 温度を下げすぎないように少しずつ足して、しっかり牛乳の旨味を米に染みこませていく。


 牛乳の甘い香りが部屋を満たし、匂いに釣られた毛玉猫がカナタの足元で尻尾をゆらゆらとさせていた。


「よしっ、アルデンテ!」


 米の食感を確かめ、ほどよい柔らかさになったところで塩と胡椒を加えて味を調え、火を止める。


 冷めてしまう前にチーズを急いですりおろし、かき混ぜてとろみが付くまで馴染ませる。


 皿に移して、完成だ。


「カナタ特製、ミルクのリゾットでーす!」


 食卓にリゾットの入った皿を置いて、足元をうろうろしていた毛玉猫を抱き上げる。


「熱いからね、ふぅふぅしてから食べさせて上げる」


「め、メウー!」


 そ、そんな恥ずかしいことが出来るかと言わんばかりに毛玉猫はジタバタするが、しょせん短い足なのでたいした抵抗にはならなかった。


「やっぱりわたしのご飯食べたくない? 美味しく出来たんだけどなぁ……」


 カナタは悲しそうに眉をひそめる。


 実際、カナタの作る料理は寮の女子たちにとって最大のご馳走だった。

 寮で祝い事があったとき、各自で食事を持ち寄ってパーティを開くのだが、カナタの作った軽食は我先にと取り合いになり、あっという間に食べきられてしまうほどだ。


「め、メウゥゥ……」


 毛玉猫もまた同様、リゾットから漂ってくる美味しそうな香りに鼻をひくつかせ、観念したように足をパタつかせるのをやめた。


「ふー、ふー。……はい、あーん」


 スプーンですくって、ほんのり人肌程度まで冷ましたリゾットを毛玉猫の口へと運ぶ。


 毛玉猫はリゾットとカナタを何度か見比べ、決心したようにスプーンにかぶりついた。


「めっ、メウゥゥゥッゥゥゥゥゥッ!?」


 口にリゾットが入った瞬間、ミルクと米の旨味が舌の上に拡がった。


 あまりの美味さに、毛玉猫は絶叫する。


 今まで雑草と虫を食べて生き延びていた毛玉猫には、天上の食物も良いところだっただろう。


 カナタが食べさせてやるまでもなく、毛玉猫は食卓に飛び乗ると、一心不乱にリゾットを食べ始めた。


「あ、猫舌じゃないんだねー」


 カナタは食卓に両肘を付いて、リゾットにむしゃぶりつく毛玉猫を幸せそうに眺めた。


 米の一粒まで残さず食べきった毛玉猫が、小さくけぷっとゲップをする。


「わー、残さず食べられて偉いねー」


 よしよしと毛玉猫の頭を撫でる。

 どこが頭か分からないほど丸いが、耳が生えているから撫でているところが頭で良いだろう。


「次はどうしよっか。お腹いっぱいになったしお昼寝でもする? ああ、モフモフと一緒にお昼寝……。最高かよ……」


 どんどん夢が叶っていくカナタは、幸せの絶頂にあった。


『いや、眠くはないので、断らせてもらう』


「うん?」


 今、誰が喋ったのだろう。


『まともな食事を取ったことで、念話を飛ばすくらいの力は戻ったらしい』


「え? もしかして、あなたがしゃべってるの?」


『いかにも』


 メウッ、と毛玉猫は胸を張った。


『娘よ。余の窮地を助け、傷を癒し、身を清め、食事の世話までしてくれたな。その献身に心より感謝する』


 まるで王様のようなしゃべり方だ。

 実際この国の王と謁見したこともあるカナタの感想だった。


『話さねばならぬことはいくつかあるが、まずは恩人に名を告げねば始まらないだろう』


 毛玉猫は尻尾をゆるりと動かし、正面からカナタを見据える。


『余の名は、魔王ザグギエル』


 そして、その正体を明かしたのだった。

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