第11話 試験を受ける その1

「ちょっと待ってくださーい!」


 後ろから呼び止められて、カナタは振り返って足を止めた。


 つい昨日もこうやって追いかけられたばかりだ。

 昔から人に追いかけられることが多かったが、何故なのだろうか。


 それはカナタが根本的に人の話を聞かず、どんどん先へ行ってしまうからなのだが、本人は知るよしもなかった。


「ハァ……ハァ……。おかしいですね……。鍛錬は欠かしていないんですが……」


 追いつくまでにかなりの時間がかかって、受付嬢は不思議に思った。


 カナタは静かに歩いているように見えて、風のように通行人を追い抜いていくのだ。

 人通りの多い街中を走って追いかけるのは骨だっただろう。


 カナタを追いかけてきたのは、自分を担当してくれた受付嬢だった。

 細身の剣を携え、靴も鉄板入りの頑丈そうなブーツに履き替えている。


「私は、メリッサ・シュトラウド。あなたの試験の監督をさせていただきます」


 息を整えて受付嬢メリッサは、右手を差し出す。


「この試験は一人で行うものですが、もしあなたが不正をしたり、魔物に対応する実力がないと判明した場合は即刻試験は中止です」


「そのために監視する人が必要なんですね」


 カナタは差し出された手を握り返す。

 綺麗な手だが、手の平は足の裏のように分厚かった。


 剣を毎日振っていないと、ここまでの手にはならないだろう。

 受付嬢がかなりの手練れであることが分かった。


「そうです。説明をしようと思ったら、出て行っちゃうんだから。依頼の内容は最後まで聞かないと、良い冒険者にはなれませんよ」


 カナタにこういった説教を出来る者は、学園の教師にもいなかったので、カナタは新鮮な気持ちになった。


 それからメリッサの姿を改めて確かめる。


 三つ編みにして左肩から前に垂らした灰色の髪。

 瞳はグリーンで、目元は優しそうだが、今はカナタを叱っているので少しつり上がっている。


 背はカナタより少し低いが、肉付きはしっかりしていた。

 最初からギルドの職員では、こんな体つきにはならないだろう。


 左手で鞘ごと握った細剣は細かい傷はあるがしっかり手入れされてあって、長く使い込まれているのが分かる。


 剣とミスマッチなギルドの制服には防御力を期待できそうもないが、メリッサは最も重要な防具である靴を履き替えてきている。


 移動がクエストのほとんどを占める以上、履き慣れた頑丈な靴を第一に選ぶのは実戦経験者だ。


「メリッサさんは、もしかして冒険者なんですか?」


「良い観察力ですね。ええ、その通りです。今はギルド職員の仕事をメインとしていますが階級はB級です」


 冒険者の階級はピラミッド状だ。

 下位に行けば行くほど人数は多く、上位にいけば行くほど少なくなっていく。

 最上位ともなれば、ほんの一握りだ。

 B級であるメリッサは、名の知れた冒険者だった。


「監督役は人手不足で、私が担当になることが多いんです。一応クエストとして貼り出してもあるんですけど、報酬が安いので誰もやりたがらないんですよね」


「へえー、そうなんですね」


「まぁ、この制度自体が最近出来たものなんですが、意外と効果は出ているんですよ?」


 冒険者の採用試験制度。


 冒険者希望の人間に適性があるか試したり、同行者を付けて受験者が死なないようにしたり、そういった安全性にギルドが気を使うようになったのは、それなりに最近の話だ。


 かつては希望すれば誰でもその場で資格を発行していたが、あまりに下級冒険者の死亡率が高いため、最低限のふるいにかけることとなった。


 基本的に試験の監督役は、ある程度の実力がある冒険者に依頼がかかるのだが、報酬が良いわけではないので、やりたがる者は稀だ。


 結果、職員にお鉢が回ってくることになり、腕に覚えのあるものや冒険者上がりの職員が担当することになる。


 しかし、この制度のおかげで目に見えて冒険者の死亡率が下がったので、失敗とも言えない。

 欲を言えば監督役の報酬を上げるか、職員の数を増やして欲しいメリッサ嬢だった。


「と言うわけなので、今日はよろしくお願いします」


「はいっ、こちらこそお願いします!」


 お互いに深々と頭を下げて、連れだって街を出る。


「基本的に、監督役は受験者のやることに口出ししません。明らかな不正や、命に関わるような危機に遭遇しない限りは、傍観に徹しますのでそのつもりで。魔物に襲われても自分で対処できないと意味がありませんから」


「はい、大丈夫です」


「大丈夫というには、あまりに準備不足だと言わざるを得ませんが……」


 準備がどうこう以前の問題だった。


 学生服を着たままだし、靴も普通の革靴だし、簡単な防具や武器すら身に付けていない。

 これでどうやって魔物と戦うつもりなのだろうか。

 冒険者志望と言うより、自殺志願者にしか見えなかった。


 カナタの職業が魔術師であるという可能性もあるが、それにしても杖すら持っていないのはどういうことなのか。


 肩に乗せた黒い毛玉が気になるが、あれが何かの武器か防具だったりするのだろうか。


 いずれにせよ、メリッサはその疑問を口には出さなかった。

 監督役は受験者に有利になることも不利になることもしてはならない。


 試験の合格に必要なのは結果だけだ。

 準備が万端であろうが、不足していようが、結果さえ出せばその瞬間からカナタは冒険者である。


「地図は持っていないようですが、森の位置は分かっていますか?」


「はい、覚えているので大丈夫です。ちょうど昨日も行ったところなので」


「そうですか、昨日も……えっ、昨日も?」


 どういうことだろう。

 今日はギルド職員の自分が同行していたから、門を出るときに呼び止められなかったが、普通は女学生が一人で何の装備も持たず街を出ようとすれば、門番に止められるだろう。


「それは、一人でですか?」


「いえ、兵士さんと一緒でした」


「ああー、そういうこと……」


 カナタの答えに、メリッサは得心がいった。


 この世間知らずのお嬢さんは、良いところの箱入り娘なのだろう。

 護衛を付けて森を探検し、調子に乗って冒険者になれると勘違いしてしまったのだ。


 森に入って少し怖い思いをすれば、すぐに泣き出して諦めるだろう。

 物語と現実は違うことを覚えて、少しは成長できるかも知れない。


「(もしかしたら、森に着くまでに試験は終わりになるかもしれませんね)」


 森まではそれなりに距離がある。

 柔い革靴を履いた少女の足では、すぐに歩き疲れてしまうだろう。


 試験に落ちた受験生を街まで連れて帰るのも監督役の仕事だ。

 おんぶする相手が、細身の女の子で良かったなとメリッサは帰りのことをもう考え始めていた。


「あのー」


 前を歩いていたカナタから声をかけられ、メリッサは我に返った。


「あ、はい、なんですか?」


「早く森に着きたいので、走っても良いですか?」


「え、走るんですか? その靴で?」


「はい。もしかしたら、メリッサさんを置いていくことになるかも知れないので」


 おやおや、このお嬢さんは自分が英雄にでもなったつもりでいるらしい。


 口端が思わず上がりそうになったが、メリッサは堪えた。


 本人はいたって真面目なのだ。

 現実を思い知るまで付き合ってやるのが、大人の余裕というものだろう。


「思いきり走って大丈夫ですよ。これでも疾風のメリッサって呼ばれてるくらいには、脚に自信があるので」


「そうなんですか! 良かった。じゃあ、ちょっと早めに走りますね」


「どうぞどうぞ」


 メリッサはにこやかに答えて、地面が踏み砕かれる音を聞いた。


「……は?」


 いかなる脚力を持って走れば、地面がひび割れるのだろう。


 メリッサが音に驚いた直後、突風が背後から襲いかかってくる。

 カナタのスタートダッシュがあまりに早かったので、真空が生まれ空気が巻き込まれたのだ。


 土煙にメリッサがむせたときには、カナタはもう米粒より小さくなっていた。


「…………。……夢かしら?」


 メリッサはほっぺたをつねった。

 普通に痛かった。


「はっ!? こ、こんなことしてる場合じゃない! 追いかけないと!」


 目の前の信じられない光景は、職務への責任によって、とりあえず脇に置いておくことになった。


「ま、待って下さぁぁぁぁぁぁいっ!! 前言は撤回! 前言は撤回ですぅぅぅぅぅぅぅっっ!!」


 メリッサは大きく引き離された少女に停止を呼びかけながら、必死に追いかけた。

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