第14話 試験を受ける その4

「か、カナタさん……。騒がず、ゆっくりとそのまま下がって下さい……」


 メリッサは震える声でカナタに呼びかけた。


 試験は中止だ。

 もはやそんなことをしている場合ではない。


 眼前で巨体をさらけ出すその存在は──竜。


 飛竜ワイバーン砂竜ワームのような亜竜ではない。

 四肢を持ち、翼を背中に生やす真性の竜だ。


 A級の冒険者が集団で戦い、犠牲覚悟で何とか追い払えるような相手だ。


『カナタ、すまない。やつの狙いは余だ。もっとはやく貴公に話しておくべきだった』


 二羽の巨鳥も、ザグギエルの命を狙っていた。

 そしてあの竜を見て、誰の命令か理解した。


『余の元部下が支配下に置いていたのを覚えている。長きにわたって洗脳されたあの竜はもう命令を聞いて戦うだけの傀儡だ。対話による説得は不可能だろう』


 ザグギエルは総毛を逆立たせて、カナタを守るように立った。


『余では何の足止めにもならんだろう。だが、貴公より先に死ぬことだけはせん』


「GORURURURURU……」


 竜の口から白い蒸気が漏れている。

 体内に溜められた燃焼性の液体が発火前に暖気されているのだ。


 竜はすでに臨戦態勢に入っていた。


「なんとか、カナタさんだけでも逃げる時間を稼がないと……!」


 メリッサは震える手足を押さえて、長年連れ添った細剣レイピアを引き抜いた。


 竜の硬い鱗は鋼の武器など通さない。

 強靭な四肢と鋭い爪から繰り出される攻撃は、かするだけで即死する。

 灼熱のブレスは広範囲を燃やし、森の木など隠れる盾にもならないだろう。


「唯一の勝機があるとしたら……逆鱗だけ」


 無敵の存在ともいうべき竜だが、弱点と呼ぶべき場所が存在している。

 それは顎のすぐ下にある逆さに生えた大きな鱗のことだ。


 正確には逆鱗そのものは他の鱗より硬いのだが、逆さに生えているため鱗との間にわずかな隙間が生まれている。


 顎の下という急所を守るために発達した鱗が、かえって竜に弱点を生み出していた。


「私の細剣なら、隙間を縫って貫ける、はず」


 この剣はミスリル銀を鍛えて作った特別製だ。

 竜の鱗さえ避ければ、硬い肉にも阻まれず急所を穿つことが出来る。


 だが、その急所は木よりも高い位置にある。

 首が下がったところを狙わなければ、剣先を届かせることすら叶わないだろう。


「竜はブレスを吐こうとしている。吐く瞬間は頭を大きく下げるはず。その瞬間を狙えば……!」


 竜相手にせんを狙う。

 たかだかB級のメリッサには荷が重い仕事だった。


 それでもやらねばならない。

 カナタは逸材だ。素晴らしい素質を持っている。

 ここを生き延びれば、必ず良い冒険者になれる。

 命を捨てて後進に未来を託すのも、冒険者の勤めだ。


 カナタは先ほどから動く様子がない。

 無理もないだろう。

 いくら素質があっても、実戦経験もろくにない十五歳の少女だ。


「(私が、守らなければ……!)」


 メリッサは細剣の握りを確かめ、体重を少し前傾に移した。


「(一歩でカナタさんを横手に突き飛ばし、二歩でブレスをかいくぐり、三歩で逆鱗の隙間を貫く)」


 カナタの連れている魔物まで助ける余裕はない。

 あの小さな体でブレスが当たらないことを祈るしかなかった。


 竜の蒸気はますます熱量を上げ、縦に長い瞳孔を持つ瞳が殺意をみなぎらせていく。


 あと数秒以内に、間違いなくブレスは吐かれるだろう。

 

「(見ろ……見ろ……見ろ……!)」


 竜がブレスを吐くタイミングを見誤れば、全員まとめて灰も残らず燃え尽きるだろう。


 その瞬間を見誤らぬよう、メリッサは集中を高めた。


「あの、メリッサさん」


 場にそぐわぬ呑気な声で、カナタが声をかけてきた。


「は、はいっ……?」


 よりにもよってこのタイミングで声をかけられると思っていなかったメリッサは、思わず集中を途切れさせてしまった。


「まずっ……!?」


 ブレスが吐かれる。

 竜は頭を高々と掲げ──ブレスの代わりに絶叫を上げた。


「GOGURUAAAAAAA!!??」


 それは予期せぬ激痛に悲鳴を上げたようにも見えた。


「えっ!? なに!? なにが起きたの!?」


 竜はその巨体をひっくり返し、血を吐くようにのたうった。


「逆鱗って、これですか?」


 振り向いたカナタの手に握られていたのは、大きな鱗だった。


「ど、どうやって……!?」


「普通に走って、ジャンプして、つかんで、えいっ、て」


「え、ええー?」


 まっすぐ竜だけを見ていたメリッサが、目で捉えることも出来なかった。

 どんな速度で動けばそんなことが出来るというのか。


「GUROROROOOOO!!」


 竜の瞳は怒りに染まっていた。


 逆鱗に触れるという言葉があるが、逆鱗をはがされた竜の怒りはいったいどれほどのものだろう。


 絶対に殺してやるという殺意を向ける竜に対し、カナタはその威容をしげしげと眺めた。


「う~ん、モフ度ゼロ。ダメダメですね」


 興味なしといった様子で、カナタは溜息をついた。


「GAROOOOOOOOOON!!」


 緊張感の欠片もない姿を挑発と受け取った竜は、怒りのままにブレスを吐き出した。


「危ないことしちゃ駄目ですよ」


 小さな子を叱るようなその声は、竜の真下から聞こえた。


「GORU!?」


 人間たちに向かってブレスを吐いたはずが、何故か空を見上げている。

 ゆがむ視界、歯が砕ける激痛。


 そして竜は自分が掌底で顎を打ち上げられたと気づいた。


 ブレスは空に向かって吐き出され、その炎を割ってカナタが現れる。


 その姿を見た竜の目に浮かんだのは、もはや怒りではなく純然たる恐怖だった。


 竜の頭より高く飛んだカナタが、拳を振りかぶる。


「お仕置きです」


 竜の眉間に振り下ろされた拳は、大鐘を鳴らすような凄まじい音を立てて、打ち上げられた竜の頭を大地に縫い付けた。


「GU、GURU……」


 二発の連撃で脳を揺らされた竜は、陥没した地面に埋まって気を失った。


「……竜を、素手で……?」


 剣と魔法の世界に超戦士が紛れ込んだような光景を前にして、メリッサは呆然とするしかなかった。


「よしよし、ザッくん、もう怖くないからね」


 スカートを押さえて着地したカナタが、毛を逆立てたまま固まっているザグギエルを抱き上げる。


「メリッサさんも大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫というか……大丈夫というか……大丈夫って言うか!!」


 竜と正面から戦い、それを打倒したというのに、カナタにはなんら気負った様子がない。

 代わりに洗濯物干しときましたけど、ぐらいの気安さだ。


「なんなんですか! なんなんですか! たった一人で! しかも素手で! 真性の竜を倒すなんて! カナタさん! あなたいったい何者なんですか!?」


 パニックになっているメリッサに、カナタは優しく微笑んだ。


「魔物使いです」

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