第16話 勝たなきゃ、勝たなきゃ、勝たなきゃ

「おおー、これが卓球の試合会場かー」

「ふふ、そういえば杏子きょうこちゃんは今日が初めてだもんね?」


 感嘆の声を上げる杏子ちゃんを、めぐ先輩は微笑みながら見守る。ポジションが完全に小さな子を持つお母さんだ。


「テレビで見るやつだとこう……数えるほどしか台がないのに、今日はすごいんですね。いち、に、さん……20台もある」

「そりゃーテレビでやるような、おっきな大会だとそうだけど、私たちが出る大会はみんな、こんな感じよ」

「ほへー」


 2階観覧席の隅に集まった私たちは、アリーナを見下ろす。


 杏子ちゃんの言うとおり、アリーナには合計20の卓球台。それらが2列に並んでいる。加えて、それぞれの台の試合スペースを区切るために、腰ほどの高さのフェンスがきれいに配置されていた。


「私たちの試合は……もう少し後みたいね」


 受付でもらったプログラムを見ながら、めぐ先輩が言う。


「ま、それまでボクらは高みの見物といきますかー」

瑠々香るるかー? わかってるとは思うけど、今日は見てるだけだからね?」

「わかってるってばー」


 3年生コンビがいつも通りのやり取りを、他のみんなもそれぞれ試合までの時間つぶしに思い思いの会話をしている。だけど、そんな声や試合会場にこだまする他の音、そのどれもが身体の近くでバラバラと崩れ落ち、私の耳には届かない。


 どくん。……どくん。


 己の鼓動が他人に聞こえてしまうのではと心配するくらいに、大きく早鐘を打つ。


 私たちの試合まであとどれくらいだろうか。なんだか、血のめぐりがおかしくなってしまったような感覚。意識していないと、身体がぐにゃぐにゃになってしまいそうだ。


 早く試合をして終わってしまえばいいのに。ずっと試合の時間が来なければいいのに。相反するふたつの気持ちが溶け合わずに胸のあたりに鎮座している。


 と、青原あおはらさんが隣のイスに腰を下ろす。


優月ゆづき、大丈夫?」

「あ、うん。大丈夫、だよ」


 その聞き方はずるい、と思った。ここで大丈夫じゃないと答えれば、この場から立ち去ってもいいのだろうか。


 訊いてきた青原さんの表情は、整った顔立ちそのままで、崩れていない。どうすればそんな風にしていられるんだろう。訊いたところでしょうがないけど。私が彼女のように振る舞うのは多分無理だ。


 30分ほど経って、試合の呼び出しをされた私たちはアリーナへと下りた。メンバーは試合に出る私と青原さん、それに千穂ちほ先輩とめぐ先輩。瑠々香部長と杏子ちゃんは、上の観覧席からの応援という形だ。


 たくさんの照明がいろんな角度からアリーナを照らす。まるでスポットライトが集まったみたいに。だけどそれが当たるべき人間は、私ではない気がする。私はきっと、ライトが誰かに当たってできた影の部分だ。日なたにいるべき誰かがいて初めて、後ろ暗い場所に存在できる。


 なんて自虐に浸っていると、最初の試合が始まった。


 初戦は、50代くらいのおばさまチーム。卓球が好きでチームを組んで出場した、みたいな雰囲気のチームだ。そのせいか、見た目の雰囲気はあんまり強そうではない。


「じゃあ、がんばってくるね」


 ふたつ、握り拳をつくって、めぐ先輩が卓球台へと向かう。


 今日の団体戦は、シングルス2試合、ダブルス1試合、そしてまたシングルス2試合の順で、合計5試合のうち先に3勝した方が勝ちとなる。


 私の出番はじゃんけんの結果、4番目のシングルス。つまり先輩たちが3番目までの試合で勝負を決めてくれば、私まで回ってこない。


 この際勝ち負けはどっちでもいいから、私まで回らないでほしい。試合が進む中、ベンチで私はずっと考えていた。いや、考えていたというより、本能的に、深層心理として思っていた。


 だけど、現実はそううまくはいかない。


「いやー、負けちゃった。ごめんみんな」


 3番目の試合の千穂先輩とめぐ先輩のダブルスが、負けて戻ってくる。これでチームの勝敗は2対1。次は……私の番だ。


「優月ちゃん、がんばって」

「ゆづっちの方が強いって! 練習みたいなすごいの、相手にも見せてやれー」

「大丈夫。実力は優月が上」

「は、はい」


 三者三様、言葉をかけられながらコートへ向かう。彼女らは、私を応援するためにそんな言葉をかけてくれている。頭では理解している、理解はしているしそれに応えたいとも思う。


 だけど私の思いとは裏腹に、その言葉たちはバラバラに分解され、まとわりつき、鎖のように私の身体を縛っていく。


 お前は強い奴なんだ。勝って当たり前なんだ。いい球を打って勝負を決めてこないといけないんだ。……と。


 私の相手は、にこやかな笑顔を向けてくるおばさん。強い雰囲気はぜんぜん感じられない。


 サーブレシーブの順序を決めるためのじゃんけんをして、「よろしくお願いします」とお互いに礼をして、構える。中学の時も幾度となくやった試合前の流れ。


 どくん。どくん。……どくん。


 相手からのサーブ。それに備えて、前傾姿勢をとる。


「ラブオール」


 審判が0‐0、つまり試合開始を告げる。始まる。もう、引き返せない。否が応でも、結果が出る。


 どくん……。


 相手は、どんなサーブをしてくるんだろう。どんな選手なんだろう。どんな球が得意なんだろう。苦手な回転は? コースは? 相手はおばさんなんだし、負けたらダメだ。レシーブはどんな風に返そうか。ミスしたら嫌だな。勝たなきゃ。みんなが見てる。勝たなきゃ。上の観覧席でも瑠々香部長と杏子ちゃんが応援してる。勝たなきゃ。期待されてる。勝たなきゃ。勝たなきゃ。勝たなきゃ。勝たなきゃ。勝たなきゃ。勝たなきゃ。勝たなきゃ。勝たなきゃ。



「あれ……?」


 頭の中、まっしろ。いや、見えてる景色も、手足の感覚も。まっしろ。なにもない。自分の身体が、ラケットが、自分のものじゃないみたい。あれ? あれ? あれ?


 どうやって打てばいいんだ?


 ラブオールと宣言されてからわずか15分後。


 私の試合は、終わっていた。

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