第14話 今、どんなやつはいてるの?

「ゆづっちー、杏子っちー! いるー?」


 午前の授業が終わるとほぼ同時。この時間、この場所で聞くハズのない人の声が1年生の教室に響いた。咄嗟に、というか条件反射で、私はまだ机の上に広げていた教科書で顔を隠す。


 青天の霹靂、とはまさにこのことを言うのだろうか。さっきの授業で出てきた慣用句をすぐに実用できた。さすが私。


 なんてことを悠長に考えている場合ではない。

 どうして千穂先輩が? というか、まだ授業終わって1分経ってないんですけど。


「千穂先輩。どうしたんすか? それにつむぎ先輩も」


 私がコソコソしていると、杏子ちゃんが教室の入り口に駆けよっていく。


 これは……嫌な予感がする。


「いやー、せっかくだからかわいい新入部員ちゃんたちとご飯でもご一緒しようかなーと思ってさ。私たちいつもグラウンドの隅の木陰で食べてるんだけど、どう?」

「ぽかぽかして……きもちいい……」

「それいいですね! ぜひご一緒させてください!」


 やっぱり!


「優月にも声かけますね。優月――ってあれ?」

「いない……」

「もうどっか行っちゃったのかなー残念」



「はあ……」


 先輩たちや杏子ちゃんに気づかれないよう、隙を見て教室を出た私が向かった先は――最早定位置になりつつある例の自販機コーナー。


 昼休みだから飲み物を買いにくる生徒がいてもおかしくないはずなのに、相変わらず人の気配すらない。錆びだらけのトタン屋根のおかげで日光や雨露はしのげるし、細長いベンチも1つあるから、もう少し季節が過ぎれば他の生徒もやって来るのだろうか。


 とりあえず、ポツンと寂しく立っている自販機になんとなくシンパシーを感じた私は、お茶を買ってあげることにした。きみもひとりでよくがんばるね。


「というか、なんで私が自分の教室から逃げてきてるんだろ」


 何日か一緒に練習もしたし、先輩たちが悪い人じゃないことはもちろんわかっている。でも、話す機会が増えればそれだけ、卓球部との関係も深いものになっていく。いつか必ず訪れる、私に対する落胆の時のことを考えると、可能な限り交流は避けておいた方がいいだろう。


 だからって、入学早々ぼっち飯かあ……。


 ドラマやマンガでしか見たことのない光景を、まさか自分が体験することになるとは思わなかった。高校生になったら教室で友達とご飯を食べながら恋バナに花を咲かせる……なんて楽しい生活を送る予定だったのに。


「まあ、今さら言ってもしょうがないか」


 諦め、というより投げやりの境地に到達し、古びたベンチに腰かける。長いこと誰も座っていないのか、ギシ……と聞こえの悪い音が鳴った。決して私が重いからじゃないと信じたい。


 ふうと一息ついて、膝の上にお弁当を広げる。ご飯に野菜に卵焼き、と色鮮やかなメニューは私の心境とはまるで正反対だった。


「いただきます」


 最初に箸をのばしたのは、卵焼き。甘めの味付けが、沈んだ私の身体に染みわたっていく。


 そしてご飯。お米特有の甘みを噛みしめる。


「……隣、いい?」

「!」


 突然の声。勢い余って飲み込んでしまったご飯が私の喉を塞いだ。


「~~っ、ごほごほっ!」


 買ったばかりのお茶をがぶ飲みし、せき込む。買っておいてよかった……。


「ごめん。そんなに驚くとは思わなくて」

「あ、青原さん」


 部活の時とは違って黒髪をほどいている彼女は、抑揚のない声で謝罪を述べてから、


「隣、座ってもいい?」

「あ……いい、ですけど」


 私が答えるや否や、素早く腰を下ろす。今度はベンチから嫌な音は聞こえなかった。なぜだ。


「……」


 小さく風が流れると、いい香りが鼻孔をくすぐった。青原さんのシャンプーの匂いだろうか。


 ちら、と目線だけ動かせば、整った顔立ち。女の子同士なのに、私の鼓動は早くなった気がした。


「……」


 特に話しかけてくる様子はない。隣に座ってるわけだし、何か話した方がいいのかな。向こうは覚えていないっぽいとはいえ、昔の知り合いという間柄なのだ。


 とりあえず、当たり障りのないところから……


「その、青原さんは誘われてないの? うちのクラスに、千穂先輩とつむぎ先輩がごはん一緒にって来たんだけど……」


 1年生の教室にわざわざ来るくらいだから、青原さんのところにも行っているのかと思った。それとも、もしかして断ったんだろうか。


「……さあ。来たのかもしれない。でも、私いつも学食だから」

「あれ、じゃあなんで」

「今日は席が空いてなかったから」

「そ、そうなんだ」


 がさり、と彼女は手に持ったビニール袋を膝に乗せる。


「優月こそ、先輩たちと食べないの?」

「いやー、私はまあいいかなーって」


 正直に『あんまり深く関わりたくないから』とは言えまい。それも正規の卓球部員である青原さんに向かってとなるとなおさら。


「……」

「……」


 途切れる会話。青原さん自身もそんなに会話が好きな方ではなさそうだし、ささっと食べて教室に戻ってしまおう。


「ねえ」

「んも?」


 ご飯を頬張っているところだったので、変な声で返してしまう。


「……んぐ。なに?」

「どうしてそんなによそよそしいの? 小学生のころ、同じ教室に通ってたのに」

「…………」


 おっ、覚えてたっ!?


「優月?」

「え、ええっとそれはなんというか、久しぶりだったというか、私だけ覚えてたらなんか変な子みたいに思われるかなって。あはは……」


 適当に理由を並び立てる。


 というか、覚えてるなら言ってくれてもいいのに。……いや、それはそれで私が卓球部に勧誘されるネタになりそうだからこれでいいのか。


「……忘れるわけ……ない……」

「え?」

「なんでもない」


 それより、と彼女はこちらを一瞥してから、


「卓球部には入部しないんだね、優月」

「う、うん」


 なんだろう、彼女の声が小さいせいなのか、込められた感情をうまく読み取れない。


「せっかくの高校生だから、違うことやってみようかなーって、あはは」


 それっぽい理由を言って笑ってみる。別に嘘を言っているわけじゃないし。


「……そう」


 それだけ言うと、青原さんはビニール袋からパンを取り出して食べ始めたので、私も合わせ鏡のようにお昼ごはんを再開する。


「……」


 ごはんに集中すればいい、というのは頭ではわかるけど、隣に人が、それも青原さんがいるとなるとどうしても気になってしまう。この人は今、どんなことを考えているんだろうか、なんてわかりもしないことを思い浮かべる。


 思っても仕方ないから、私は箸を動かす。ひたすらお弁当をつまむ。今日もから揚げがおいしいなあ。お母さん渾身の冷凍食品だけど。


 すると、またしても隣から声が聞こえた。


「ねえ」

「?」

「今どんなのはいてるの?」

「うぇっ!?」


 唐突に開かれた青原さんの口、そして質問に、思わず箸でつかんだから揚げを落としそうになる。


「い、いきなり何を」


 今どんなのはいてるか、だって? はいてる、はいてるってことはスカート……くつ下、なんかじゃないよね。ってことはまさか。


 パンツ……?


 お弁当が乗った膝が勝手にぷるぷるするのを感じる。え、パンツだよね? そりゃあ今日は割とお気に入りの水色のやつで、リボンもついてて……ってそういうことじゃなくて!


 女の子の私に、ふたりっきりのこの状況でそんな質問をしてくるってことは、青原さんってそっちの人? 昔から? 中学生の時に何か目覚めた的な? いやいや否定するつもりは全然ないけど、やっぱり心の準備ってものが……っていうよりそういうのはもっと段階を踏んでからだよ!


「そ、それは私たちにはまだ早いんじゃないかな……?」

「優月?」

「そういうのは、もう少しお互いを知ってから……ね?」


 おそるおそる、理解を求めるように青原さんの方を向きながら言うと、彼女は意味がわからないといわんばかりに眉尻を下げて、


「私は優月がどんな卓球シューズ履いてるか、知りたかっただけなんだけど」

「えっ」


 シューズ? パンツじゃなくて?


「なあんだ、シューズのことか。よかった」

「何のことだと思ってたの?」

「い、いやいや別にこっちの話だから。シューズだよね、シューズ。私は今……というか中学の時のやつそのままだから――」


 思い出しながら、シューズのメーカーを口に出す。

 正直、どこの会社のシューズかなんてあんまり気にしてない。店員さんに勧められるままに買っただけだし。でも意外と高くて痛い出費だったことは覚えてる。


「そうなんだ。じゃあ、ラケットは? ラバーは?」

「えっ、えっ?」


 矢継ぎ早に飛んでくる問いかけに、私はしどろもどろになる。青原さんってこんなにしゃべる人だったっけ……?


「ええと、ラケットは――」


 ぼやける記憶を手繰り寄せて答える。


「やっぱり、優月もあれ使ってるんだ。使いやすいよね、あのラバー」


 うろ覚えをそのまま口に出した答えだったけど、青原さんは身を乗り出すようにこちらを向いて話す。心なしか、いつもよりトーンが高いような。


「う、うん」


 私は彼女の新たな一面に、気圧されながら相槌を打つことしかできなかった。


 結局、ごはんを食べ終わってからも、青原さんの質問に私が答える、という図式が続いた。話題はもちろん卓球。私としては話題を振ってくれたから沈黙にならずに済んでよかった面もあるけど、もっと違う話にしてくれた方がうれしかった。


 卓球の話なんて、今さらしても意味ないし。週末を過ぎれば、もうしないんだから。


「あ、もう予鈴」


 学校中の空気に、機械的な音が充満していく。


「も、戻ろっか」


 心の片隅で安堵しながら、ベンチから立ち上がる。


「うん。また、放課後に」

「そ……そうだね」


 言われて、来る放課後のことが頭に浮かぶ。いやいや、週末が試合だから、練習は今日で最後だ。耐えろ、赤城優月。


「ねえ優月」

「な、なに?」


 まだ何か訊かれるのかな。


「試合、がんばろうね」

「えっ?」

「私も期待、してるから」

「あっ、うん……」


 言葉をかける青原さんは、いつも見る無感情な表情。だけど、眼差しはどこか真剣だ。


 そんな彼女に、私はうまく表情を作ることができない。


「じゃあ、また」


 それだけ言い残して、教室から出てきた時と同じように、逃げるような足取りで校舎へと戻る。

 道すがら、彼女の言葉が反芻する。


 期待、されてる。

 勝たなきゃ、ってことなんだよね……。

 制服の上から、胸をつかむ。お腹のあたりが重たい気がしたのは、さっき食べたばかりのお昼ごはんのせいだけじゃないのが、はっきりとわかった。

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