第13話 楽しい場所に、私はいらない

 ウメちゃんの喫茶店を出て駅に着くころには、辺りはすっかり薄暗くなっていた。もう4月とはいえ、やっぱり日が落ちるのはまだ早い。


 家が近くだという瑠々香るるか部長と青原あおはらさん、そして帰りが私とは反対方向だという杏子きょうこちゃんと別れ、私はひとりホームへ向かう。


 と、丁度電車が停まっていた。


「わ、わ、乗りまーす!」


 身体が車内に入りきると同時、ドアが閉まる。直後、おそらく私に向けてであろう、駆け込み乗車はおやめくださいというアナウンスが流れた。


 そんなこと言っても1本逃すのは死活問題だよ……。東京みたいな都会と違って数分おきに電車がくるとかじゃないんだから。


「ふう……」


 走ったことで乱れた呼吸を整える。


 下りる駅までまだだし、座れないかな。

 なんて考えながら周囲を見回していると――


「おー、ゆづっちじゃん」

「あっ」


 6人がけの座席の丁度真ん中あたり。つい数時間前まで卓球場で一緒に過ごしていた千穂ちほ先輩が腰かけていた。


「お、おつかれさまです」

「おっつおっつー。あ、そうかウメちゃんとこ行ってたんだっけ」

「は、はい」


 予想外の出会いに、その場で立ったまま硬直していると、


「ん」


 と、千穂先輩が隣の空いたスペースをぽんぽんと叩く。座れ、ってことだろうか。


「失礼、します」


 おそるおそる、ちょっと隙間を空けて、私は座った。


 車内は規則的に揺れており、落ち着かない私の心もゆらゆらと揺れ動く。私が下りる駅まであと5つ。それまでどうやってこの場を過ごしたらいいんだろうか。妙に肩に力が入っているのは、ラケットが入って重たくなったリュックを背負っていたからだけじゃないと思う。


「それで、どうだった?」


 こちらから話しかけるかどうか悩んでいるうちに、隣の千穂先輩は訊いてきた。


「えっと……強烈でしたね。ああいう人ってテレビの中だけだと思ってました……」


 脳裏に浮かぶのは、ウメちゃんの力強いウィンク。あんな人と仲良く話せる瑠々香部長も相当変わっていると思う。


「あー、いやいやそうじゃなくて。部活、どうだったかなーと思って」

「部活、ですか」

「そそ。ちゃんと練習参加すんの初めてっしょ? 先輩としては、後輩ちゃんがどんな風に感じたのか率直に気になるのです」


 にひー、と笑みをこちらに見せる。電車の揺れに合わせてお団子頭も揺れた。


「ええと……」


 奇しくもついさっき瑠々香部長と同じ質問で、答えに窮する。


 何か答えを考えないといけない、かすかな焦りを覚えて対面の窓の外に視線を移す。目では到底追い付かない速度で変わる薄暗い景色を視界にとらえながら、今日の練習を思い出す。


「あの、その前に1つ聞いてもいいですか」

「ん? なんでもござれー」

「いつも、練習はあんな雰囲気なんですか?」


 訊くと、千穂先輩は首をかしげて、


「あんな雰囲気?」

「なんて言ったらいいかわかんないんですけど……みんな楽しそうっていうか。あっ、別に真剣に練習してないように見えたとかそういうんじゃないんですけど」


 先輩たちは紛れもなく真面目に練習に取り組んでいた。だけど、その中には間違いなく笑顔があった。卓球というスポーツを、楽しんでいるような笑顔。それは私にとって、理解の難しいもののように思えた。もしかしたら、新入生の私たちが馴染みやすいようにわざとそんな雰囲気にしているのではないか、と。


「うん、いつもあんな感じだよ」

「そ、そうなんですか」


 即答。どうやら、嘘ではないみたいだ。


「もしかして、ゆづっち的にはもっと体育会系のストイックなやつが好みだった? 水を飲むなー、汗を飲めーみたいな」

「い、いやいや。そんなことは全然。ただ……」

「ただ?」

「あっ、いえ! なんでもないです」


 ただ、こんな雰囲気の中で練習するのは初めてだと思った。少なくとも、中学の時のそれとは、全く違った。


 そして、つい数十分前に瑠々香部長に訊かれた時からずっと考えていた返答を、私は口にすることにした。


「楽しかった……と思います」

「おお! そかそか! よかったよー、せっかくウチに入ってくれたんだから、やっぱりそういう気持ちでいてくれた方が先輩としてもうれしいからさ」


 オーバーリアクションで胸をなでおろす千穂先輩。2年生を示す青のリボンが跳ねた。


「は、入ったわけじゃないですから。助っ人ですから」

「まーまー、そう固いこと言わずにさー」

「は、はあ……」


 私の答えは、嘘ではなかった。


 だけど、それは私があの場所で卓球を続ける理由にはならない。


 私には、資格がない。私では、みんなが楽しいと思える空間を、台無しにしてしまう。


 だからこそ、私はあの場所にいるべきではない。一刻も早く、去るべきだ。


 タイムリミットの週末の試合に想いを馳せながら、私は電車での残りの時間を潰した。

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