第12話 OB?OG?どっち?
運動部が部活終わりに寄るところといえば、どこだろうか。
例えばコンビニ。例えばファストフード店。あるいは、ファミレス。なんにせよ、運動部=放課後は寄り道、という図式が私の中で勝手にできあがっていた。実際、私も中学の時は帰りにコンビニやファミレスに寄ったりした。
八高卓球部もその偏見に漏れることなく、練習終わりに瑠々香部長が放った「新入生たちよ、今日はみんなをいいところに連れってあげようー」という一声によって、私たちは(半ば流されるように)真っ直ぐ駅へと向かわずに寄り道をすることになった。
ここまでは予想の範疇である。
行き先が、古びた喫茶店であることを除けば。
「ここ、ですか……」
大きめの通りからはずれた、裏手の道。日影が多く、知っている人しかたどり着けないような場所に、その喫茶店はあった。
目の前の建物を見て、思わず私は息をのむ。隣に目をやれば、青原さんと杏子ちゃんもシンクロするように目を丸くしている。
洋風の外装……なのだろうけど、そこら中に生えたツタのせいではっきりとは判別できない。中を見てみようにも窓にもツタが侵食していてさっぱりだ。入り口に掲げられた看板も、字が薄れてしまっていて見えない。
本当に営業、してるのかな。
「中々いい雰囲気のお店っしょ?」
「は、はあ」
いい、のか。一歩間違えたらホラー映画なんかに出てきそうなんですけど。
「さあみんな、入るよー。ボクについてきたまえー」
言って、瑠々香部長が先陣を切る。
「さすが千穂先輩に『心して行くべし』と言わせるだけはあるね」
「う、うん」
こそこそと杏子ちゃんと話す。
「さあさあ、早くー」
急かされて、私たちも続く。
ま、まあこういうところって意外と中は普通というかオシャレだったりするから、そんなに構える必要もないよね?
なんて思った自分を、直後に後悔することになった。
「アラー! いらっしゃい! 瑠々香ちゃんじゃなーい!」
「うえっ!?」
舌の付け根まで口の外に出たみたいな酷い声になった。でも、これはさすがにしょうがない。
だって。
入店して出迎えてくれたのが、いわゆるオネエと呼ばれる種類の人だったからだ。
「やほー、来たよー」
「久しぶりねえ。てっきりアタシのことなんて忘れちゃったのかと」
「いやいやー、こんなきれいな人、忘れるわけないじゃん」
「ヤダもう、瑠々香ちゃんたらお上手なんだからぁー」
「……」
どうして部長はこんなにも流暢に会話ができているんだろう……。
「丁度いいタイミングだわ。今はアナタたちの貸し切りよ」
「今は、ってこの時間はいつもボクたちの貸し切りみたいなもんじゃん」
「まあ! 失礼しちゃうわネ!」
身長180センチはあろうかという屈強な肉体と筋肉が、着ているバーテン服の上からでもはっきりとわかる。かと思えば、歌謡歌手を彷彿とさせるハスキーボイスに、キラキラのラメが入った化粧が眩しい。
「これでも最近忙しくて、バイトの子を増やそうかと思ってるのよ」
「はえー、そりゃ大変だ」
仲良さげに会話するふたりをよそに、私の身体は未だに硬直してしまっている。
「「……」」
隣を見れば、さすがの青原さんも杏子ちゃんも面食らったのか、表情が固まっている。
「あらあら! 今日はおニューのかわい子ちゃんたちがいるじゃない!」
「でしょー? 今年の新入部員ちゃんたちだよー」
「まあ3人も!? よくやったじゃない! さあさあこっちいらっしゃ~い」
ブンブンブン! と大きく手を振って迎え入れる彼(彼女?)に抗うことなどもちろんできずに、カウンターの席へと案内される。端から瑠々香部長、杏子ちゃん、私、青原さんの順で丸イスに腰を下ろす。
「さすがにみんな驚いてるようだし、紹介しておこっか」
「アラ、アタシの美しさに驚いてるってことかしら?」
「そんなわけないっしょ。ウメちゃんの第一印象がえげつないからだよ」
「えげつないなんてひどい!」
言って、カウンターの向こうに立つ「ウメちゃん」と呼ばれたオネエさんは、涙を流しながら、どこからともなく取り出したハンカチを噛みしめた。
「そんじゃまあ気を取り直して、この人がここのマスターだよ」
「マスターなんて堅苦しいのはやめてよぉ~。気軽に『ウメちゃん』って呼んでネ」
「ちなみに、ウメちゃんは我らが八高卓球部の卒業生なんだよー」
「そ、そうなんですか……」
ちなみに、扱いとしてはOBかOGのどちらになるんだろう。それは考えたらダメな気がしてきた。
「ウメちゃん。この3人が今年の新入部員だよ。奥から順に、青原華ちゃん、黄粉杏子ちゃんに、赤城優月ちゃん」
「ちょ、ちょっと部長! 私は入部してませんってば」
「そうなの?」
「あ、あの。私はその、なんというか……」
「ごめんごめん。赤城ちゃんは週末の試合の助っ人なんだよ。ボク、この前突き指しちゃってさ」
「アラ、突き指だなんて、大丈夫?」
瑠々香部長は、小指に包帯の巻かれた右手を見せびらかすように、
「大丈夫だってー、ちょっとすれば治るから。ま、そんなわけだけど赤城ちゃんもボクたちの仲間みたいなもんだよ」
「な~んだ~。それじゃあ、アタシとも仲良くしてね?」
ばちこーん。という効果音が聞こえてきそうなウインク――を、私は反射的に目を逸らしてかわした。なんとなく、正面から受け止めたらやられそうな気がしたからだ。たぶん心とかその辺りが。
「よ、よろしくお願いします。マスターさん」
「ヤダ~、そんな他人行儀じゃなくて愛をこめて『ウメちゃん』と呼んでちょ・う・だ・い」
「は、はあ……」
「杏子ちゃんに華ちゃんもヨロシクネ」
「あはは……うっす」
「よろしく、お願いします……」
ふたりも何らかの身の危険を本能的に感じ取っているのか、目線が泳いでいる。
「そんじゃウメちゃん。新入生ちゃんたちに例のアレ、よろしくー」
「ンフフ。そうくると思ってたわ。すぐ準備するから待っててちょうだい」
何やら意味深な会話をしたと思ったら、マスターさん、もといウメちゃんは暖簾をくぐってカウンターの裏へと歩いていった。
「あの~部長。例のアレって、何すか?」
おそるおそる杏子ちゃんが訊く。しかし、部長はニンマリと笑うだけで、
「それは来てからのお楽しみ~」
「そう言われると、めっちゃ不安っす……」
「ボクも通った道だから! 心配することないって!」
「ええ、なんすかそれ……」
うへえ、と杏子ちゃんは口を△の形にして懐疑的な態度を示す。正直、私も表に出さないだけで同じ気持ちだった。隣の青原さんがどうかは知らないけど。
「それはそうと」
くるり、と瑠々香部長は丸イスを90度回転させて、
「どう? 部活は?」
「それはもう、楽しいっす!」
「はい、充実してました」
私の両隣に座るふたりが口々に答える。
「にゃははー、ならよかったよー。赤城ちゃんは?」
「えっ……と」
どうなんだろう、どう思ったんだろう、私は。中学の部活以来のちゃんとした練習。
「私は……」
「お待たせ~」
言葉を紡ぎ終えるよりも先に、軽やかな口調とともにウメちゃんが戻ってきた。
彼女の手(もう『彼女』と考えることにした。『彼』にしたら怒られそうだと思ったからだ)にはさっきは持っていなかったお盆。
そして、その上には深い緑色の液体の入ったグラスがあった。それも3つ。
「さあ! どうぞ~」
笑顔を浮かべながら、不穏なグラスを私たち1年生の前に順番に置いていく。
「えっ、と……これは」
理解の追い付かない状況の中、私はなんとか言葉を絞り出す。それに呼応する形でウメちゃんは、
「お代は気にしなくてもいいわヨ! これはサービスだから」
再びばちこーん、というウインク。
「毎年、新入部員の歓迎の意味を込めて、ウメちゃんが名物の特製ドリンクを出してくれるんだよ」
「特製ドリンク、っすか」
「まー入部の儀式みたいなもんだからさ。気にせずグイッといっちゃってよ」
「そう言われましても……」
私は今一度手元に置かれたグラスを見る。近くで見ると入っている液体の緑がより濃く感じられる。例えがひどいかもだけど、まるで絵の具を溶かしたみたいな色だ。野菜、お茶……それとも違う何かなのか、中身が全く想像できない。
「毎年ってことは、去年は千穂先輩とつむぎ先輩も飲んだってことっすか?」
杏子ちゃんは、引きつった笑みを浮かべながらグラスを見つめる。
「そのとおり! いやー、あの時のふたりの顔といったらおもしろか――いや、美味しそうに飲んでたなー」
「なんか今すごい不穏な単語が聞こえたんですけど……」
「まーまー、新入生諸君よ。ここは騙されたと思って一気にグイッと! さーさー」
瑠々香部長がはやしたてる。そんなこと言われても……。
「ヤダも~心配しなくてもいいわよ。とーっても身体にいいモノばっかり入ってるから」
ぶっちゃけフォローになってない。身体によくてもおいしくないものなんてこの世にどれだけあることか。
ごくり。
今まで見たことのない色の飲み物。故に、味の想像もつかない。
しばし眼前のグラスとにらめっこを続けていると、
「……いただきます」
小さな声で沈黙を破るとともに、青原さんがグラスを手に取り、飲み始めた。覚悟を決めたようで、さながらその飲みっぷりは仕事終わりに家でビールを飲むお父さんのようだった。
「おおー!」
「青原さん、すごい」
目を輝かせる瑠々香部長と、対照的に心配そうに見守る私と杏子ちゃん。
そして時間にしてみればあっという間に、
「……ご、ごちそうさま」
「お粗末さま。言い飲みっぷりだったわよ」
空になったグラスをマスターさんに渡す。
「じゃ、じゃあわたしも!」
「おお、杏子ちゃんもいけいけー」
勢いに乗る形で、杏子ちゃんもグラスに手をかける。ぎゅっと目をつむって飲み始める……がひと口含んだところで目を見開いた。
「~~っっ!!」
しかし、そこから再びまぶたに力を込めると、ほぼ一気に飲み干した。
「っぷはあー! 飲みきりました!」
「さすが杏子ちゃん、ガッツあるねー。美味しかった?」
「うっ、まあまあ、ですね……」
「独創的な、味でした……」
答えるふたりの顔は、どこか引きつっていた。というかガッツが必要な飲み物ってなんなんだ。
「ほらー、赤城ちゃんも」
「わっ、私ですか!?」
そりゃこっちに矛先が向かってくるのは当然か。ふたりとも飲んだわけだし。
改めて、眼前のグラスに目をやる。透き通っていないその中身に、私はなんとなく自分の心を投影してしまう。
部長もウメちゃんも、好意でここまで連れてきてくれて、ドリンクを用意してくれた。飲まなければ失礼にあたるのは、私でも理解できる。
でも……。
「わ、私は……遠慮しておきます」
「アラ、いいの?」
「せっかく用意していただいたのにすみません。でも、これが新入部員の歓迎だっていうのなら、私はやっぱり飲むべきじゃないと思うんです」
ここで飲んでしまったら、もう後戻りできないような気がした。部の一員になって、再び卓球を始めて。昔と同じことを、繰り返して。
あくまで私は今度の試合の助っ人まで、という約束で、ここにいる。
その一線は、超えちゃいけない。
「……ま、赤城ちゃんがそう言うならしょうがないか。ボクの代わりに出てもらうだけって約束だし、無理強いはできないね」
「そうネ。ごめんなさい」
「い、いえ、私の方こそごめんなさい」
「いいのよ。でも、飲みたくなったらいつでもいらっしゃい? それに、なにか悩みがあったらいつでも相談に乗るわよ? 乙女だもん、色々考えちゃうわよね」
「は、はい……」
そう言ってほほ笑むウメちゃんの顔を、私は直視することができなかった。
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