第6話 デモンストレーション

「それじゃあ、杏子ちゃんには基本的なことから教えていくわね」


 体操服に着替えた私と杏子ちゃんを、にっこり顔で出迎えながら、めぐ先輩は言った。


「優月ちゃんには当たり前のことかもしれないけど……ごめんね?」

「あはは、ぜんぜんいいですよ……」


 教えてもらうだけなら私も打たなくて済むし。


「まずは……ラケットの種類からかな。ラケットには2種類あって――」

「知ってます! ペンとシェークですよね?」

「おお! 杏子っちよく知ってるな!」

「この間テレビでやってるの見たんで!」

「知ってくれてるなら、話は早いわね」


 言って、めぐ先輩は2本のラケットを卓球台に置いた。


「シェークがこっち、ラバーを両面に貼ってあるラケットね。ペンのラケットには片方の面にラバーが貼ってあることが多いわ」


 それぞれのラケットをくるくると回しながら、ラバー――ゴムとスポンジでできたシートが貼ってあることを見せる。


「最近じゃあシェークから始める人が多いんだけど、杏子ちゃんはどうする?」

「んーと……優月はどっち使ってたの?」

「えっ、私?」


 急に話を振られて狼狽しながら、


「私は、シェークだったけど……」

「じゃあわたしもそうする!」


 即断即決。っていうか私と同じとかそういう理由でいいんだ。


「わかったわ。じゃあしばらくはこのラケットを使ってかまわないから」

「いいんですか!? ありがとうございます!」

「部の備品だし、気にしなくていいわよ。用具を一式そろえるってなったらお金も結構かかるからね」

「そうそう、しばらくはそれをマイラケットだと思って使えばいいよ!」


 めぐ先輩の言うとおり、卓球の用具はそこそこ値段がはる。ラケットは1万円前後かかるし、ラバーだって1枚4千円くらいするのだ。しかもラバーに至っては消耗品なので、定期的に替える必要がある。学生にとっては痛い出費だ。


 さて。杏子ちゃんも部になじみ始めてるみたいだし、私はそろそろフェードアウトしてもいいかな。

 そう思って一歩後ろに下がりながら、


「じゃあ私はそろそろ――」

「ねえ優月! せっかくだからちょっと打ってるところ見せてよ!」

「え?」


 ぐりん、と杏子ちゃんはこちらに笑みを向けてきた。


「おお! 杏子っちそれは名案だ!」

「うん、私も見てみたいな」

「ぜひ……どうぞ……」


 先輩たちも同意して、またしても四面楚歌に陥る。


「いや、でも私ラケット持ってきてないですし」

「大丈夫! これ使っていいから! いいですよね? 先輩」


 杏子ちゃんは手にしている備品のラケットを差し出す。


「もちろんだよ!」

「あ、はい。どうも……」


 そう言われてしまっては、受け取るしかない。ここですっぱり断れるなら、最初杏子ちゃんに誘われた時に断っている。


「んじゃー私と打とう。ほらほらカモーン」


 いつの間にか、千穂先輩が台の反対側で構えている。経験者の新入生がやって来たことがよほどうれしいのだろう。私は少しばかり逡巡してから、台についた。


「お願い、します」

「じゃあフォアクロスからねー」


 めぐ先輩の声を合図に、私と千穂先輩はラリーを始める。


 フォアクロス――台の中央に立って、お互いの身体の右側へと台の対角線を結ぶように打ち合う(右利きの場合)。最も基本的ともいえる打ち合いで、ウォーミングアップなどでもよく行われる。


 カコン、カコン、カコン、カコン。


 私と千穂先輩の打球が、一定の調子でリズムを刻んでいく。


 まさか、この音をまたこんな間近で聞くことになるなんて……。

 ましてや、自分が奏でる側になるなんて。


「おおー!」


 背中に杏子ちゃんの歓声を浴びる。まだ全然力も入れてないし、打球スピードも速いとは思わないのだけど、初心者から見れば話は違うのかもしれない。


「優月ちゃん、あんまりなまってる感じしないね。受験の時はやってなかったんでしょ?」

「は、はい」


 たしかに、中学3年の時に卓球部を引退してから約半年、ボールはおろかラケットすら触れていなかった。なのに、不思議と感覚のなまりがない。だけどそれは卓球部に入るつもりのない私にとって、別段喜ばしいことではない。


「ちなみに、ゆづっちはいつから卓球やってんの?」

「えっ? えっと、えっと……小6……です」


 あ、しまった。ラリー中だから、思わず正直に答えてしまった。


「すごっ! めぐ先輩これはすごい逸材を発掘してしまったかもしれないっす!」

「スーパー……ルーキー」

「ブランクを感じないのはそういうことなのね。小さい頃からやってるから」

「だ、だから私は入部しませんってば! それに小学生の時は小さな教室に通ってただけですから!」


 私の声と、ピンポン球の音が虚しく卓球場内に響いていく。


 そうしてしばらくラリーを続けたあと、


「ほいじゃあゆづっち。強く打ってみ? ブロックして返すから」

「えっ!? あっ、はい」


 慌てて答えると、千穂先輩は少しゆるい球を返してきた。打ちやすいように、ということだろう。


「じゃあ……いきます」

「いいよー」


 ふわり、とピンポン球が空中を泳ぐように漂い、徐々に近づいてきて、私のコートに跳ねる。


 それに狙いを定めて――ラケットを振った。


 ガッ!


「えっ?」


 一瞬、何が起きたのか理解が追い付かなかった。しばらく遅れてから、私の打った球が千穂先輩のラケットを弾いたということを認識した。


「優月すごい! かっこいい!」

「なんて力のある打球なの」

「いい、球……」

「え、えと」


 遅れて後ろから次々と私に向けて放たれる称賛の声。それに困惑していると、今度は前から千穂先輩が一層声を弾ませて、


「ゆづっち、すごいじゃん! こんないい球打つなんて、中学でけっこういいところまで勝ち上がったりしてたんじゃないの?」

「い、いやそんなことはぜんぜん……」

「ベスト8? ベスト4? それとも全国に出たりした?」

「そんな、ぜんぜん違いますって……」


 幾重にも重なる期待の声に、私の心は鉛のように重くなる。


 違う、違う。そうじゃない。


 本当の私はこんなんじゃ――


「あ、あはは……私、ボールとってきます」


 これ以上視線を集めたくなくて、私は飛んでいったボールを拾いにいく。


 ボールは、と……あった。


 入口の扉付近でボールを見つけて、屈む。すりガラス越しの光がまぶしくて、なんだか私の周りだけ暗雲が立ち込めているみたいだ。このまま扉から出て帰ってしまおうか。なんて考えが頭をよぎる。


 そんな考えを天が察知してくれたのだろうか。


「え?」


 目の前の扉が、ゆっくりと開いた。


 見上げる。そこには、女の子。


 制服についた緑のリボンで、私と同じ1年生だということはすぐにわかった。


 つややかな黒髪を頭の高い位置でポニーテールにまとめている。黒い眼と、滑らかな鼻筋。雑誌に載っているモデルみたいな顔立ちだ。

 開けた目の前に人がいることに驚いたのか、屈んだまま硬直する私に目を見開く。数分にも思える時間、お互いの顔を見つめ合う。その後、彼女は室内全体へと視線を移すと、こう言った。


「すいません。入部したいのですが」

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