第7話 3人目の新入部員

 結局、私と杏子きょうこちゃんが卓球場を後にしたのは、6時を回ってからだった。太陽はそのほとんどを地平線の彼方へ姿を隠しており、辺り一帯がオレンジに染まっている。


 駅までの道を歩く私たちの足取りは対照的で、


「いやー楽しかったー」

「疲れた……」


 各々感想を述べる。どちらの歩調が重いかは言うまでもない。


 あの後もめぐ先輩たちから熱烈なアンコールを受けて、何度もラリーをすることになった。本当は杏子ちゃんを部まで案内してすぐに帰るつもりだったのに。

 ホント、人生は思うようにいかないものである。


「おつかれー優月ゆづき。でもあんないい球打って、ホントに卓球部には入らないの?」

「う、うん……」

「先輩たちも、いい人ばっかりだったじゃん」

「それはまあ、そうだけど」


 最初、千穂ちほ先輩に捕まえられた時はビックリしたけど。


 だけど、いい人たちだからこそ、私が入るわけにはいかない。私が入ることで、あの人たちの和を、乱すことになるから。


「それにしてもあの人、なんかすごかったねー」

「あの人って……青原あおはらさん?」

「そうそう。わたしたちと同級生なのになんか大人びててさー」


 青原はな。私たちの後にやって来た、黒髪ポニーテールの新入生。教室で見かけたことがないから、きっと私たちとは違うクラスだろう。


「なんか近寄りがたい雰囲気だったよねー」

「それには私も同意するよ」

「わたしがあいさつしても『よろしく……』としか言わなかったしー。嫌われちゃったかなー」


 彼女は自己紹介してから入部したい旨を先輩たちに伝えると、卓球場の奥にある部室で早々と着替えて練習に参加し始めた。同じ新入生の行動とは思えない。


「でも、優月は嫌われてないでしょ。なんかチラチラ見てたよ、優月のこと」

「えっ」


 気づかなかった。正直、いかにして早くあの場を抜け出せるかに必死だったし。


「あの人も経験者みたいだったじゃん? 友だちとかじゃないの?」

「う、ううん。違うよ」


 そっかー、と杏子ちゃんは手を頭の後ろに組んで空を眺める。


「しっかし卓球って初心者と経験者の差って大きいよねー」

「うん、そうだね……」

「私もバシバシ打てるようになりたいなー」

「うん……」


 答えながら、私は全く別のことを考えていた。


 青原華。彼女のことを。


 私は、あの人と会ったことがある。


 小学6年生の時に通っていた卓球教室。たしか彼女は私の後から入ってきた。私が先輩ってことで少しだけ教えた記憶はあるけど、それ以上の記憶は残っていない。一緒に遊んだことも、家に行ったこともない。だから、杏子ちゃんが言うような友だちなんて間柄でもない。知り合い、顔見知り、そんなレベルだ。


 それに、今日の様子を見る限りだと、向こうは私のことを覚えてないっぽいし。


「おーい。優月ー」


 そういえば中学に上がる直前、つまりは小学校を卒業した後で県外に引越したんだったっけ。八高に通ってるってことは、こっちに戻ってきたってことなのかな。


「優月ー? ゆづきちゃーん」


 まあ、今となっては関係ないかな。青原さんは卓球部に。私は今日限りな訳だし。


「優月ってば!」

「ひゃっ!」

「あら~、優月ちゃんてばえっちな声出すじゃな~い」

「も、もう! お腹つっつかないでよ、弱いんだから」

「だーって優月が声かけても反応しないだもーん。何か考え事?」

「あ、いや……別になんでもないよ?」

「ほんとかなー? やらしいことでも考えてたんじゃないのー?」

「そんなわけないから」


 本当、テンションの高い子だ。私とは正反対だ。

 正反対といえば。


「ねえ杏子ちゃん」

「およ?」

「なんで今日、私に声かけたの? クラスにもっとその……話しやすそうな人いたと思うんだけど……」


 ふと気になって、訊く。


「あ、別に話しかけてくれたのが嫌だったってわけじゃないんだけど、なんでかなーと思って」

「あーそんなことか」


 何を今さら、といった顔をすると、


「そりゃーもちろん、優月がかわいかったからだよ。クラスで一番」

「かっ、かわっ!?」


 わ、のところで声が裏返った。なんてことを言うんだこの子は。

 あんまりびっくりしすぎてリュックが肩からずり落ちそうになる。


「わ、私なんか、かわいくないって」


 しかもクラスで一番とか、過ぎたお世辞は説得力なくなると思うんだけど。


「いやいやー、かわいいよー」

「じゃあ、たとえばどの辺?」

「たとえば? そうだなー」


 と、杏子ちゃんの口角が上がる。


「苦手なブラックコーヒーを無理して飲んじゃうところとか?」

「えっ、なんで……」

「なんでって言われても、表情でバレバレだって」


 にしし、と悪戯っぽく笑う杏子ちゃん。私は自分の顔が、夕日に照らされたのとはまた違う赤みを帯びるのを感じる。


 ば、ばれてたんだ。……恥ずかしくて彼女の方を見れない。


「だいじょーぶだよ、今度はちゃんとオレンジジュースにするからさ」

「そ、そういうことじゃなくて」

「おっと、もう駅に着いちゃった。じゃあ、わたし反対側のホームだから。優月、また明日ねー」

「あっ、ちょ……」


 私の弁明を聞くまでもなく、彼女の姿は遠ざかっていった。


「そんな顔に出てたかな、私」


 沈みかけの夕日が作る影が1つになったところで、ぽつりとつぶやく。右手で結んだ髪をいじりながら、左手でむに、と自分の頬を引っ張ってみる。

 きっと無意識のうちに、自分の感情が表情に変化をもたらしているのだろう。そして、ポーカーフェイスが良いとされる卓球に、そんな性格は不向きだ。


 やっぱり私は、卓球をやるべきじゃないんだ。


 再確認するように心の中でつぶやいてから、私は改札をくぐり抜けた。

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