第34話 一緒にお風呂
人生で他人とお風呂に入った経験など、数えるほどしかない。
少なくとも記憶にあるのは、小学校と中学校の修学旅行。だけどそれは大きなお風呂にみんなで入るから、恥ずかしいとかそういう感情は抱かなかった。
では、家族ではない他人とふたりでお風呂に入った経験、に絞り込むとどうだろうか。
答えは無論、1回もない。ゼロ。皆無。
「…………」
直立不動でたたずむ赤城優月、15歳。おりますは青原家の脱衣所。
眼前の扉を隔てた向こうからは曇りガラス越しの光と、シャワーの音。脱衣所のスペースにも限りがあるから、時間差をおいて入ろうと提案(ほんとは一緒に脱いで入るというのが恥ずかしすぎたからだけど)し、結果私が後から続くことになった。
扉1枚向こうで同い年の女の子がシャワー浴びてるって、なんだかすごくドキドキする。しかも今からその場に入っていくとなればなおさらだ。
そういえば、図らずも千穂先輩が言っていたアドバイスを実行する形になっている。
本当に、こんなのでダブルスがうまくいくようになるんだろうか……。
ま、今さら言ってもしょうがないか。
恥ずかしさやら緊張やらで鼓動は早くなっているものの、もうどうしようもない。覚悟を決めた、というより最早諦めの境地で、私はお風呂に入る準備をする。服を脱いで、タオルをとって……
「あ」
思わず目に入ったのは、脱衣かごにあった衣類。誰のものかはいうまでもない。そして私が見た、見てしまったのは。
下着。ブラジャー。ランジェリー。
水色を基調としたかわいい系のデザイン。真ん中にあしらわれたリボンがこれまたかわいい。そして極めつけは、
「……私のよりも、大きい」
さっきまで自分が身に着けていたそれと見比べる。青原さん、すらっとしているけど意外と、あるんだなあ。着やせするタイプ、なんだろうか。
「優月?」
「えっ!? なに?」
「どうかした?」
「い、いやいや。入るよ、入りますよー」
ええい、行くぞ私! 中に入っておっきいおっぱいがあってもひるむな私!
自棄になりながら、私は浴室のドアを開いた。
「…………」
「…………」
まあ思い切って突入したからといって、恥ずかしいことに変わりはない。
身体を洗い、ふたりで浴槽につかる。浴槽は足をたたんでちょうど収まるくらいのサイズだった。
ちなみに体制は、背中合わせ。向き合って入るのは恥ずかしいと宣告すると、さすがの青原さんも恥ずかしかったのか、小さく頷いて合意を得た。
そうして、しばし無言で身体を温めているわけである。
「……」
それにしても、この体制に落ち着くまで長かった。髪を洗っていても、身体を洗っていても、目のやり場には困った。いや、髪を洗っている時は目をつむっていたから厳密には困ってないか。
脱衣所で見た下着に負けず劣らず、彼女の胸は立派だった。私の完敗だった。今日は2連敗、黒星2つ。
ほぼ無音の空間の中、時折天井から滴が落ちて、小さく音を立てる。そして、背中にはお湯とは違った温もり。
なんだか、青原さんといる時は静かな時が多い気がする。でも、心なしか以前よりも居心地の悪いものではない。
「優月」
「えっ、な、なに?」
「今日、優月が来てくれてよかった」
いつもどおり、抑揚のない声。だけど少しだけ弾んでいるようにも思える。
「前よりも優月のこと、知れたから」
「そっか」
スマブラが弱いことくらいしかわかってないような気もするけど、青原さんがいいと思ってるならそれでいい。
「一緒にお風呂にも入れたし」
「ええと、それはどういう……」
「千穂先輩から、ダブルペアで仲良くなるには一緒にお風呂が一番って言ってたから」
「……ぶくぶく」
やっぱりあの人の入れ知恵か! 図らずもじゃない、思いっきり図られてる。
次会ったら抗議しよう。そうしよう。
「ねえ青原さん」
だけど。
「なに?」
私はまだ、背中にいる女の子のことを、知らない。
「ひとつ、聞いていい?」
「……なに?」
「どうして私を、卓球部に引きとめようとしてくれたの?」
それは、ずっと気になっていたこと。私ひとりでは、答えにたどりつけなかったこと。
思えば、ちゃんと練習するようになってからも、彼女とダブルスを組むようになってからも、消化不良のように、身体の、心のどこかでゴロゴロと残っていた。
「……」
後ろから、答えは返ってこない。いや、答えに迷っているのだろうか。
「青原さ――」
「ごめん」
「え?」
「先に……謝っとく」
それって、どういう意味なの? そう口にしようとしたところで、ばしゃ、と私の言葉は水音にかき消された。青原さんが浴槽から立ち上がったのだ。
「私、先に上がるから」
「あ……うん」
それだけ言って、浴室の扉を開く。答えて、もらえないのかな。そう思った矢先、
「部屋で、待ってるから」
「……うん」
閉じる扉。ひとり浴室に残る。彼女の言葉、それは「部屋に戻ったら答える」と、そう言っているのだと、私の直感が告げていた。
「……もう少しだけ、あったまっていこ」
水滴のようにこぼれる独り言は、湯気の中に薄れていく。青原さんがいなくなって一気に広くなった浴槽で、私は身体を伸ばすことなく、膝を抱えてじんわりと体温を高めた。
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