第18話 ファミレスとメロンソーダ
やっぱり、女子高生が放課後に行くならファミレスだと思う。
テーブル席に陣取ってドリンクバーだけを頼み、居座る。ドリンクを混ぜて変な飲み物をふざけて作ってみたり。たまにはポテトやデザートも頼んでみたり。そしてなんてことのない話題をとっかえひっかえ、会話に花を咲かせて時間を過ごしていくのだ。
……まあ、それは友だちと一緒に来ればの話だけど。
「ふうー」
授業を終え、電車に乗り、家の最寄り駅で降りてからまっすぐ帰る――ことなく、駅前のファミレスに腰を下ろしていた。
周囲は私の想像通り、何組かの女子高生がテーブル席でだべっている。時折大きめの黄色い声と笑い声。楽しい時間を過ごしているということが、手に取るようにわかる。
「ん?」
携帯が震える。LINEのメッセージ。相手は……杏子ちゃんと青原さんとのグループトークだった。
『いまどこー?』
『ごめん、もう帰ってる』
杏子ちゃんからのメッセージにそう返すと、スマホをリュックの中にぽいと放り込んだ。彼女がどういう意図で訊いてきたのかはわからないけど、私が卓球部の人間であるのは昨日の試合まで。そういう約束だ。
ぺたり、とテーブルに顔をつける。頬にはひんやりとした感触。目の前のメロンソーダのグラスからはしゅわしゅわ、と際限なく気泡が浮かんでは消えていく。そういえば小学生の時に通っていた卓球教室の後、お母さんによくここに連れてきてもらったっけ。メロンソーダを飲んでいいと言われるのがこの場所だけだったから、そわそわしながら訪れた記憶がある。
だけど今はそんな浮き立つような感情はない……のはどうしてだろう。
私はもう、自由なのに。
言い聞かせるように内心繰り返す。助っ人を頼まれた試合は終わり、私が卓球部に行く理由は、もうない。正真正銘、何をするにも自由だ。
今からでも遅くない。他の部の見学にでも行こうか。それとも、クラスの友だちとショッピングもいいかもしれない。いっそのこと、バイトでもしてみるのも悪くない。選択肢はいくつもある。そのどれを選ぶことができる。
それなのに。
「なんで私、ひとりでここにいるんだろ」
いつの間にかテーブルと頬の温度差はなくなり、メロンソーダの炭酸もかなり抜けてしまっていた。
これから、どうしよっか……。
急にカゴから出された鳥の気分だった。どこにでも行けるはずなのに、どこに行っていいかわからない。果てしなく広がる空と景色に対する不安が、出たがっていたカゴをぬるま湯のように居心地のいい場所だと錯覚させてくる。
いやいやいや、私はやるったらやるんだ!
跳ねるようにテーブルから顔を上げ、甘さだけが残ったメロンソーダを飲み干す。そして、リュックの奥底からシワシワになった紙きれを取り出した。
部活動リスト。杏子ちゃんに卓球部に誘われてから見ることのなかったそれを、再び眺める。
やっぱり、文化部だよね。とりあえず明日見に行くのは……。
「あれ? 赤城?」
名前を呼ぶ声で、部をリストアップするという思考はバラバラと崩れていった。
「まさかこんなとこで会うなんて。てか何、ひとりなの?」
「黒部さん……」
つい昨日、試合会場で再会を果たした昔の、中学時代のチームメイト。しまった、地元のファミレスなんか来ると、こういうことが起こりうるのを想定しておくべきだった。
「丁度よかった、満席だから座ってもいい? 誰も一緒じゃないならいいよね」
私の答えを聞く前に、彼女は肩にかけたスポーツバッグを下ろし、対面の席に腰を下ろした。間髪を入れずに手を上げて、入り口の方に向かって、
「
名前を呼ぶ。ほどなくして、眞白さんもやって来て黒部さんの隣に座る。完全な2対1の状況のできあがりだった。
ふたりは店員さんにドリンクバーを頼むと、素早く席を立つ。交代で私もおかわりを入れに行こうと思っていたところを、ついでだから、と黒部さんは私のグラスにメロンソーダを入れてきてくれた。正直私としては、可能な限り対面する時間を短くしたかったのだけど。
「赤城メロンソーダ好きだもんなー。中学の時もそればっかりだったし」
「あはは……ふたりは、今帰り?」
当たり障りのない会話を。そう思って慎重に言葉を、話題を選ぶ。けれど、物事はそんなにうまくはいかない。
「そうなんだよー。昨日試合だったから今日は練習早めに終わっとこうって話になってさー」
「へ、へえー」
「昨日の試合といえば、八高けっこう勝ち進んでなかった? 私らは途中で帰ったんだけど、その時もまだ試合してたよね?」
「う、うん……」
「ベスト8だって、友里音」
隣の眞白さんが、スマホを見せる。ホームページに結果が掲載されているらしい。
「うわっ、すっご。私ら予選で負けたっていうのに。学力で負けてるのに卓球も負けてるとか立場ないじゃーん」
大げさにだらり、とイスにもたれかかる。かと思えば、急に身を乗り出してきて、
「で、赤城はどれくらい勝ったの?」
「あ、えっと……」
「……」
目を逸らす。その先の眞白さんと目が合った。氷のような冷めた目だった。
私は行き場を失った手で、サイドに結んだ毛先をいじる。
「その……」
「……ふーん。やっぱ、そうなんだ」
はっきりと答えないことが答え、そう認識したようで、黒部さんは何かを悟った口調へと変わる。
「結局、外の試合で勝てないのは、相変わらずなんだ」
黒部さんの声を、私はただ聞く。次第に、視線は彼女たちからテーブルへと下りていく。
「懐かしいよね。中学の時も試合の後こうやって3人で反省会とかしたっけ」
黒部さんが話し、私が黙って聞く。
「……」
おもむろに、黒部さんは言葉を紡ぐのを止める。
そして静かに息を吸った直後、言った。
「なんでまだ続けてるの? 卓球」
「え……」
「いや続けるのは自由だけどさ。ってこれ前にも言ったっけ、まあいっか。私、赤城が高校でも卓球やってる理由がよくわかんないんだよね」
グラスに刺さったストローをくるくると回しながら、言う。
さっきまでと同じように話しているはずなのに、声のトーンは明らかに異なる。
「それ……私も知りたい。話して、ほしい」
ほぼ無言を貫いてきた眞白さんも、重ねてきた。
「え……っと」
なぜだろう、私は答えに窮してしまう。ただ答えればいいはずなのに。
「赤城だってわかってるでしょ? そうやってまた、周りの人に迷惑かけていくって。どっちかっていうと、親切心で言ってあげてるんだけど」
「……」
「もうやめといた方がいいと思うんだけどなあ」
「……」
ただ一言、言えばいい。あれは助っ人で試合に出ただけで、もう高校で卓球をするつもりはないのだと。
そう返せばいいだけなのに。
私の口から、その言葉は出てこない。
なんでだろう。
私は。
私は――
「それは、優月が決めることだと思う」
凛とした、声。反射的に、うつむいていた私の顔は、再び上がった。
「青原……さん?」
夜空のようなつややかな黒髪の女の子が、立っていた。
どうして、ここに?
「えーと、どちらさん?」
「優月の同級生で、同じ部活の友だち」
その言葉に、迷いは見られない。友だち? 私のことが?
「ふーん……」
青原さんの突然の登場に驚きはしたものの、黒部さんは値踏みするように見た後、私に向かって、
「よかったじゃん、赤城。こう言ってくれる人がいて」
「あ、その」
「昔は私たちで、今はこの人ってわけなんだ」
「……なにが言いたいの」
静かに、それでいて芯の通った声の青原さん。
「赤城の迷惑を被る相手のことよ。部活仲間なんでしょ?」
「迷惑なんか、全く思ってない」
「今は、ね。そのうちわかるから」
両者の間には火花、というより凍り付いた何かがせめぎあっていた。言い合いに発展しそうだから止めに入りたいのは山々だけど、私に割って入る隙が感じられない。
「……随分と信用してるのね、赤城のこと」
「当たり前」
即答する。
だけど、正直私には彼女がそこまで自信ありげに言う根拠がわからない。
なんでそんな風に言えるんだろう。
「言ってもわかんないかあ」
そう言ってから、黒部さんは切れ長の目を細めた。
「それじゃあ」
続けて、自分のスポーツバッグに手を入れると、1枚の紙を取り出す。
「今度、オープン大会があるの。種目はダブルス」
彼女が掲げる紙には、大会の要項が書かれていた。
日付は――3週間後。ゴールデンウィーク最後の、日曜。
「赤城とあなたで出なさいよ。私は明日香と出るから」
「……」
隣で眞白さんが頷く。
「組み合わせはわかんないから直接試合することはないだろうけど、一緒に試合に出ればわかるはずよ。赤城が迷惑になるって」
自信ありげな黒部さん。
「赤城も。もちろん出るでしょ?」
「え、あ……っと」
試合? 私はこの前の助っ人の大会で卓球はしないと言ったのだ。今さら試合になんて……出れるわけない。出るつもりも、ない。
断ればいい。潔く負けを認めればいい。
「わかった」
え…………?
言葉を出せずにいる私を差し置いて、青原さんは言った。
「私は優月と出る。そこで、優月は迷惑なんかじゃない、大切な仲間だってこと、証明する」
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