第10話 ラリーは、まるで会話

「流されてる、なあ……」


 つぶやきながら、部室内でノロノロと準備を始める。これからまた、卓球をする。そのことを考えると私の動作は自然と重たいものになっていた。


 家から持ってきたピンクのスポーツウェアとハーフパンツに着替え、汗で濡れてしまわないよう髪を結んだシュシュを外してゴムで結い直す。そして荷物をしまうために空いているロッカーを探していると、


 え、私の名前?


 端っこにある空のロッカーの扉には「赤城優月」ときれいな丸文字で書かれた紙が貼ってあった。私用のロッカー、使え、ということだろう。

 私を入部させる気まんまんじゃん……。


 まあ、せっかく用意してくれたのだ。使わなければそれはそれで申し訳ない。自分に言い聞かせつつ、リュックや着替えた制服、体育で使わなかった体操服の上着なんかをロッカーに放り込んだ。


 ふと、棚に置いてあるスタンドミラーが目に入る。小さな枠の向こう側からは、卓球をする装いになっている私が見つめ返していた。


 つい数日前の入学式の日には、私が放課後にこんな格好になっているなんて想像もしていなかった。

 むしろ入学式の日にタイムスリップして自分に教えてあげたい。影の薄い地味なキャラでもいいからひっそりとした学校生活を送れ、と。

 今さら言ってもどうしようもないけど。


 それでも、癖になっているようで、私は考えてしまうのだ。『もしも』の話を。


 もしも断っておけば。


 もしもあのスマッシュをミスしていなければ。


 もしもあの時……勝っていれば。


「……ねえ」

「はっ! ひゃいっ!」


 扉の外――練習場から青原あおはらさんの声。ぐるぐると考え込んでいたせいで裏声が出てしまった。


「もう準備、できた?」

「う、うん」

「そう……じゃあ練習しよ」


 それだけ言うと、彼女の気配が扉から離れていく。


「……」


 練習、か。


 持ってきた自分のラケットを手に取る。両面それぞれに赤と黒のラバーが貼られたそれは、中学3年生で引退してから、今日まで一度たりとも握っていない……はずなのに、手にぴったりとフィットする感触がした。



 練習場に戻った私は、準備体操もそこそこに、早速卓球台を挟んで青原さんと向かい合った。ちなみに練習場には私と青原さんの以外、まだ誰も来ていない。誰か早く来てくれないかな……。


「じゃあ……フォアクロスからでいい?」

「あ、うん。お願いします」


 私が構えたのを確認すると、彼女は手に持ったピンポン球を放つ。


 カコン。


 私は、打ち返す。それを青原さんが、打つ。また私が返球する。そうしてラリーが続いていく。


 カコン、カコン、カコン……。


 私は、相手の顔色をうかがうようなスピードの遅い球を送る。気を遣ってくれているのか、青原さんも同じような調子の球で返してくれる。それはまるで、初対面同士の会話のように。当たり障りのない天気の話題から始めるように。


 しかし。

 そんな様子見をいつまでも続けるつもりはない。


 と、でも言うように、何本かラリーを重ねたところで青原さんは球速を上げてきた。


「っ!」


 驚き身体が止まりそうになる……も、反射神経を駆使して打ち返す。必然的に、跳ね返った私の球も速くなる。


 カッ! カッ! カッ!


 文字通り『打って変わって』小気味のいい音が練習場内にこだまする。


「……! っ!」

「っ! ふっ!」


 一心不乱にラリーを続ける。目がピンポン球だけを追い続ける。卓球台の対角線上を切り裂くようにボールが行き来する。次第に増していくスピード。一分、一秒。時間が他の人よりも長く引き伸ばされたような錯覚に陥る。


 ……なんだろう、この感じ。


 来た球を打ち返すのに精一杯なはずなのに、いや、精一杯だからこそなのか。正体不明の感情が、胸のあたりから染み出してくるのを感じる。わかるのは、ここ数日の生活では一度も感じることのなかったものだということだけ。


 鼓動が速く、大きくなっていく。それは久しぶりの運動だからか、それとも、もっと別の何かなのか――。


「あっ」


 その時。


 青原さんはボールを打ち損じたのか、私のコートにふわふわと浮いた球が来た。


 チャンス……ボール!


「はあっ!」


 考えるよりも先に身体が動いた。無意識に声が出て、私はそのボールを全力で振りぬいていた。


 スパァン!


 今日打った中で一番速い球が、青原さんのコートを貫いた。彼女のラケットに触れることなく。長く続いたラリーが終わったのだ。私のスマッシュで。


「はあ……はあ……」


 気が付けば息が上がり、冷たい滴が一筋、額から頬にかけて伝っていく。湿った髪が、頬にぺたりと張りついていた。


「……」


 我に返ると、青原さんはほんの少しだけ目を見開いていた。かと思えば、壁際に転がるボールの方を拾いに背を向けた。


「ごっ、ごめんなさい。ラリー続けてたのに勝手に強打しちゃって……」


 わたわたと手を動かしながら謝罪の言葉を述べる。せっかく何本も続いていたのに、自分勝手に打っちゃった。怒って……ないかな。


「ううん、構わない」


 再びこちらを向いたその顔は、どこか笑っているように思えた。なんだか、うれしそうに。


 なんで、笑ってるんだろう……。


「えっと、青原さ――「ナイスボール!!」

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