第22話 私のやりたいこと
私は
靴もラケットも持ってないし、雨だし。言い訳を散々挙げ連ねたけど、結局は押し切られる形でこうなってしまっていた。なんとなく、彼女に対して罪悪感というか、後ろめたさがあったからというのもある。
そういえば、前にもこんなことあったなあ。あの時もふたりきりだったっけ。
「いくよ」
青原さんの声を皮切りに、フォアクロスでラリーを始める。借り物のラケットを使って打ち返す。雨音に混じって、ピンポン球の音が反響していく。
「わっ、とと……」
ラケットは自分のものとは違うし、雨だからジメジメするし、足元は靴下だからつるつるするし。そんなことに気を取られながらも、私は送られてくる球に対して、反射的に手を出して返す。
なんで、打とうなんて言ってきたんだろう。
理由を探しても、私の中から答えは出てこない。もちろん、行き交うピンポン球が教えてくれるはずもない。
カコンカコンカコン……。
「
「え?」
しばらくラリーを続けた後、青原さんからそんな言葉を投げかけられた。
「で、でも」
「いいから」
有無を言わさない様子で、ゆるい球を送ってくる。強打しやすい、適度に浮いた球。
こんなことして何の意味があるのか。青原さんはどういうつもりで言ってきたのか。いろんな疑問が湧き上がる。
だけどそれよりも早く、私の身体は反応して、ラケットを振りぬいていた。
スパン!
渇いた音が、雨音を切り裂いた。私の放った強打が、青原さん側のコートを貫いた。そしてそれを、彼女は構えることなく、見ていた。
脳裏にフラッシュバックする。彼女と初めてここで打った時のことを。
だけど今は、前とは違った。青原さんは、まっすぐ私の方を見ていた。
「優月」
コロコロと、彼女の背後を転がるボール。それをちらり、と一瞥してから、言葉を紡いだ。
「やっぱり、いい球打つね」
「そ、そんなことないよ」
「……練習、来ないの?」
声音は静かな水音みたいだ。だけど、それには芯があるみたいに、雨音には決してかき消されず、私の鼓膜を震わせる。
「い、行かないよ……。青原さんだって知ってるでしょ? 部活は瑠々香部長の代わりに試合に出るまで。そういう約束だったし」
その試合は、もう終わったのだ。
だから部活には、もう行かない。
「じゃあ、どうするの?」
「どうするって……?」
「今度の試合。ダブルスの」
「あ、あれは」
青原さんが勝手に話を進めただけじゃん。正直、私が話に噛む暇なく決まっていた。
と、自分の気持ちをそのまんま言うこともできず。
「……私はもういいよ。どういう理由かは知らないけど、あの場で私を弁護してくれたのは、ありがとう。だけど、私は……もういいって、思ってる」
卓球はしない。この前の試合で、それを再確認した。思い直すまでもない。
「よくない」
それでも、青原さんは食い下がった。
「よくない、って……言われても」
なんで、この人は断言できるんだ。そんなに自信を持って、言葉にできるんだ。
どうして、わかった風なことを言えるんだ。
「それでいいはずない。先週の試合で負けたくらいで、諦めなくてもいい」
青原さんの語気は、少しずつだけど確実に、強くなっていく。釣られて、私の気持ちのざわつきも大きくなる。
「優月なら、まだまだやれる。だから――」
「もう充分やったからいいって言ってるの!」
青原さんの言葉を、切る。
自分でも驚いた。他人の言葉を遮るほどの大きな声が出るなんて。だけど、これくらいしないと、わかってはもらえない。
私のことを言わない限り、きっとこの人は納得しない。
「青原さんにはわかんないよ。私のことも。……私がやってきたことも」
「優月……」
「さっき、青原さん言ったよね。いい球打つって」
こくり、と台を挟んだ向こう側の彼女はうなずく。
「この間の試合、私が一度でも今みたいなボールを決める場面、あった?」
それは答えのわかりきっている質問。なぜなら、私が、一番よくわかっているから。
「それは……なかったけど」
青原さんの結んだ髪が揺れる。
「この前の試合だけじゃないから」
「え?」
「私、一度も勝ったことないの」
唇を噛んで、頭は重たくなって下を向いた。
「練習の時だけなの……いい球が入るのは。それが外に出て、試合になると、全然入らなくなる。……緊張して、手が震えちゃって、力が入って、力が入らなくなるんだ、私」
話せば話すほど、つい先週の試合のことが鮮明によみがえる。夏でもないのに頭はオーバーヒートして、動くはずの身体が固まったままで、届くはずの球が届かなくて、打てるはずが打てなくて、台に入るはずが入らない。
「なんでだろうね。試合になると頭まっしろになっちゃって。練習してきたことぜーんぶ忘れて。カカシみたいにつっ立ってるだけになるの」
いや、カカシの方がまだマシだ。ちゃんと役に、立っているのだから。
役立たずは、私。誰の役にも、立たない。それはおろか、害悪でしかない。
迷惑しか、かけない。
「だけど、学校で練習してる時はちゃんとできる、打てるの。……だから中学の時の部内のレギュラー争いでは……ちゃんと勝てる。私は部内で一番強くて……キャプテンになって……エースで……でも、試合の成績は誰よりも悪い」
「……」
「そりゃあ練習は必死にしたよ? 一番練習したって思ってる。みんなより早く来て……誰よりも遅くまで。……でも、結果が現れたことはたった一度もなかった」
追憶はどんどん過去へ。次第に部員の私を見る目が変わっていったこと。私から離れていったこと。
「学年が上がるにつれて、3年になった時には
強いのは部内だけで、一歩外に出れば何の結果も残せずに、無様な姿をさらすしかない私のことを。
「だから、私はもう卓球はしないって決めたの。黒部さんも言ってたでしょ? 私がやっても、周りに迷惑かけるだけなんだよ。青原さんだって、せっかく一生懸命やろうとしているんだから、私はその邪魔を……したくない」
きっと、
「優月……」
息を吐くように、名前をつぶやく青原さん。これで、諦めてくれただろうか。
が、彼女の目つきは、鋭く、真剣なものへと変わった。
「馬鹿にしないで」
「え?」
「優月の気持ちはわかったけど、それは周りをバカにしてるよ」
「青原さ――」
「部内なら私にも、部長にも勝てるって思ってるってこと? 言い換えれば見下してるってことだよね」
「わっ、私はそんなつもりじゃあ……」
ない。けど、言われてみればそうだ。チームの和を乱すのは、私の実力じゃない。
私の気持ち、心の持ちようなのかもしれない。
ならば、尚のこと。
「たしかに、青原さんの言うとおりかも。だから、やっぱり私は卓球部にいるわけにはいかないよ。こんな半端な気持ちでやってる人なんて、いない方がいい」
それこそ迷惑だ。
「そんなことない」
青原さんは、力のこもった声で言った。
「優月は半端な気持ちって言うけど、そんなことはどうでもいい」
「どうでも、って……」
「優月は、どう思ってるの?」
「え……?」
「大事なのは、そこだと思う」
どう思う、か?
「私は、優月の気持ちが知りたい」
「気持ちって」
「優月は、勝ちたいって思ってるの?」
勝ちたい……私が、勝ちたいって思ってるか?
「私が聞きたいのは、それだけ」
透き通るような瞳で、私を見る。夜にも似た黒さで、私は金縛りにあったみたいに目を逸らせない。俯くこともできない。
勝ちたいか?
私が、勝ちたいかだって?
「そんなの……」
聞かれるまでもない。
「勝ちたいに、決まってるよ!」
勝てなくていいなんて、思ってるわけがない。
「たくさん練習して、ひとりで自主練して……今度こそはって……でも、勝てなくて……」
言えば言うほど思い出される。覆い隠したくなる過去。
次第に目元が、胸の辺りが、熱くなる。
勝たなきゃ、勝たなければ。そんな思いに駆られ、中学の時は来る日も来る日も練習した。誰よりも早く、誰よりも遅くまで。
キャプテンにも選ばれて。周りから期待されて。でも応えられなくて。
勝ちたい。勝たないと。勝ちたい。早く勝たなきゃいけない。だけど、勝てないのだ。
だから私はもういいって……。
「私は、それだけで十分だと思う」
「青原、さん」
「その気持ちを優月が持ってるなら、誰も優月が卓球をすることを、止める権利なんて持ってない」
そこまで言って彼女は、すう、と息を吸い込んだ。
「私は、優月と勝ちたい」
「!」
世界が、広がった気がした。手を引かれ、扉の向こうへ行く感覚。そんなこと、誰にも言われたことがなった。
「だから」
彼女は言う。
「私と卓球部に入って……ダブルスを組んでほしい。試合に、出てほしい」
他の誰でもない、私に向けて。
「それが、私の気持ち」
「……迷惑、かけると思うよ?」
「そんなこと、やってみなくちゃわからない」
いつの間にか、彼女は台の向こう側ではなく、私の隣に、立っていた。
「一緒に、勝とう」
差し出される、手。無意識的にそれを、握る。
「……うん」
「練習しよう? 一緒に」
「うん、うん」
うなずく。視界はゆらゆらして、鼻声になる。でも、そんなことはどうでもいい。
私と勝ちたいと、言ってくれた人が目の前にいる。
「どうしようもない私だけど、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね。優月」
そう返す青原さんは、今まで見たこともな柔らかな表情で笑っていて。釣られて私も、笑顔になる。
雨はいつの間にか、上がっていた。
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