第21話 ラリーは、きっと会話

 1週間の始まりの月曜日。朝から降り出した雨が、止まずに空から降り注いでいた。


 雨は、あんまり好きじゃない。なんだか無理やり落ち込ませられてるような気がするから。


 けれど、今私の心が沈んでいるのは、雨のせいだけじゃなかった。


「……ふう」


 息をひとつ、吐く。私が立っているのは、卓球場の前。


 何度ももう来るまいと誓ったのに、この場所に立っているのは何の因果なんだろうか。


「いやいやいや。忘れ物、回収するだけだし」


 午後の体育で必要な、そして部室のロッカーに入れっぱなしだった、体操服の上着。どうしてちゃんと回収しておかないんだ、私。


 ……さすがに誰もいない、よね。

 昼休みだし。鍵も職員室に置いてあって誰も持ち出してなかったし。


 とはいえ、誰が来るとも限らない。午前の授業終了後、手早くお昼ごはんを食べてトイレで体操服に着替えたから、まだまだ時間に余裕はある。だからといって、のんびりするつもりはない。


 ほんとに、誰もいないよね。


 念のため扉越しに耳をすませる。ピンポン球の音や話し声はなく、周囲の雨が地面を、建物を打ちるつける音だけ。自主練している人もいないみたいだ。


 まあ、この湿度だし……。

 湿度。それは卓球に大きく影響を与える要素のひとつ。空調の完備された体育館ならともかく、学校の施設なんかはもろにその影響を受ける。台は湿り、球は湿り、そしてラバーも湿る。さならが、雨の日の野球が晴天時のそれとはまったく環境が異なるように、卓球も変わってくるのだ。


 そして、じめじめした日に卓球をしたがる人は、ほぼいない。


「失礼、しまーす……」


 誰もいないとわかっていながらも、私はそろそろと扉を開ける。シンと静まりかえった卓球場に、特有の埃っぽさを感じる。


 並べられたままの卓球台を横目に、そそくさと奥の部室へと向かう。長居は無用だ。


 部室に入って、手前のロッカー。ついこの間まで私が使っていたそれを開くと、予想通り体操服の上着がたたんで収納されていた。


 置きっぱなしで少しだけ埃っぽくなったそれを取り出してから、扉を閉める。キイ、と金属のこすれる音が耳にこびりつくように鳴った。


「あ、私の名札……」


 まだ貼ってあったんだ。先輩の誰かが書いてくれたであろう、かわいらしい丸文字。少しの間それとにらめっこした後、私ははがすことにした。


 この場所に私がいた形跡を、できるだけ消しておきたい。名札をくしゃっと丸めると、ポケットに突っ込む。


 よし、目的は果たしたし、早くこの場を去ろう。


「……優月?」


 背中にかけられた小さな声に、私はビクついた。誰の声かは、顔を見るまでもなく判別できた。


「あ、青原さん……」


 振り返る。私と同じ体操服姿。相変わらず感情の読めない表情。だけどわずかに、私がいたことに対する驚きが混じっていることはわかった。


 なんで、どうして? 昼休みだよ、部活の時間じゃないのに。


「せっかく体操服に着替えたから、自主練に来たの」


 考えを巡らせていると、私の思考を読んでいるかのように答える。


「優月こそ、どうしたの?」

「わ、私? 私はその……忘れ物しちゃって、あはは……」


 手に持った上着を掲げて、笑う。自分の表情が不自然に引きつっているのがわかる。


 まともに彼女の方を向けない。彼女が今、どんな表情を私に向けているのかを確認するのが、少し怖い。


「そう……」


 事実だけを受け止めた。そんな風に小さくつぶやくと、 


「優月、少し打とう」

「え?」

「10分――いや、5分でいいから」

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