第23話 苦くて、しょっぱくて
「だ、大丈夫かなあ」
放課後、私は卓球場の前にいた。扉を隔てた向こうからは人の気配と、ピンポン球の音。きっと、先輩たちがいる。
実に何日ぶりだろうか。まるで初めて訪れた時と同じくらい……いや、それ以上に緊張していた。
「大丈夫。行こう、優月」
隣に並ぶ青原さんが言う。その顔には以前見た微笑みはなく、いつも通りの無表情。だけど、それが頼もしくもあった。
「わたしもついてるし、なんくるないさ!」
「うわっ」
後ろから私たちの肩を抱く杏子ちゃん。そうだ、3人寄ればなんとやら、だ。
「よし……よし」
深呼吸を一回。覚悟を決めて、扉に手をかける。
「し、失礼します!」
扉を開ける。同時に、しきりに鳴っていたピンポン球の音が一斉に止んだ。
「……」「……」
「……」「……」
中にいるのはもちろん、先輩たち。ついこの間まで、ここで一緒の時間を過ごしていた人たちが、私の方を見ている。
お互い、無言。それが数秒続いた後、
「おーゆずっち! ようやく来たかー!」
「……おかえり」
どたどたどた。千穂先輩につむぎ先輩が駆け寄ってくる。
続いて、
「おお~? 早速サボリとは、度胸あるな~赤城ちゃん」
「もう! 瑠々香ってば変なこと言わないの。……来てくれてありがとう、優月ちゃん」
「は、はい。すみません。……ごめんなさい」
めぐ先輩のにっこり顔に気恥ずかしくなって、私はつい謝罪の言葉ばっかりが口をついて出る。
そんな私に、瑠々香部長が「謝ることなんてないよ」と言うと、満面の笑みで言った。
「それでは改めて。ようこそ八高卓球部へ」
……と、改めて歓迎され、いざ部活動再開、と私は思っていたわけだけど。
「いやー赤城ちゃんが戻ってきてくれてよかったよー!」
「は、はあ……」
「一時はどうなるかとヒヤヒヤもんだったからさー、マジマジ」
「えっと……」
「やっぱこう、若い子がたくさんいる方が練習場にも華があって」
「ぶ、部長!」
なんとか瑠々香部長のセリフを制して、私は言葉をひねり出す。
「どしたの、赤城ちゃん」
「なんで私たち、またここに来てるんですか」
ここ、というのは、以前に瑠々香部長と1年生組で訪れた、謎のカフェ。マスターさんこと、ウメちゃんが性別不詳(いや、間違いなく男性だけどそれを言うと怒られそう)で、ちょっと怪しげな雰囲気を持った、あのお店だ。
「なんでって、そりゃあ決まってるじゃん」
さも当然、と言わんばかりの瑠々香部長。私はいまいち合点がいかないまま、彼女によって店内へと招き入れられる。
ちなみに、後ろには前回と同じメンバーである、青原さんと杏子ちゃん。しかしふたりはここへ来た目的を理解している様子で、目線で早く入るよう促されてしまう。
「アラー! いらっしゃい!」
迎えてくれたのは、ハスキーボイスと、しっかり化粧をした屈強な男せ……いや、店長のウメちゃん。前と同じように、バーテン服がはちきれんばかりの肉体を袖から覗かせながら、カウンターへと案内してくれる。
「また来てくれるなんて、うれしいわ」
頬杖をつきながら、ほほ笑むウメちゃん。歓迎してくれるのはうれしいけど、筋骨隆々の顔で笑顔は正直、怖い。杏子ちゃんの顔だって若干引きつってるし。
「もう一度やることにしたのね? 卓球」
「は、はい」
そしてふと、私はこの前来た時のことを思い出して、
「この間はすみませんでした」
「いいのよ。いつも最短で答えにたどりつけるとは限らないわ。けれどその遠回りで得るものも、たくさんあるのよ」
ばちこん、とウィンク。そしてウメちゃんは瑠々香部長の方に向き直って、
「それで……優月ちゃんがここに来てくれたってことは、そうなのよね?」
「もちろんですとも」
にんまり、と笑みを向けあって意味深な会話をするふたり。うんうん、とうなずくと、ウメちゃんはカウンターの奥へと消えてしまった。
と、私はその光景を、つい数週間前にも見たことを思い出す。
まさか。
「あの、部長」
「ん?」
「今日部活もせずにここに来たのって……」
「なーんだ、よーやく気づいたかー。そのまさか、ってやつだよー」
にしし、と悪戯っぽく笑う。
「お待たせ~!」
と、ウメちゃんが戻ってくる。手に持つお盆には、1杯のグラス。
「さ、どうぞ召し上がれ」
グラスを、私の前に置く。それは以前見た、仰々しい色をした、スペシャルドリンクだった。
「飲まなきゃ……ダメですよね?」
「おうともー。それともなにかー? ボクの酒が飲めないっていうのかー?」
めんどくさい上司みたいに絡んでくる。いや、実物に出くわしたことないからわからないけど。
というか、酒じゃないですよね、これ。入ってないとは確信できないのが辛いところではある。
「さあさ! グイッと! 今度こそ入部したんだから、逃がさないわヨ~?」
手を組んで私の方を見つめるマスターさん。ただ見てるだけなのかもだけど、威圧感がすごい。たとえるなら獲物を前にした肉食獣か。
「まあ、わたしたちも飲んだしねー」
「優月なら、できる」
瑠々香部長とは反対側に座るふたりが、応援? 応援してくれる。そもそも飲むって行為はそんなにがんばるものだったっけ。
「大丈夫よ」
決心がつかず、足踏みしている私に、マスターさんはいつもとは違う優しげな声をかける。
「アナタは、ひとりじゃない。瑠々香ちゃんが、みんながいるもの。いくら卓球が個人競技でもね」
それから、もちろんアタシもいるわよ。恋の悩みなんかはアタシに相談するといいワ。なんて付け足した。それはまあ、おいおい、かな。おいおいなのか?
「はい。ありがとうございます」
それでも。
私は、今はひとりじゃない。
言葉通りだ。
杏子ちゃんとなら、瑠々香部長たちとなら。……青原さんとなら。やっていけそうな気がする。
「……いただきます」
私は手を合わせ、目の前のグラスを持つ。そして、さながらサラリーマンがビールを飲み干すかのように、一気に喉へと流し込んだ。
ごくり、ごくり……ごくり。
「…………ぷはぁっ!」
だん、と空になったグラスをカウンターに置いた。同時に、周囲から感嘆の声が上がる。
「おお~」
「さすが優月!」
「いい飲みっぷりじゃない。アタシ惚れちゃいそう」
そう言うウメちゃんは、上機嫌に拍手する。
「わっ」
「さっすが赤城ちゃん。それじゃあほんとのほんとに改めて」
一息つく間もなく、肩に手を回された。
「入部おめでとう! これからがんばろうな」
「……はい」
私は静かに返す。
心臓のあたりに静かに火が灯っているのがわかった。この小さな小さな火に名前をつけるなら、闘志というのだろう。
やるんだ、私が、勝つために。
……ちなみに。
スペシャルドリンクは、すごく苦くてしょっぱかった。
でも、それはなんだか汗と涙の味みたいで、それらをまとめて呑み込めたから、今度こそは強くなれそう。そんな風に、思ったのだ。
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