第27話 私にドライブを教えて

「優月! わたしにドライブの打ち方を教えて!」


 杏子ちゃんがそう嘆願してきたのは、試合を10日後に控えた木曜日の練習後。帰りに寄り道したコンビニ前でのことだった。


「えっと、ドライブ?」


 ドライブ――ピンポン球に前進回転をかける打法で、卓球では最もメジャーな技術のひとつ。ちなみにテレビなんかではあまり回転をかけないスマッシュと一緒くたにされることも多いけど、そのほとんどがドライブだったりもする。


 まあそんな豆知識は置いといて。


「どうしたのいきなり?」

「いや、わたしだけ初心者だし、少しでも早くまともな練習相手になりたいな、と思ってさ……」

「なるほど」


 たしかに今の部活では初心者の杏子ちゃんもそれ以外の人も区別のない練習メニューになっているけど、やっぱり初心者と経験者のそれぞれを練習相手にした時、その質には大きな差がある。技術要素の高い卓球だからこそ、初心者の相手を敬遠しがちになったり、逆に初心者は卓球を始めづらい。よくある話だ。


「でも、なんで私? 千穂先輩とか、瑠々香部長に頼んだほうがいいと思うけど」


 上手さもさることながら、教え方も私より断然上手なはずだし。それに、正直私は自分のことで手いっぱいなところもある。


「うん……優月が今忙しいのはわかってるんだけど、わたしは優月に教えてもらうのがいいなって」

「? なんでまた」

「いやー、その、初めて行った日に優月と千穂先輩が打ったっしょ? あの時の優月のドライブが、すごくかっこよかったなあーって」

「…………」

「……優月?」

「ああ、いやなんでもない! えっと、ドライブを教えるってことだよね」


 自分が打つのをかっこいい、なんて言われる日が来るなんて思いもしなかった。心なしか頬が緩んでしまっているような気がする。杏子ちゃんにバレてないかな……。

 そんなことを言われたら、断るに断れないじゃないか。


「いいよ、私でよければ」

「いやったー。優月ありがとー! 愛してるー! ちゅっちゅー」

「ちょ、やめてってば」

「ほんじゃまお礼はハーゲンダッツってことでいいかな? お嬢さん」

「い、いいよお礼なんて」


 なんか杏子ちゃんにおごってもらってばっかり気がするし。


「いいのいいの。わたしが納得いかないから」


 結局押し負けて、コンビニでハーゲンダッツを買ってもらった。小さいのに、なんだかずっしり重たい。これがハーゲン。すごい。


「それで、どうしよっか。教えるっていっても放課後は普段の練習があるし」


 バニラ味の濃厚アイスをひと口、杏子ちゃんにあげたところで、私は訊いた。


「むぐむぐ……にしし、それについてはぬかりはないぜ? お嬢さん」


 そう言って、彼女はスプーンをピッ、と立てた。



 杏子ちゃんの策、とはズバリ朝練だった。


「いやーなんか朝早い学校ってちょっとドキドキするねー」


 職員室から借りた鍵を指先でくるくる回しながら、杏子ちゃんはスキップしている。


「杏子ちゃん、元気だね……」


 対照的に、私は目をこすりながら彼女の後に続く。朝はどうも苦手だ。ただでさえ中学の時から起きる時間が早くなって眠たいことこの上ないというのに。頭はまだ眠りについているみたいな感じがする。


「そりゃー優月に教えてもらえるからねー」


 にひ、と向けられる笑顔が気恥ずかしくて、私は思わず横を向いた。

 目に映るグラウンドには、ぽつぽつと人影が見える。それぞれが何部なのかはわからないけど、みんな私たちと同じように、朝練に取り組んでいるということだろう。それだけ一生懸命、ということだ。


「おはよーございまーす!」


 律儀にあいさつをし、杏子ちゃんは卓球場に入る。


「ふあ……」

「優月、やっぱ眠い?」

「ちょっとね。でも大丈夫、せっかくの朝練だしね」


 ぺちぺち、と2、3回頬を叩く。杏子ちゃんが他の誰でもなく私に教えてほしいと言ってくれたのだ。しゃきっとしないと。


 ふたりで着替えて準備した後、少しラリーをしてアップを済ませる。


「それじゃあ早速教えていこうと思うんだけど……」

「うす! お願いしまっす!」

「何か普段の練習の時に悩んでるところとかってある?」


 まだ初心者だし、イチから全部教えていくのもありかと思ったけど、彼女が引っかかっている部分をほどいてあげる方が効果的だと思い、訊く。


 台の向こう側に立つ杏子ちゃんは、うーんと腕を組んで唸ってから、


「なんかうまく回転がかかってない気がするんだよねー。スマッシュなら思い切りバチコーンって当てればいいんだけど」

「あー」


 なるほど、その部分か。


「じゃあ振り方を教えるから、こっち来て?」

「うん!」


 元気よく私の方に来る。まるで飼い主の元に走り寄る犬みたいだ。勢い余って手を噛まれないか心配だ。


 私はゆっくりと素振りをしながら、コツになる部分を言葉にする。


「まずはバックスイングだけど、スマッシュとかよりもラケットを下げて身体の斜め下にもってきて――」

「ふんふん」

「体重移動しつつラケットを、対角線上に身体の斜め前に振る……こんな感じかな」

「ほほおー」


 感心したように目を輝かせる杏子ちゃん。基本的なことしか言ってないけど、そんな顔をされると照れくさい。


「今やったみたいに素振りしてみて?」

「あいあいさー」


 ラケットで敬礼ポーズをとってから、彼女は「ええっと……」と私の説明を思い出しながら素振りを始める。


「とりゃっ! どうどう?」

「うーんと……とりあえずもう1回やってみよっか」

「らじゃー! バックスイングして……そいやっ!」


 勢いよく声を出す……ものの、どこか身体の動きはちぐはぐになっている。


 しょうがない。


「力抜いて、こんな感じ」


 言って、私は杏子ちゃんの後ろに回り込んで彼女の手首をつかむ。私の胸と彼女の背中がくっつきそうな距離で、私は素振りのサポートをする。


「おおおー」

「どう? なんとなくわかった?」

「うんうん! なんか今までのわたしの振りとは全然違う感じ! そうかー、こんな感じなのかー」


 何かコツのようなものを感じ取った様子の杏子ちゃん。


「どうかな?」

「こう、もっと足を動かさないと……」

「……優月?」

「ああごめん、いい感じ」


 果たして、私は実際に試合で打つときにきちんとできているのだろうか。


 ふと、そんな考えが頭をよぎった。そしてその答えは、言うまでもなくノーだろう。試合で頭が真っ白になる私が、ドライブの打ち方で注意すべきことを意識できているわけがない。


 決めた通りのことをやる、か。

 この間の瑠々香部長の言葉がよぎる。


 自分のことでいっぱいいっぱいだから、他人に教えている場合じゃない、なんて考えていたけれど、そんなことはなかった。


 誰かに教えることで、自分の頭も整理できるのだ。教えたことは必ず、自分に返ってくる。

 そういう意味じゃ、アイスをおごるのは私のほうかもしれないな。


 今一度集中して、数回、彼女と一緒になって素振りを繰り返す。時折、足の使い方や体重移動の仕方をアドバイスした。最初はぎこちなかった動きだけど、徐々にスムーズになってくる。


 と、杏子ちゃんは何やら神妙な声を出す。


「んー、んんー」

「どうかした?」


 なにか変な教え方しちゃったかな。


「いやーそれにしても優月はいい匂いがするなーと思って」

「ちょっ!」


 言葉と同時、私は距離を取る。


「へ、変なこと言わないでよ」

「ええー、褒めてるだけなのにー」

「褒めてない。汗かいてるし、恥ずかしいよ!」

「ちぇー」

「あんまりエロオヤジみたいなこと言うと、もう教えないからね」

「ああーごめん謝るからああー」


 前言撤回。アイスをおごるのはやっぱなしで。

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