第3話 ブラックコーヒーは苦手
半ば連行される形で教室を出た私は、なぜか校舎脇の自販機の前にきていた。
「はいっ、どうぞ!」
「あ、ありがと……」
にこやかな顔とともに、
「いくら? お金払うよ」
「いいっていいって! 今日一緒に行ってもらうお礼だから。まあお礼がジュース1本だけっていうのには目をつむってよ。今月ピンチだから、ね?」
「はあ……」
今ひとつ彼女のペースについていけない。けど、せっかくなので受け取る。黒いデザインの小さめの缶。
ってこれ、ブラックコーヒーだ。
「あれ?
「い、いや、いいよ。ありがとね」
「そかそか!」
杏子ちゃんはうなずくと再度、自販機に小銭を入れてボタンを押す。自分用であろうそれは、オレンジジュースだった。手早く取り出してプルタブを開けて、ごくごくと飲み始める。
「んー、んまーい!」
「あはは……」
ああ、私もそっちがよかったな……。
なんて言えるわけない。人生うまくいかないものだ。
人生の苦みを噛みしめつつ、私も手に持った缶をあおる。ブラックコーヒーの苦酸っぱさが口いっぱいに広がる。そもそもブラックコーヒーを美味しく飲む女子高生なんているわけない……と思う。
「そういえば、どうして卓球なの?」
口の中の苦みを紛らわせるためにも、私は訊いてみることにした。
「テレビでやってるのを見たって言ってたけど、テレビでやってるスポーツなんて、いっぱいあると思うんだけど」
「んー、そうだなあ……」
杏子ちゃんは人差し指をやわらかそうな唇に当てて考えるような仕草をとる。
「知らない世界に飛び込んでみたかったのかも」
「知らない、世界……」
「テレビに映ってるの見てさ、思ったの。そりゃ上手い人だからスゴいのは当たり前なんだけど、わたしが今まで知ってた卓球とは全然違う! って」
そう言って、杏子ちゃんは上を――空を向いた。
「せっかくの高校生活だから、今までいたところとは違う場所に行きたくなったの……変かな?」
「ううん、全然、そんなことない」
「そかそか、ありがと優月」
杏子ちゃんは笑う。その表情を、私は真正面から見ることはできなかった。
だって、私はきっと卓球に対してそんな風に思えないし、そんな顔をすることもできない。
知らない世界に飛び込む、か。
高校で新しい部活に入る。一見、私も杏子ちゃんも同じことをしようとしているけれど、その意味は全く違うように思えた。
私のそれは、ただの逃げじゃないんだろうか。……卓球、からの。
「おおっと! ゆっくりしすぎちゃった! ほらほら、優月! 行こ!」
「う、うん」
手に持った缶をゴミ箱に捨ててから、見えない糸で引っ張られているかのように、私は杏子ちゃんの後を追った。せっかく買ってくれたのに、苦味に耐え切れず飲みきれなかった罪悪感が残る。
と、ブラックコーヒーの苦みで頭が冴えたのか、私はあることに気づいた。
「ねえ、ちょっ、杏子ちゃん」
「ん? なになに?」
「杏子ちゃんは知ってるの? 卓球部がどこで練習してるか、とか」
「……あ」
この時、陽気な彼女の顔が引きつるのを初めて目にしたのだった。
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