第4話 新入部員の一本釣り

 県立八条はちじょう高校の女子卓球部は、学校の敷地の端の端、グラウンドの隅っこの小さな建物で練習している。らしい。


 らしい、なんて語尾がつくのは近くを歩いていた2年生に教えてもらっただけで、まだ実際にこの目で見ていないからだ。


 ちなみに、場所を教えてくれた先輩はテニス部で、卓球部なんかやめてテニス部に入らないか(テニス部入ってると男子にモテるよ、という謎の情報付きで)、としきりに勧誘された。正直、私としてはそのまま先輩に圧されてテニス部の見学に行くという結果になれば……と期待していた。モテるモテないはともかくとして。


 それでも杏子きょうこちゃんは、頑として卓球部の見学に行くことを選択した。そして彼女に帯同している私に、選択権はなかった。


「そんなに卓球がいいの?」


 残念そうな先輩と別れた後、訊ねる。


「んー。というより、自分で決めたことだからあんまりすぐに曲げたくないなあ、って思ったって方が近いかな?」

「ふうん……」


 なんとまあ芯のしっかりした子だ。


「それにしても、卓球部の練習場、ずいぶん隅っこに追いやられてる感じがするね」


 他の運動部の邪魔にならないよう、グラウンドの端を進みながら苦笑している。


「まあ、卓球部だからね……」


 今でこそメジャーになりつつあるだろうけど、やっぱり暗いイメージを抱いている人は少なくないだろう。正直、私もそう思うし。

 だけど、専用の練習場所があるだけこの高校はいい方だろう。バレーやバスケなどの部と交代で体育館を使うとなれば、ちゃんとした練習時間は限られてくるわけだし。


「よっし、とうちゃーく!」


 そうこうしている間に、目的地に到着。視界に映る平屋のその建物は、外壁の白い塗装が剥がれていたりしていて、年季がうかがえる。


「あっ、音が聞こえる!」


 杏子ちゃんの言うとおり、扉を隔てた中からはリズムのいい音――ピンポン球の打球音が聞こえてくる。


 カコン、カコン、カコン、カコン……。


「もう練習してるのかなー?」

「――……」


 久しぶりに聞く音。もう聞くことはないと思っていた、音。


 一歩近づくだけで、その音は大きく、深く私の心に響いてくる。中に入れば、さらに容赦なく降り注ぐだろう。


 本当に、行くのか? 私。


「それじゃあ入ろっ!」

「え!?」


 打球音で我を忘れているうちに、杏子ちゃんは入口の引き戸に手をかけていた。


「ちょ、ちょっと待とうよ。ほら練習中だし、邪魔しちゃ悪いし」

「そんなこと言ったらいつまで経っても入れないじゃん。ほら行こ!」

「ほんのちょっとでいいから待って! 心の準備が!」

「もんどーむよう! いざ行かん!」


 私の腕を掴み、杏子ちゃんが扉を開け――


「ようこそ卓球部へ!」

「ひあっ!」


 背後からいきなり抱きつかれて、変な声が出てしまった。同時に、背中に氷を入れられたみたいに背筋がピン、と伸びる。


 首だけひねって後ろを確認する。抱きついてきたのは、女の子だった。身長は私よりも少し低い。黄色いスポーツウェアと、きれいにまとめられたお団子頭が目に入る。


「おっ! ふたりも来てくれてるじゃん! 大漁大漁!」


 私に密着している人はそう言うと、右腕は私のお腹に回したまま、左腕で杏子ちゃんの身体をしっかりと掴んだ。突然のことすぎて、さっきまで意気揚々としていた杏子ちゃんも「え? ええ?」と困惑している。


「ふっふっふー、ここまで来たからには逃がさないよー?」


 ぎゅううう。彼女は腕の力をさらに込める。そして足を器用に使って、杏子ちゃんが開けようとし、私が待ってと拒んだ扉を勢いよく開けた。


「めぐ先輩ー! つむぎー! お客さんだぞー!」


 同時、さっきまで雨音のように聞こえていたピンポン球の音が止んだ。私の視界は変わって、部屋の中が映りこむ。中にはふたりの女子生徒が、卓球台を挟んで立っていた。その両方が漏れなく、こちらを向いている。注目の的。視線の矢が向かう先。


 は、恥ずかしい……。


「さあさ、入った入った!」


 謎の人物に押される形で、私と杏子ちゃんは扉をくぐる。

 中は決して広いとは言えないものの、卓球台が4台置かれていた。木造の床に壁、外観で抱いた印象と同じく古さが感じられる。小窓には外の光が入ってこないようにするために、全部黒いカーテンで閉じられている。


千穂ちほちゃん……どうしたの? その子たち」


 訊きながら近寄ってきたのは、中にいたうちのひとり。ミディアムボブのふわふわした髪と、シャツの上からでもわかる豊かな胸が印象的だ。……うらやましい。


「んー、入口のとこにいたから捕まえた!」

「そんな動物みたいに言わないの。離してあげたら? かわいそうよ」

「あはは、いやー新入生みたいだし逃がしてなるか、と思ってつい……」


 千穂、と呼ばれた人はそう弁明すると、私たちをホールドしている腕をほどいた。

 ほ、と小さく息を吐いて胸をなでおろす。見ず知らずの人にここまでスキンシップされることなんてなかったし。


「それで千穂ちゃん。この子たちは入部希望? それとも見学?」

「……さあ?」

「さあ、って何も聞かずに連れてきたの!?」

「いやいやめぐ先輩! 入口のとこにいたからどう考えてもウチに用があるでしょ?」

「でも一応聞こうよ! 新入生無理やり連れてきたりしたらまた変なウワサが広まるじゃない!」


 また、ってことは前科ありなのか。大丈夫かこの部、というかこの人たち。


「あのー先輩方……。わたしは入部希望なんですけど」


 おそるおそる、といった感じで杏子ちゃんは挙手した。ふたりでいた時はテンション高めだった彼女も、先輩の勢いに気圧されているみたいだ。


「ほんと? よかった~」


 杏子ちゃんの意思表明を聞くと、めぐ先輩なる人はその場でヘナヘナと脱力する。


「大歓迎だよ、来てくれてありがとうね。そっちのあなたも入部希望?」

「えっ!? えっと、私は……つ、付き添い、です……」


 嘘ではない。嘘は言ってない。


「なーんだ、違うのかー。残念」

「こら千穂ちゃん、そういうこと言わないの」


 口を尖らせる千穂さんをたしなめた後、めぐ先輩はこっちを向いて微笑みかける。


「この子の言うことは気にしないで、ゆっくりしていってね」

「あ、ありがとうございます」

「とりあえず……自己紹介、してあげたら?」


 と、千穂さんの背後で声。部屋にいたもうひとりの女の子がいつの間にか移動していたみたいだ。


「うわっ! 相変わらずつむぎはステルス性能バツグンだな!」

「そんなこと、ない……」


 決して大きいとは言えない声で、彼女は否定する。赤縁メガネに、肩甲骨あたりまでの髪を後ろで1本にまとめた三つ編み。第一印象だと運動部系というより、本が似合いそうな文化部系だ。


「まあそれがつむぎのいいとこだけどな!」

「ん……」

「こらこらふたりとも。自己紹介するんでしょ?」


 私と杏子ちゃんが会話についていけないでいると、めぐ先輩が軌道修正をしてくれた。

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