第25話 特別メニュー第1弾:メイドさんになろう
かわいい服は、好きな方である。
なにせ制服がかわいいことを理由のひとつとして、高校を選んだくらいだ。
一応、私だって女の子のはしくれ。かわいい服を着てみたいという気持ちがある。
そんな気持ちはあったけど。
あったけど。
「……うう」
思わずその場にうずくまりたくなる。いや、もういっそ家に帰りたくなった。
というのも。
「あら~、優月チャン! 似合ってるじゃな~い、かわいいわ!」
ウメちゃんが、身体を揺らしながら近づいてくる。普通の女性ならなんてことのない仕草だけど、この人がやると正直、怖い。
「あ、ありがとう、ございます……」
「んもう、声が小さいわよ? かわいいんだから、もっと自信持って」
「そ、そうは言っても……やっぱり恥ずかしいです……」
「恥ずかしがることなんてないわよー。かわいいメイドさん」
そう。現在、私の身を包んでいるのは、フリフリのメイド服だった。たくさんのフリルがついた、膝丈のスカート。それはまだいいとしても、それなりに大きく開いたこの胸の部分は、如何ともしがたかった。
うう、こんなの、おっぱいが大きい人が着るものだよ……。
瑠々香部長も、こんなのが特別メニューだなんて。
彼女に特別メニューをやると告げられた翌日の放課後。練習をしようと卓球場にやって来た私は、瑠々香部長にさながら誘拐されるような形で、ウメちゃんの喫茶店へと来ていた。
そして、ウメちゃんにこれを着るよう言われて、今に至る。
「おっ? 着替えたー……って、似合ってるじゃん」
ひょい、と更衣室の入り口から、瑠々香部長が小さな顔をのぞかせた。ものすごく楽しそうな表情で。
「サイズもぴったりみたいだし、ありがとねーウメちゃん」
「いいのよ。瑠々香ちゃんの、他ならぬ後輩のためとあらば、かわいい服を作るくらい朝飯前だから」
それに同じサイズのものをちょっと直すだけだったから、と付け足すウメちゃん。その直したところが胸のあたりじゃないことは、静かに願っておこう。
「いやー、やっぱりかわいいねー。私の目に狂いはなかったよー」
バシャバシャバシャバシャ! 瑠々香部長は私の周りを360度ぐるぐる回っては、手にしたスマホで写真を撮りまくって……って撮りすぎ!
「ちょ、部長、写真やめてくださいって!」
「いいじゃん減るもんじゃなしー」
減りますよ! 私の精神とかが! ごりごり擦り減りますから!
「お願いですから、他の人には見せないでくださいよ」
「おーけーおーけー、ばっちぐー」
ほんとにわかってるのかなこの人……。
「よっし、それじゃあホールに出よっか」
「ほ、ほんとにこれで出るんですか? その、やっぱ学校の制服とかじゃあ……」
「のんのん、ここまで来てそれはなしよ、赤城ちゃん。これは特別メニューなんだから」
ちっちっち、と瑠々香部長は指を振って、
「ほらほらー、ウメちゃんの苦労を無駄にしないためにも、覚悟を決めなよー」
「ううう……はい」
ずるずるずる。引っ張られながら、徐々に私の身体(メイド服バージョン)は更衣室から出て行く。なんでこの人ちっちゃいのにこんなに力あるの?
「……やっと、きた」
ホールに出ると、カウンターのあたりにはつむぎ先輩がいた。何を隠そう、彼女も私と同じメイド服姿である。ただ、赤縁メガネの奥にはいつもの眠そうな瞳があるだけで、私みたいな羞恥心は一切見受けられない。
唯一、私と同じ点は、大きく開いた胸元に谷間ができていないこと。ありがとうございます、なんか立ち直れそうです。
「……赤城さん、変なこと考えてない?」
「えっ? そんなことないですって、あはは」
愛想笑いでなんとか誤魔化そうとしていると、瑠々香部長がふたりのメイドを交互に見てうんうんと頷く。
「んんー、染谷ちゃんみたいなクールなメイドさんも好きだけど、赤城ちゃんみたいに恥ずかしがるタイプも中々そそるなあ」
じゅるり、と舌舐めずりの音が聞こえた。幻聴だろうか、幻聴であってくれ。
「……まさか、特別メニューなんて嘘で、瑠々香部長の趣味で着せてるだけじゃないですよね?」
「まっさかー。趣味は4割くらいだって」
4割もあるのか。公私混同も甚だしいな。
「赤城ちゃんが緊張しちゃうってことだから、接客で緊張に慣れようってことだよん」
「そ、それはわかりますけど……いいんですか、練習しなくて」
試合まで残された時間は決して多くない。勝つためにも、少しでもボールを打って練習しておかないと不安になってくる。
「大丈夫だって。赤城ちゃん、卓球歴長いこともあって基礎はちゃーんとできてるから。あとはそれをうまく本番で引き出せるかに焦点を当てた方がいいんだよ」
「ちゃんと、できてる……」
お世辞でもそう言ってもらえると、なんだかうれしい。えへへ。
「それにしても、手伝ってくれる人が増えて助かったワ。つむぎチャンだけだと手が回らない時もあったし」
いつの間にかカウンターで頬杖をついていたウメちゃんが言う。
「え、ウメちゃん忙しいって言ってたの、ホントだったの……?」
「もう! 失礼しちゃうわね!」
カランコロン。
と、その時、ウメちゃんの言葉を証明するかのように、入口の扉が開いて、お客さんが入ってきた。スーツをかっちり着込んだ、白髪交じりの男の人。
「いらっしゃい、ませ……」
「いらっしゃ~い。ほら優月チャンも」
「い、いらっしゃいませ」
初めてやって来たお客さんを見て、肩に力が入るのがわかる。
「じゃ、優月ちゃん接客、お願いできるかしら?」
「えっ、私、ですか?」
「もちろん、特訓なんでしょ? 接客の仕方はさっき教えたから、大丈夫よね?」
「はっ……はい」
どくん。鼓動が1回、大きく鳴るのを感じる。緊張からか、胸のあたりがきゅうう、となるのがわかる。なんとなく、試合前の感じと似ている気がする。
ごくり、と一度つばを飲み込んでから、
「い、1名様ですね。空いている席へどうぞ」
下手すれば裏返りそうな声をなんとか抑えて、案内する。スーツ姿のお客さんは私のメイド姿に一瞬怪訝そうな表情になるも(そりゃそうだ)、無言のままテーブル席に腰を下ろした。
失敗したら、どうしよう。私に、うまくできるだろうか。
あれ、まずは何をすればいいんだったっけ。
白のペンキをぶちまけたみたいに、漂白されていく思考。ええっと、最初にするのは……。
と、お客さんがテーブルの上のメニューに目を通し始めた。そうか、まずは注文を聞かないと。
「ごっ、ご注文は」
手にしたメモと服の裾をきゅっと握りしめ、なんとか言葉を絞り出す。お客さんは考えるような仕草を見せてから、ブレンドを1杯、と口にした。
「少々、お待ちください……」
メモに注文を書き、踵を返す。よかった、できた。後はウメちゃんに注文内容を伝えればいいだけのはず。
「ああ、すみません」
「はいっ!」
背後から呼び止められる。
私、何か間違っちゃったのかな。
「お水をもらえませんか?」
「あっ! す、すみません!」
そうだ、最初にお水の入ったグラスを出さないと。さっき教えてもらったばっかりなのに。
順番間違っちゃったし、早く持っていかないと。カウンターでグラスに水を注いで、再びお客さんの元へと戻る。
怒られないかな。大人の男の人だし、私みたいな子どもの接客で、機嫌悪くならないかな。
「あっ!」
パリン!
空気が割れるみたいな音が鳴った。直後、私が姿勢を崩してグラスを落としてしまったのだと、気づいた。
「すっ、すみません!」
床に飛び散ったグラスの破片を見て、頭から血の気が引いていくのがわかる。だけど、その場で私がどうすべきなのか、答えがわからない。
ミスしちゃった。ミスしちゃった。ミスしちゃった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
その2つが脳内を埋め尽くす。膨れ上がるそれらに、パンクしそうになっていたところで、肩に手の温かい感触を感じた。
「赤城さん、後は私がやるから……ほうきとちりとり、持ってきて……」
「あ……はい」
その後、私は下がり、つむぎ先輩が完璧に後始末とお客さんの対応をこなしていた。
私は、俯くしかなかった。
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