第40話 夜明け

 一筋の光明が見えた気が、した。


 だけど、それも勘違い。光は遠く、未だ私は暗闇の中。

 立ちつくす。動けずに。一歩動けば、そこに足場はなく、奈落の底に落ちてしまわないかという恐怖が私の身体を、埋め尽くす。


 いつしか、私は自分の目すら閉じてしまっていた。


 最終ゲーム 0‐0


 最終ゲーム、私たちは結局戦術をそのまま――私がツッツキとブロックでつなぎ、華だけが攻撃をするスタイルだった。だけどそれは、第4ゲームの時点ですでにすっかり対応されてしまっている。


「はああっ!」

「っ!」


 甘い球となった私のブロックを、黒部さんがスマッシュする。私がブロックで返すということをわかりきっているので、100パーセントの力で打つことのできるそれを、さすがの華でも止め切ることはできない。


 スコアはあっさりと2‐5。相手が先に5点を取られた。最終ゲームはどちらかが5点先取した時点でコートが入れ替わる。


「ごめん、華」


 反対側のコートへと移動する道すがら、私はタオルで汗を拭いながら言う。


「優月が謝ることじゃない。取れない私が、悪いだけ」

「でも、今のままじゃあどうしようもないよ」


 つまるところ、私たちがやっていることは第2ゲームから変わっていない。相手に慣れられてしまえば、作戦もカモでしかない。

 かといって、対策があるというわけでも……ない。


 どうすればいい……?


「……」


 華はうつむきがちに、汗を拭く。ここまで一緒にきてもらったのに、たくさん力になってくれたのに……ここまでなの?


 何か、何かないか。

 私たちにまだできること。実行できる戦術。作戦。


 考えろ。

 考えろ。考えろ。

 考えろ。考えろ。考えろ。


 今だけは脳の回路が焼き切れてもいい。

 この場面を打開できる何かが、きっとあるはず――


「…………あった」


 たどりつく。打開策。


 たった1つ残された、私にできること。


「……華」


 言って、私は肩をつかむ。反射的に顔を上げたその表情は、驚きに満ちていた。

 そして、告げる。


「私……攻撃、する」

「え……?」

「打ちにいくよ、私」


 華は信じられない、とでも言うように目を瞬かせる。


「大丈夫、なの?」


 そして訊いてくる。

 大丈夫、という言葉には、多くの意味が含まれている気がした。


「……正直、わからない」


 でも。


「このまま何もしないで敗けるのは、嫌だ。どうせ敗けるなら、今まで一番やってきたことを使いたい」


 それでもダメだというなら、敗けてもいい。ここまでくることができたのだ。ひとりでは何もできなかった私が。足が止まって、頭が真っ白になっていた私が。


「自分勝手だって、わかってる。華から見たら、こんな一か八かみたいなことするのおかしいと思うかもしれない。だけど――」

「おかしくなんて、ない」


 私の声が、制された。華の顔が、私の真正面――至近距離にやってくる。


「優月が前を向こうとしていることを、私はおかしいなんて、絶対に思わない」

「華……」

「あと」

「?」

「敗けてもいいなんて、言っちゃだめ」


 私たちは、勝つんだから。


 言って、彼女は微笑みかけてくる。


「ね?」

「うん」


 とは言うものの、不安が全て拭いきれたわけじゃない。だからこその弱音も、出てきてしまう。


「……もし敗けたら、黒部さんたちに馬鹿にされるかもしれないよ?」

「その時は、私が思い切り文句言う」

「ミスし続けて、私が立ち直れないかもしれないよ?」

「無理にでも立ち直らせる」

「部長からの罰ゲームで、あのドリンクをまた飲まされるかもしれないよ?」

「優月となら、何杯だって飲む」

「……」

「……」

「……ぷっ」

「……ふくく」


 自然とこぼれた、笑み。まさか試合中に笑うことがあるなんて。

 以前の私には想像もつかない。


「……じゃあ、いこう、華。勝ちに」

「うん」


 私たちは、再びコートを、相手を向く。


「どんな話し合いしたって、無駄だから……!」


 黒部さんがサーブの構えをとる。トスを上げて、打球。

 華のレシーブはうまくいき、眞白さんは強打することができずにツッツキでつないでくる。けれど、その球は……甘い。きっと、私が攻撃しないと高をくくっているが故の、甘い球。

 さっきまでなら、私は彼女の思い通りに、つなぎの球を打っていた。だけど。


 無駄かどうかは……やってきみなくちゃわからない!


「!」


 動く。


 考えずに、こなせ。


 きた球を、完璧に捉えることのできる位置に。

 バックスイング。

 ラケットを下げて身体の斜め下にもってくる。そして、体重移動をしつつ対角線上に身体の斜め前にラケットを、振る!


「はああっ!」


 スパァァン!!


 それは、いつか卓球場で聞いたのと、同じ音。

 空気を切り裂くような。それでいて心地のいい爽快感のある音。


「……」

「……」

「……」


 私以外の3人が、その場を動かずに見届けた、その打球は。

 ネットに突き刺さることなく。あさっての方向に飛んでいくことなく。


 相手コートに、吸い込まれるように入っていた。


「うおおお! 優月ナイスボール!」

「赤城ちゃん、よっしゃー!」


 直後、背後から歓声。私の脳を、ぐらぐらと揺らす。

 乱れた息に、チカチカする視界。


「優月、ナイスボール」

「華……」


 隣では、くしゃっと笑うダブルスパートナー。


「やっと、入ったね」

「……うん」


 私たちの得点。スコアは2‐5から、3‐5に。

 たった1点。


 けれど、私にとってそれは、10点にも、100点にも等しい、得点だった。


「いい、ボールだね」


 台の向こうから声。黒部さんだ。


「だけど……たった1発入れただけで、勝ったなんて思わないことだね」


 そうだ。まだ、勝負は終わっていない。

 泣いても笑っても、決着の時はすぐそこまで、迫っていた。


 最終ゲーム 3‐5


 そこからは、まさに一進一退。


 私は攻撃をすることを選択した。もちろん、全てが思い通りに入るわけじゃない。ミスもする。でも。

 なぜだか怖くなかった。今までは、ミスしてはいけないと、固く、頑なに考えていたけど。


 私が攻撃する。黒部さんも攻撃する。

 私がブロックする。眞白さんがつなぐ。華が、攻撃する。

 攻守入り混じる展開。


 思考が、白んでいく。けれど、自分が一瞬一瞬何をすればいいのか、わかる。

 動いて、打って。打って、動いて。

 どうすればいいのか、まるで身体が教えてくれているみたいだった。憶えているのだ、私の身体が。

 お互いの点数が、シーソーゲームで積み重なっていく。


 4‐5。

 4‐6。

 5‐6。

 6‐6。

 …………。

 ……。


 そして。


 スコアは、10‐9。私たちの、マッチポイント。


 眞白さんが、ラケットを振る。打った先は、空いたコース。次に打つべき私がいる場所とは、正反対のところ。


 ……届け。


 私は、足を動かす。


 …………届け。


 時間を超越したように、ボールを追いかける。


 ………………届け。


 私は、ラケットを振る。狙いをすませて。


「届けえええっ!」


 ラケットから、ボールが離れる。瞬間、祈る。

 神様、どうか。今この時だけでいい。私の放った球を、入れてください。



 暗闇の中、手を差し伸べられた。

 手を取る。手を繋ぐ。私は、立ち上がる。

 そして再び、歩き出す。ふたり並んで。一筋の光明に向かって。

 私は地面を蹴る。飛んで。飛んで。

 暗闇の、その先へ。



 音が、鳴った。

 ピンポン球が、床に落ちた。

 嫌いだった、私の敗北を告げていた、その音。

 まるで耳が麻痺したみたいに、その音しか耳に入らない。ピンポン球は数回、床を跳ねてから、転がり、止まった。


 直後、得点板がめくられる。


 11‐9。


 ゲームカウントは、3‐2。


 私と華の、勝ち。


「――――――――っ!」


 気が付けば、私は声を上げ、拳を突き上げていた。

 長い夜が、ようやく明けた。

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