4-(2)

 スーパーに着くと拓己さんは「おお、懐かしい!」と声を大にして大袈裟に喜んだ。その姿がすでに面白い。

「いやほんと、ここに入るの何年ぶりだろう? 部活への差し入れはコンビニで買ってたからさ、高三の文化祭から来てないんじゃないかな?」

 そう言いながら売り物を見て、あーあ、こんなになっちゃって、なんて言っている。

「名璃子ちゃん、ゴマとごま油ね。佳祐はショウガとネギ。んでオレは、と」

 指示をしてカートを押しながら奥の方に歩いて行った。

「拓己さんてこう、いきなり視野が狭くなるんだよ。なにかに集中するとそれしか見えないからさ」

「ふふ、でも一緒にいて楽しいひとだよね」

「まあね。あんまりほかの男を褒めるなよ、まったく」

 ブツブツ言いながら野菜コーナーに消えて行った。

 わたしはゴマとごま油。スーパーの真ん中のほうだ。ゴマとごま油、と唱えながら棚を物色する。

 よく見るといろんなものがある。

 例えば乾物とか。いままで気にしてなかったものだ。これならレパートリーを増やせるかもしれない。


「見つかったか? こっち、こっち」

 拓己さんはカートにびっしり荷物を積んでいた。こんなにたくさんいつ食べるつもりなんだろう、と顔を見ていると「名璃子ちゃん、不思議そうな顔だね。これは今日、みんなで食べるんだよ。パーティーな」

「パーティー?」

「そう、息抜きにはそういうものが必要なんだ。まだ高校生になったばかりじゃよくわかんないかな」

 佳祐、行くぞ! と佳祐を呼びつけて重そうなカートを拓己さんは押した。


「うしっ」

「拓己さん、オレが押そうか?」

「これくらい平気だよ」

 よく見ると下の段にはペットボトルが箱ごと乗っていた。上の段はガサガサしてる。あらゆる種類のお菓子を入れたらしい。丁寧にきちんとレジ袋に詰めてあった。

「レジ袋? ああ、袋に入れないとバラけて落ちちゃうからな」

 はあ、と隣でカートを押す人を見ている。


 Tシャツの背中が汗で濡れている。

 外から見ても、細身なのにすごい筋肉がついていることがわかる。身長は湖西と五分五分なのに体の作りがまるで違う。

 そこにふたりの性格の違いが表れているように見えた。


「名璃子ちゃんは山に登ったこと、ある?」

「学校のグリーンスクールでちょっとだけなら」

「オレは二千メーター以上の山に登るんだけどさ、テント持ってく時は八十リットルのザック背負うわけ」

「…………?」

「ピンと来ないよな。腰より下くらいから頭より上、それくらいのリュックサックだよ。もちろんテントもほとんどの場合持つ、米も持つし、水も持つ。上に水場があるとは限らないからな。水も途中で湧き水を飲むこともあるよ。バクテリアなんか知ったこっちゃない。水がないと死んじゃうからな。でも新潟とか日本酒の有名なとこの水はさ、甘いんだ。みんなあれを知らないなんてもったいないよな」

 にこり、とこっちを向いた。

「それでようやく登った山は、山頂が高山植物のお花畑のこともあるし、岩だらけで一歩間違えたら奈落ってこともあるし。だけどやめられないんだな。それでもし帰れたらコーラ飲もう、とか思うわけ。なにしろザックには水が入る場所はあってもコーラの入る余地はないしな。下山して飲むビール最高、ってこれは君たちにはまだ早い」


 そういうことが趣味のひとがいるということは知っていた。どうしてそんな大変な思いをするのかな、とも思ってた。でも拓己さんの話を聞くとわくわくした。

 わたしが登る山はどんな景色なんだろう。

「知らない話聞くのって面白いでしょ?」

「うん、すごく」

「よかった。名璃子ちゃんの目、ようやくキラキラしてきたよ」

 拓己さんの目的のひとつがわたしだったことを恥ずかしく思う。高校生になって少しは大人になったような気がしてたけど、全然大人じゃなかった。まるきり子供だったんだ。

 視野が狭くなっていたのは拓己さんじゃない。それはわたしだ。


「気にすんな。俺、こう見えてカウンセラー志望だから。心理専攻してるんだ、意外だろ?」

 冗談とは思えなかった。

 そう言った時の拓己さんの目は鋭く真剣だったから。目標に向かうひとの目だ。


「ひとりでいいとこ全部持っていったくせに荷下ろしはオレかよ」

「お前は鍛えてるからちょうどいいよ」

 よっこいしょ、と重そうなペットボトルの箱を佳祐が持ち上げる。カートがズレないようにわたしはカートの持ち手をぎゅっと握っていた。

「文句言うな、佳祐。美味いもの食わせるから。向こうにいた時はお前がダウンしてて自慢の腕をふるえずにいたからな」

「拓己さんの作ったものは食えるのかよー」

 とか言いつつ、佳祐にとってもお兄さんができたような様子だった。佳祐はそもそも人見知りしないタイプだけど、拓己さんにはいっそう懐いていた。


「火力がどうしようもなく足りないのは仕方ないけどやってみるか。名璃子ちゃん、ネギは小口切り、ショウガは細かくね」

「はい」

 ひとりで作るんじゃないのかよ、と佳祐はまた悪態をついた。

 拓己さんは中華鍋に油を敷いて、ショウガを待っている。焦る。

 ジャーッと景気のいい音がして、ショウガが踊る。ご飯をほぐしながら投入して、焼き付けるように炒める。そこにネギを入れ、炒まったところで塩コショウ、中華だしの素、少量の醤油は鍋の縁から入れて、ごま油も香り付けに。炒りごまを入れて完成。


「チャーハン。美味そうだろう? みんな呼んでこい」

 佳祐は軽やかに走って行った。

「佳祐となんかあった? 進展?」

「…………」

 わたしは指をもじもじさせた。

 とても顔を上げられない。

「ダメか。佳祐は玉砕したか。まあ、そういうこともあるよ」

「あの、なんて言っていいのか。……綾乃もいるし、軽はずみなことはできないから」

「佳祐の気持ちは汲んであげないの? 嫌いじゃないんでしょう?」

 ゆっくり見上げて顔を見た。

 そこにはいつも飄々としている拓己さんの笑顔があった。

「名璃子ちゃんは知らないと思うけど、名璃子ちゃんと離れて、佳祐は自分にとってどれだけ名璃子ちゃんが必要なのか知ったんだ。それで綾乃ちゃんも実際たくさん泣いたよ。もっとも彼女が泣いた理由はほかにもあると思うけど。佳祐が『死にかけてる』ってのは言い過ぎだけど、おんなじようなもので、綾乃ちゃんは自分に絶望してた。なにもできないって」

「そばにいてあげるだけで……」

「だから。佳祐がそばにいてほしかったのは名璃子ちゃんなんだよ。そういうのは代わりはいないの」

「……そういうものですか?」

「そういうもの。名璃子ちゃんはいつか佳祐の代わりになるヤツが来ると思ってたの? そんなのいない。俺にもそういう女がいるけど代わりはいないから絶対探す。あきらめない。どこかに手掛かりがあるはずだ」

 チャーハンは均等に盛り付けられた。さすがに緑が少ないな、と拓己さんは笑った。


 拓己さんの話はわかるような気がした。

 佳祐のことを保留にしたとして、わたしには探さなくちゃいけないひとがいる。それはわたしの半身――ママだ。

 手掛かりをひとつでも見つけてなんとかして探し出したい。

「泣かせちゃった?」

 首を横に振った。

「会いたいひとがわたしにもいることを思い出したんです。佳祐とは違う意味で……」

「そっか。おっさんもいつもそのことを考えてるよ。親子だね」

 パパ。

 パパはママのことなんかどうでもいいのかと思っていた。大人のことは難しい。そして、自分のことはもっと難しい。


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