7-(3)

 キラキラ輝く空の欠片は、まるでシャンデリアのようだった。

 わたしはその硝子のひとつになって、一緒に水面に落ちていく。

 水面は飛沫を上げて割れた青い硝子の欠片を飲み込んでいく。次々と、砕くことなく溶けるように。

 どぼん。

 背面から水に沈んだ。

 あの日、死んでしまいたくて沈んでしまおうとしたわたしを弾き出した水は、いまは行くべきところを知っているかのようにわたしの体を流れに乗せた。

 綺麗……。

 降り注ぐ青い欠片が水面に刺さっては蒸発するように消えていく。このままわたしも……。


 違う。そのために来たんじゃない。水の流れは速さを増して、わたしをそこに送り届けてくれる。

 ――いた。

 彼は体を羊水の中の胎児のように丸めて、水に浮かんでいた。

「湖西くん」と呼びかけようとすると、声はゴボゴボという泡になって飛び散って消えていった。

 諦めない。

 湖西くん、と頭の中で呼びかける。

 強く、念じるように。

 湖西くん。

 ――名璃子ちゃん?

 ――湖西くん、大丈夫?

 ――僕は大丈夫だけど、お父さんが。

 お父さんは元々の世界に戻ったんだとなんとなく納得する。きっと、また会える。

 この世界に入ってきたひとたちの特徴、それは、よくよく考えてみればわたしと湖西と、強い心の繋がりを持つひとたちだ。

 わたしの幼なじみの綾乃と佳祐。それからパパとママ。

 湖西のいとこ、みんなにとっていいリーダーだった頼りになる拓己さん。

 わたしたちが無意識のうちに数珠繋ぎに引きずり込んだひとたち。だから、綾乃みたいに自分からこの世界を飛び出すことが実は正解だったのかもしれない。


 ――お父さんは大丈夫だよ、きっと。

 ――お母さんと窪田くんは?

 ――お母さんは佳祐に任せてきたから。

 佳祐を信じているから。

 もしかしたら、ここにいた時の記憶は、外に出たらすべて失われてしまうかもしれない。ここでの時間はすべてが泡のように消えてしまうのかもしれない。佳祐はわたしのための佳祐じゃなくなっているのかもしれない。

 それでもいまは、信じてる。

 心の電波がちゃんと通じてるよ。だって心がこんなに暖かい。


 ――湖西くん、もう一緒にここを出よう?

 ――どうやって? 僕には出る方法がわからないよ。

 ――大丈夫、わたしにはわかるよ。水に体を委ねて。そして、大切な誰かを想って。ここにはいない、わたしではない誰かを。そうしたらそのひとがアンカーになってくれて、わたしたち、戻れると思う。……湖西くんはまださみしい?

 ――どうかな? まだ少しね。名璃子ちゃんはいつも僕と同じ顔をしてベンチに座ってたでしょう? 僕は君を見て、もっと君を知りたいと思うようになった。ひとりでは埋められないさみしさでいっぱいだったんだ。君もきっとそうだと思ったから、こんなところを作ってしまった。それは後悔しているし、みんなにどんなに謝っても足りないと思う。でも今までとは違うんだ。せっかく知り合えたみんなと別れるのがさみしいよ。僕もここにいる間はみんなの中の『一員』だったんだ。それで、ひとって、暖かいなって思えたんだよ。

 ――わたしも同じ。誰も、なにも信じられなかった。心の中がいつも虚ろで、さみしさでいっぱいだったのに、誰にも話せなかったの。親にも、友だちにも。それでベンチにひとり座ってた。世界が変わってしまったらいいのにって願ったのは、もしかしたらわたしの方が強いかもしれない。毎日に疲れていたから。でも、ここへ来て、大変なことがいろいろあって、みんなの心の中が見えたの。みんなも本当は重いなにかを心にしまって生きているってことを知って、そしてみんなでわかり合うこと、助け合うことの意味を知ったの。だからもうここは終わり。わたしたち、学んだことを胸に、本当の世界に帰らなくちゃ。向こうでまた会おう。学校でもいいし、またしおさい公園でも。ピアノも聴かせて。ドビュッシーの『アラベスク』。そしたらわたしも、きっとみんなもさみしくなくなるよ。


 湖西の顔がわたしの顔を見た。

 大切なことを確かめるために。

 ――名璃子ちゃん、また会えるんだね? それは約束?

 ――約束だよ、世界がたとえどんなに変わっていても、きっと。ほら、指切りしよう。

 ふたりはそれぞれ右手の小指を出した。その指と指が絡まりそうになって。


 そして、果たして指切りができたのかわたしにはよくわからなかった。でも、寸前になって湖西が指を引っ込めたとも思えなかった。少なくとも爪の先くらいは触れたんじゃないかな。

 わたしたちは空の欠片同様、水の泡となって消えた。炭酸のように青い水に溶けた。

 体全部がふわっとした。


 それが最後の記憶。

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