1-(9)
「いただきます」
手を合わせて神妙にそう言ったあと、佳祐は「最初の夜に乾杯」と付け足した。
ふっと沈黙が走って、どっと笑う。
なんだよ、気を利かせたんだけど、と不満そうに佳祐が言う。綾乃が佳祐に乗っかって、自己紹介をしようと言い出した。
「いまさらいいんじゃない?」とわたしが言うと「そうかなぁ。わたしはお互い、もっと深く知り合った方が上手く暮らしていけると思うの」と力説した。
綾乃の提案はほぼ無理やり可決されて、ジャンケンで時計回りに自己紹介することになった。
どちらでもなんでも構わなかったわたしは気合いで既にみんなに負けて、一番手になった。
「青山名璃子。……なにをしゃべるの?」
「誕生日とか好きな物とか特技とか」
「んー」
頭の中でいろんなものを並べてみる。すべてにそれほどの差はないように感じる。それでもなにか選んでしゃべらなくちゃいけないので、こういうのはいつも苦手。
「誕生日は六月十九日。だから双子座。でもあんまり占いは信じてないかな」
「名璃子らしい」
綾乃からツッコまれて、余計に話しづらくなる。恥ずかしくて頭の中はなにも考えられなくなってくる。
「好きな物……好きな物は。もういいじゃん、みんなはなんでも知ってるでしょう?」
「名璃子の好きな物? 数学だろ? それからテスト。塾より通信教育が好き」
「なにそれ、勉強のことばっかじゃない。数学は、嫌いじゃないけど苦手。ついて行くのに結構、精一杯。だけど将来に活かしたいからなんとか食らいつきたいなって思ってる。将来の夢は秘密。数学ができないと叶わないから恥ずかしくて言えない。あと、うちは共働きだから料理は得意だと思う。なんかいっぱいしゃべっちゃった、おしまい」
「まだ途中だと思うけどなぁ」
綾乃が不満げに言ったけれど佳祐がさっと立ち上がった。その時ちらっとこっちを見たので、気をつかってくれたんだと思う。よく通る声で、彼は話し始めた。
「
取ってつけたようなジョークにわたしも綾乃もノーリアクションだった。なぜならそのセリフは何度も聞かされてたから。
「綾乃と名璃子とは保育園から一緒で同じマンションに住んでるんだ。なんとかしていまの状況をいい方向に変えたいと思ってる。いまはほかに望みはないよ。これは本当」
その言葉は逆に、わたしたちが袋小路に入っていることを思い知らせた。ここを抜け出ることができると思える強さが佳祐の強みで、それは数学ができることよりずっと大切なことだと思った。
佳祐の言葉が途切れたのを見届けて、綾乃がぴょこんと立ち上がった。
「渡辺綾乃、みんなと違ってC組なの。選抜に入れるほど頭良くないから、みんながうらやましいな。誕生日は三月四日。これがもしも三日だったら名前は『
そうなんだ、ここには魚がいない。
もちろん動物もいない。わたしたちの生活の中心だった干潟がなくなって野鳥もいない。それが意味するところをここで言うべきか……。
「動物性タンパク質、だな。なんとか早く現状打破しないとなぁ。オレたち育ち盛りだし」
「お肉が食べられないのは残念だけど、
「栄養の偏りは病気に対する抵抗力を減らすかもしれない」
「とりあえず、冷凍のお肉の解凍しかけてるのから順番にしばらくは大丈夫だよ、ね」
取ってつけたようなことを言って、取ってつけたように笑う。こういうのは綾乃の役目だ。わたしじゃ笑顔がひきつる。
「名璃子のバカ。全体の心配しないで自分の心配しろよ。ほら、眉間に心配したしわが寄ってる」
「嘘!?」
「嘘だよ」
なによもう、と隣の佳祐の腕を軽く叩く。あ、ひとの彼氏にやたらに触れたらいけないのかもしれない。いままでみたいに馴れ馴れしくしないって、ふたりが付き合い始めた時に決めたのに。
そう、隣にいるのは親友の彼氏なんだから。心持ち、体を離す。小さい頃から馴染んだなにかが離れていく。
「湖西の番。綾乃は長いから」
「え? 僕?」
…………。
考えてみるとこの中で湖西といちばん一緒にいた時間が長いのはわたしで、そのわたしも湖西のことは全然知らない。
彼は昨日から、自分のことは話さないし、わたしもあえて聞いたりしなかった。
「
「なんで? まだ学校辞めてないんでしょう? 同級生だよ」
実に綾乃らしいセリフだった。
「でもさ、僕、みんなよりひとつ……」
「その話、湖西くんには悪いけどみんな知ってるよ。だからわざわざ話さなくていいよ。もっと普通の話をしよう? 綾乃は湖西くんの過去より、いまの湖西くんがどんなひとなのか知りたいの。だってわたしたちチームなんでしょう? 毎日、一緒なんでしょう?」
「……渡辺さん、ありがとう」
湖西はうつむいてすっかりカレーが冷めるんじゃないかなと心配になるくらい黙り込んだ。
事情があるにせよ、わたしとふたりの時には快活でやさしい彼の沈黙をどう受け止めたらいいのかわからなかった。
「僕の家は、父も祖父もこの高校の出身者なんだ。だから小さい時から期待されて塾にもずっと通ったし、……文化祭だって毎年連れてこられたんだよ。『お前も将来ここの生徒になるんだよ』って。もちろん一生懸命勉強したし、中学に入ってからここに受かるっていうことは普通、難しい事なんだって知った時には驚いた。でもそのために勉強してきたんだから迷うことはなかったんだ。受験も私立は受けないで単願。学校の先生たちにはいろいろ説得されたけど、それでもここしか来る気はなかったし、判定もBより下がったことはなかった。なのに落ちたのは僕が不甲斐なくて。――腹痛がおさまらなくて。変なものも食べてないし、よく寝たし、冷やしたわけでもないのに。熱を測ったら三十八度をあっさり超えてて、それでも薬を飲んで受けたんだよ」
今度はわたしたちが黙る番だった。
三人の中でいちばん判定の悪かった綾乃だってそんなに追い込まれているようには見えなかったし、わたしにしたって緊張感は強かったけど、具合が悪くなるようなことはなかった。
「とにかく落ちて、周りが騒ぎ始めて二次募集のある学校の資料を先生が探してきて……僕、学年トップだったから先生たちも変な進路に進んでほしくなかったみたいで。でも僕はもう絶対ここに来るって決めてたし、いまさら変えようもなくて、一年間、みっちり勉強して、あの日に学校に来たんだけど……どうしてかな、心は自分がここに相応しくないって知ってたのかもしれない」
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