2-(3)

 夕飯のステーキは大好評だった。

 それもそうだ、普通ならちょっと買えない値段のお肉を贅沢に焼いた。ミディアムレアに挑戦。

 ソースは玉ねぎのソースと、わさび醤油を用意した。

 洗い物が増えないように紙コップを使うようにしている。コーラを注いで紙コップの内側に小さな泡がたくさん付くと、みんなから感嘆の声が上がる。

「フライドポテトが食べたくなるー」

「気が利かなくてごめん。でも油物はちょっと無理かな」

「ワガママ言うなよ、こんなに作ってもらって」

 そんなことないよ、わたしも湖西くんとご飯の支度をしたもん、と綾乃が反論する。そうだね、と湖西は苦笑した。


 ご飯のあと、綾乃が懐中電灯を持って怖がりながら近くのトイレに行ったので、自然、三人になる。

 この三人編成は珍しいので、言葉を口に出しにくい。

「で、駅なんだけどさ。双眼鏡で見ると駅ビルもありそうだな」

「そうなの?」

「上の方だけだけど」

「でもそうしたらひとがいる可能性がぐんと上がるんじゃない?」

 湖西が、なにかを言おうと口を開いた。わたしと佳祐はその口元をじっと見つめた。

 二度目に唇が動いた時、ようやく声が出たようだった。

「僕は、反対だ」

「なんで?」

 身を乗り出したわたしを佳祐が押し止めた。

「理由があって言ってるんだろう?」

 再び湖西は黙った。

 今度はわたしの目を窺うように見た。

「『可能性』に危険を冒したくない。いま、僕たちは物質的にも恵まれていて開拓に出なくちゃいけない必要性を感じない」

「でも小さなことでもいいから変えていかないと。それに物資だって無限じゃないよ。現に食事は食べられてる、けど生物なまものはもう食べられない」


「アイスも食べられなーい!」

 気が付くと綾乃が戻って来ていた。

「ぶっちゃけあの日から日数的にどこかでアイスが食べられるとは思ってないよ。でも確かにここには大抵のものがあるし、ほかのひとを連れてきた方がいいかは微妙だと思うの。分けてあげられるほどあるかは微妙だと思うでしょう? せっかくわたしたち四人は仲良くやってるんだから、いまさら知らないひととか入ってほしくないかも」

 綾乃はわたしたちを気にせず、佳祐の首に背中から腕を回した。

「綾乃はこの四人でいればいいと思うの。そのうち自衛隊のヘリとか来るんじゃない? 出動に三日くらいかかる時もあるみたいだし、もしかしたらここよりひどいことになってるところがあるのかもしれないし」

「ここよりひどいところなんて……!」

 思わず荒らげてしまった自分の声にハッとする。


 もっと冷静に、落ち着いて。

 だって確かに綾乃の言う通り、この四人では上手く行ってる。話はこじらせないように慎重に進めないといけない。

 ――綾乃、席につけよ。

 その時初めて佳祐が綾乃に本気で苛立っているのを見た。

 確かに子供の頃から綾乃は天衣無縫、無邪気で、悪く言えばわがままだった。

 でもわたしも佳祐もそれを笑って流して許してきた。だっていつも三人一緒。仲間割れしても仕方ない。

 なのに。

「とにかく、この件に関してはゆっくり話を進めることにしようよ。いいね? みんな怖い顔しないでいつも通り笑って」

 珍しく、まるで学級委員長のように湖西が話を収めた。そうだ、忘れてしまいがちだけど、彼は年長者だった。わたしたちは口をつぐんで食事の後片付けを黙々とこなした。

 当たり前だけど、ゴミの収集車が来ない……。まだ真夏ではないとはいえ日中は暑い日も多い。日増しにいろんなことが心配になっていく。


 一晩経って朝ごはんの後、湖西に頼んでスーパーまでついてきてもらう。単独行動はできるだけしない約束だ。ふたりでスーパーのカゴを提げて坂道を下る。

「上ってきた時はあんなに大変だったのにね」

「青山さんにバレないといいなと思ってたんだけど、かなり辛かった。運動不足だったから。あの時はこんなふうにふたりで笑ってここを歩けると思わなかった」

 ふと隣の顔を見上げると、湖西の真っ白な額に短くて柔らかい髪がふわっと揺れた。彼は言葉通り、笑顔だった。


「あの、こんなことを聞くのはなんなんだけど。……湖西くんは怖くないの?」

「怖いかって? んー」

 彼はすぐに口を開かなかった。頭の中で答えを探してるのか、言葉を並び替えているのか、わたしは与えられるものを待った。

「確かに物が無尽蔵にあるわけじゃないのは怖い。いつこの状況を脱せるのかわからないのも怖い。でもさ、おかしいんだけど。他人と一緒にいてこんなに楽しいなんて忘れてたし……。でも」

 スーパーは目前だった。湖西は立ち止まった。わたしは、特に背が高いというわけではない男の子の影に入った。


「最終的には僕が青山さんを守るよ」


 ――え?

 なにかの聞き間違い? 守るってなにから? どんなふうに?

 いろんな疑問が渦を巻く。どうしてそんなに自信に満ちた顔で確信的にそう言えるんだろう?

 この間は折れそうに見えた彼の姿がわからなくなる。

「守りたいんだ、青山さんを。そのために僕はここにいるんだよ。それを知っておいて」

 いろんな不思議が頭をもたげる。

 どうしてあの公園にちょうどよく彼がいたんだろう?

 どうして彼のリュックからはお誂え向きの食べ物と水が出てきたんだろう?

 どうして、どうして、どうして?

 どうしてわたしなの?


 肩にぽんと手を置かれる。

「渡辺さんには窪田くんがいるからね」

「……そうだね」

 そこで納得してしまう。そう、綾乃は佳祐が守る。それを湖西は言っているに過ぎない。

 いつも通りスーパーのスライドドアを開けると、腐りかけてきたものの異臭が鼻をついた。自分の家ではないけれど、なんとかしなくちゃいけないだろう。

 ここはいま、大切な食料庫だ。

 ゴミ置き場にしてしまうわけにはいかない。


 昼食にはアジの開きと海苔、納豆、ワカメの味噌汁を出した。

 綾乃は洋食じゃないとブツブツ言いながらお味噌を溶いた。佳祐のためだよ、と言うと「和食はお味噌汁の香りから、だよね」と現金なことを言った。

 カセットボンベの替えが心配なければもう何品か作れるんだけど、残念だけど佳祐のリクエストに応えるのはここまでだ。

「うわ、和食!」

「これしか用意できなかったの、ごめん」

「アジの開き、最高」

 ガタガタと音を立てて佳祐は席に着いた。わたしがお味噌汁は作ったんだよ、と綾乃が自分を指さして言った。

 でもそんなことはどうでもいいことで、みんなで仲がいいことが大切なんだ。

 湖西が遅れてやってきて、やっぱり歓声を上げる。

「昨日の『買い物』がこうなったんだね」

 みんなが喜んでくれるとうれしい。誇らしい気持ちになる。

 綾乃や湖西の言うこともわかる。

 四人でいるしあわせ。

 それはとても刹那的かもしれないけれど、それでもひとつのしあわせの形なんだ。



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