▽クリアデータをセーブしますか?


 気が付くと部屋の中に突っ立っていた。


 洒落てはおらず、かといって汚くもない。必要なものが必要なだけ置かれた室内は、“普通の部屋”と言われたときにおおよその人間が想像するであろうそれに近かった。


 多少目を引くものがあるとすれば、据え置きのゲーム機や何本ものゲームソフトが置かれた棚だろうか。

 棚の上にあるさほど大きくないテレビの中では、ずらりと並んだ人名が壮大な音楽とともに下から上へとゆっくりスクロールしていた。


「よう」


 その映像をぼんやり眺めていると、ふいに声をかけられる。


 視線をずらせば、テレビの前にはいつの間にか人が座っていた。

 それは平々凡々とした容姿の男で、そいつはコントローラー片手に俺を見上げて笑みを浮かべる。


「おつかれさん、グールの“俺”」


 ああそうだ。この男は。


「……よう、凡人の“オレ”」


 ゲームが好きで、どちらかといえばインドア。ことなかれ主義。悪人ではないが特に善人でもない。


 そんな、かつての自分が、そこにいた。


「いやぁゲームだったらさー、ここで生まれ変わった意味とか、世界の秘密とか明かされるんだろうけど、あいにく何も知らねぇんだわコレが」


「分かってるよ、俺だぞ」


「ああそうだよな、オレだもんな」


 俺が知らないことをオレが知るはずないだろう。舞台装置みたいな神様でも出てきてくれれば話は別だが、現実はそこまで都合良くいかないらしい。

 とはいえソル達と戦ったあの時に、俺にとっての結論はもう出ている。今更それ以上のことを知りたいとも思わないのでそのへんは別に構わないのだが。


「ならお前にも答えられることをひとつ聞いていいか? 凡人のオレ」


「どうぞグールの俺」


「俺が、最初からあいつらを救うために動いてたら……なんか変わってたと思うか」


 もっと早くに世界を現実と認めて、目を逸らさずに彼らと向き合っていたなら。

 ソルの故郷を、ヒロインの両親を、俺が俺として生きる中で見殺しにしてきた数多の人々の運命を、変えることが出来ていたのだろうか。


 くだらない仮定だ。後の祭りだ。零れた水は戻らない。

 そうと知っていながらも懺悔のように口に出してしまったのは、相手が今更取り繕っても仕方のない己自身であるからか。

 究極の自問自答だな、と自嘲を零した俺に向かって、凡人はあっさりと答えてみせた。


「そうだな。そしたらもっと良い未来があったかもしれない」


「…………」


「でも、さらに悪い結末を迎えていたかもしれない。そんなの誰にも分からないよ。ゲームなら攻略本片手に最適解だけを選んで進んでいけるし、やり直しも出来るけど、“現実”はそうじゃない」


「……ああ」


「ならたとえ最善じゃなくても、無様で最低でも、すべては迷い悩んだ“俺”の選んだ結果さ。それ以上でも以下でもない。だろ?」


「ずけずけ言いやがる」


「自分に遠慮してもしょうがないじゃないか」


 他人事みたいな顔で肩をすくめた凡人に少しイラッとして、上から頭を鷲掴みにしてやる。


「そもそもお前の記憶がさっさと戻ってれば、こんなことにはならなかったんだよ!」


「いだだだだ!! やめろよ自分虐待は! 自虐反対ー!」


 ひとしきり自分に八つ当たりをして満足したところで離してやると、凡人はこめかみをさすりながら、涙目でこちらを睨み上げた。


「そうは言うけどなぁ。もし最初からオレの記憶があったら、スラムの生活についていけなくてすぐ死んでたぞ。あそこで生き延びたのは“グール”だったからこそだろ」


 確かにいくら前世の知識があろうと、平和ボケした凡人があの腐った街で正気を保っていられたとは思えない。

 戦闘狂かつ生き汚いグールとしての意識が強かったおかげで乗り切れた場面も数多くあった。


「あーでも無意識のうちにオレの価値観もけっこう混ざっちゃってただろうからさー、それでこの世界……っていうより帝国で生きるの辛かったろ? ごめんなー?」


「いやまぁ、別に……つかさっきから何でいちいち他人事みてぇなノリなんだよ」


「他人事みたいなもんじゃん?」


「ぶん殴るぞ」


「うわ、だから止めろって自虐は! 別に悪い意味じゃないって!」


 近くに置いてあった攻略本で慌てて頭を庇った凡人が、理解の足りない生徒にものを教える教師のように、「いいか?」と言ってピッと人差し指を立ててみせる。


「凡人の『オレ』が牛乳で、中ボス『血染めの食屍鬼』がコーヒーだ。そんで今ここにいるグールの『俺』は、言ってしまえばコーヒー牛乳なんだよ」


「はぁ?」


「例えだって。で、コーヒー牛乳はコーヒーでも牛乳でもあるけど、コーヒーと牛乳はコーヒー牛乳じゃないだろ? まぁオレどっちかっていうとイチゴ牛乳のほうが好きなんだけど」


「くっそどうでもいいわ。結局何が言いたいんだ、意味分かんねぇ」


「だぁっからー、お前はオレでもあるし血染めの食屍鬼でもあるけど、オレも血染めの食屍鬼もではないってことだよ」


 凡人はそこでひとつ息を吐いた。


「ヒロインちゃんも言ってたろ。お前らしいのが“グールらしさ”だってさ。ならもういいじゃん」


「何が」


「つまりコーヒーも牛乳も切っては離せないお前の一部だけど、お前はお前でコーヒー牛乳として胸張って生きていいってことだよ! ばーか!」


 気安い罵倒とともに軽快に笑ってみせた凡人を見下ろして、俺は何も言えずに顔を歪める。


 結局これもまた、記憶が戻るのが遅すぎたゆえの弊害なのだろう。

 今の自分を前世の延長と捉えるにも、血染めの食屍鬼と言い張るにも、“俺”でいる時間があまりに長すぎた。


 記憶の中にあるふたつの影。

 そのどちらにもなりきれなかった自分に、思うところがないといえば嘘になる。


 けれどそんなどっちつかずな俺でもいいのだとあの金の髪の少女が、強くなった青年が、そして自分であって自分でない凡人が、まるで当たり前みたいに言い放つから。


「ああ……そうだな」


 首輪があろうと、なかろうと。


「もっと“俺らしく”、生きてみりゃよかったなぁ」


 ぽつりと零れた声は自分のものとは思えないほどに穏やかで、けれど苦い後悔に満ちていた。

 そんな己に苦笑しつつ、ひとつ息を吐いて肩をすくめる。


「……なんてな。ま、死んじまったんじゃしょうがねぇや。それで? “俺”はこっからどうなるんだ? また転生とか御免だぞ、面倒くせぇ」


「うーん。オレさぁ、ひとつのゲーム何周もするわけじゃないけど、一通りはやり込むタイプなんだよ。たぶんお前もそうだろ?」


「あぁ?」


 繋がらない会話に眉を顰める俺をよそに、凡人はエンディングの流れるテレビ画面を眺めながら、コントローラーのボタンを無意味にかちかちと連打する。


「だからクリア後に解放されるEXダンジョンとかも一応やっときたいっつぅか」


「…………何が言いたい」


 凡人は答えない。


 そうこうしている内に全ての人名を流し終えた画面が黒一色に変わり、そこに何かの選択肢が表示されたところで凡人はようやくこちらを振り仰ぎ、にやりと笑って俺にコントローラーを差し出してきた。


「ちゃんと、やり込んでこいってことだよ」


 反射的に受け取ってしまった瞬間に画面の中で「はい」が選ばれる。何だよ、何が「はい」なんだよ。

 そんな疑問を口に出す間もなく、軽妙な決定音が響いたと同時に足下がざらりと崩れる。


 のんきな顔で手を振る凡人を視界に映しながら体は下へ下へと落ちていき、やがて、目の前が真っ白になった。


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