BONUS DISC

Never do things by halves.


 重い瞼を押し上げる。

 すると目に映ったのは知らない天井、ではなく大男の大胸筋だった。


「……ここが地獄か」


「お。起きたのかよ団長」


 思わず零れた呟きに気付いてこちらを見たジュバの手には、先ほどまで俺の額に乗っていたらしい濡れタオルが握られている。それを交換するために身を乗り出したところだったようだ。


「……にしたって普通、こういう展開で、看病って、姫とか……ああ、うん、まぁいいや……ありがとな」


「おー。それで調子どうだ? もう死にそうか?」


「なんて聞き方だテメェ……体中くっそ痛ぇけど死なねぇよ」


「そうか、じゃあ他の奴らにも団長起きたって知らせてくるから、そのまま生きててくれ」


「……生きてる生きてる、任しとけ」


 全身激痛でもう突っ込むのも面倒だったので適当に返事をすると、ジュバは早々にどこかへ行き、室内には俺一人が残された。

 こうなれば「待つ」以外に選べるコマンドはないわけだが、絶え間なく襲い来る痛みから気を紛らわすために、視線だけを動かして周囲を伺う。


 そこでようやく今居る場所が、自分の団長室内にある寝室のベッドの上だということに気付いた。どうりでめちゃくちゃ知ってる天井だと思った。


 しかしこの部屋が無事ということは、ノヴァによる爆破は大陸ごと吹っ飛ばすような威力ではなかったらしい。

 まずその事実に安堵した後で、俺の次に至近距離にいたソル達がどうなったのかが気にかかった。ソルは、ヒロインは無事なのだろうか。


「ジュバが通常運転すぎて、さっぱり様子が分かんねぇな……」


 あいつの場合はソル達どころか、ここ以外が全て爆散していても多分同じテンションで来るだろうから何ひとつ参考にならない。


 おとなしくジュバが呼んでくる“他の奴ら”とやらを待つしかないか、ともどかしい思いを抱えつつ溜息を吐いたその瞬間、蝶番ごと弾き飛ばすような勢いで部屋の扉が開く。


 その向こうから現れたのは、鬼の形相で金の髪を振り乱した……王女様だった。


「っ、あ、なたねぇ、本当、なん、~~~っばかじゃないの!?」


 そして開口一番で罵倒された。


 言い返す間もなく、つかつかとベッドの横までやってきたヒロインは、子供に説教をする親のように腰に手を当てたポーズでさらにまくし立ててくる。


「グラフィアスから聞いたわ! 何が“未来を考えた結果”よ! 世界が救われたって、その先にあなたがいなくて、私たちが、みんな、そんなの、喜ぶとでも……っ!」


 ヒロインはそこでくしゃりと顔を歪めて、ベッドの脇にへたり込んだ。

 俯いた彼女の表情はここからは見えないが、すがるようにシーツを握りしめた細い指先は微かに震えている。ぐす、と小さく鼻をすする音が聞こえた。


「……助けてくれてありがとう。でも、もうあんなことしないで」


「あー」


「ちゃんと返事!!」


「ハイ」


「約束して。破ったら絶対ゆるさないんだから。今度やったら、皆でぼこぼこにしてやるわよ」


「リンチか。死ぬっつの」


「死なないでって言ってるのよ」


「……はいはい。わぁったよ、ワガママ王女様。ところでソルは……ぅお、」


 ふと滑らせた視界の先、扉のところに立ち尽くしたまま泣いているソルを見つけて、反射的にびくりと肩をはねさせた。

 その拍子に全身に激痛が走って悶絶していると、ソルが慌ててこちらに駆け寄ってくる。


「……、っ…………」


 そして何を言おうとしたのか口を開きかけ、しかし何も言葉に変わらないまま息を詰めたソルは、またその場で静かに泣き続ける。


「……おい、なんかその、黙って泣かれるとすげぇメンタルに来るからやめろ、いっそ怒れ」


「あら。私もそうすればよかったかしら」


「やめてください」


「いえ、どんどんやって、その人めっちゃくちゃに困らせてください。そうすれば自分もちょっとは溜飲が下がるんで」


 ぬるっと会話に入ってきた新たな声を聞き、やっぱり怒ってたか、と思いつつ扉のほうに視線を向けて、俺は目を丸くした。


「は? うっそだろお前。な、」


「泣いてません」


「……その状態でよく真顔で言えるな」


 部屋に入ってきたグラフはいつもの無表情を維持したまま、ぼろっぼろに泣いていた。

 しかし顔も声も至って通常通りなので、ぱっと見だと雑なコラ動画みたいで少し怖い。


「つか、何でそろいもそろって泣いてんだ。死んだならまだしも、こうして無事……ではねぇけど、ちゃんと生きてんだろうが」


「──ふふ、安心した時にも涙は出るものなのですよ、グール様」


 グラフの後ろから部屋に入ってきた姫は、俺を見るとほっとしたように表情を緩める。

 そして最後に戻ってきたジュバが扉を閉めたところで、姫が深々と頭を下げた。


「ありがとう、ございました」


 帝国の姫として。皇帝の妹として。

 その胸に溢れかえっているはずの謝罪も感謝もただ一言に込めて、彼女は少しだけ震える声で告げた。


 俺はそんな姫から視線を外し、何くれとなく天井を見つめる。


「あいつ死んだのか」


 ぽつりと独り言みたいに呟いた俺に、はい、と姫の静かな肯定が返った。

 どのみち致命傷ではあったが、ノヴァの爆破によって体は粉々に吹き飛んでいたという。


「でもそんな威力の爆発だったわりには、被害範囲はあまり広くなかったのよね。あなたが庇ってくれたのもあるけど、近くにいた私達はほとんど無傷だったし」


「まぁ……そのへんは、どうとでも出来たんじゃねぇの」


 威力も範囲も思いのまま。アレはそういう遺物だ。

 そこにあの遺物マニアの操作技術が合わされば、自分の体だけをきれいさっぱり粉微塵にするくらいは余裕だろう。その気なら俺への影響もゼロに出来たはずだ。


「……俺だけこのザマなのは嫌がらせだろ。ったく、最期の最期までめんどくせぇ」


 爆発の直前、頭に何かを乗せられた気がした。

 視認は出来なかったが、爆破に巻き込まれた俺が今こうして生きている理由を考えれば、それが何だったかは想像がつく。


「アストラの……あんたのところの王冠。ちゃんと回収したのか、王女様」


「え? ああ、うん、あなたが倒れていたあたりに落ちてたからって、後でレサトが拾ってきてくれたわ」


「その場で拾えよ」


 家宝的なやつだろアレ。


「そんな余裕なかったわよ! 言っておくけど、あの距離で爆発に巻き込まれて、あなた死んでてもおかしくなかったんだから!」


 というか死んでいて当たり前の状況で、本来なら俺ごと爆発四散していたところだろう。

 しかしアストラの王冠には全耐性付与の効果がある。

 それをあの瞬間に“装備させられた”から爆破の威力が和らぎ、こうして満身創痍ながらも死なずに済んだわけだ。


 わざわざ巻き込むように爆発しておきながら、なぜそんな事をしたのかという話だが。


「……どっちでも良かったんだろなぁ……」


「なにがよ!」


「いや、何でも」


 あのまま俺が死ねば奴の勝ち。俺が命を拾えば奴の負け。あれは、そういった類の“遊び”だったのだろう。

 結果が確定していてはゲームとは呼べない。だから奴はわざわざ爆破範囲だのアストラの王冠だので確率を調整して、どちらにもなり得る状況を作り上げたのだ。


 死に際にそこまでやるか、と溜息を零していると、ヒロインが拗ねたように頬を膨らませた。


「もうっ、みんな本当に心配したんだから、お説教くらいちゃんと聞いてよね」


「……後で怒んなよ、って先に言っといただろうが。それはグラフから聞いてねぇのかよ」


「怒るかどうかはその時になってから決める、と自分も言っておいたはずですけど」


 そういえばそんな事も言っていたかもしれない。

 あの段階では爆死する予定だったため、まさか“後で”の“その時”に自分が居合わせるとは欠片も思っておらず、すっかり記憶から抜け落ちていた。


「この際だからリエナ姫に怒ってもらえばいいんじゃないの? そっちのほうがこの人には効きそうだわ」


「それもそうですね。じゃあ姫、心配かけられた分だけガツンとお願いします」


「お前ら何でそんな息ぴったりなんだ」


 唐突に話を向けられた姫は驚いたように目を丸くした後、小さく首を横に振る。


「グール様はお強い方ですから、きっと大丈夫だと思っておりました。だからわたくしは心配なんて、ちっとも、」


 いつも通りに微笑んでいた姫の瞳から、一粒の雫が落ちた。


「心配、なんて」


 最初の雫がぽつりと床を叩いた音を合図にしたように、次から次へと雫が溢れていく。

 自分でも驚いた様子で零れ落ちる涙を眺めていた姫は、やがて力が抜けたように床に座り込むと、両手で顔を覆った。


「ふ、ぅ、うあ……、ううぅ~……っ!」


 姫とはだいぶ長い付き合いだが、こんなふうに大泣きしたところを見るのは初めてだ。

 俺が知らなかっただけという話でもないらしく、泣き慣れていない人間特有の下手くそな呼吸が耳をついた。


 あのとき。

 自爆することを選んだこと、とっさにソル達を庇った自分の行動が、間違っていたとは思わない。

 最善でなくとも、最良でなくとも、あれは紛れもなく“俺”の意志だった。


 だからグラフ達の言いたいことも分かるが、悔いていないものを口先だけで謝罪するつもりはなかった。

 その思いに変わりはない。あの決断を詫びるつもりはない、けれど。


「――――リエナ」


 初めて口に出したその名前は、案外あっさりと空気に響いた。


 すると思わずといったように顔を上げた姫が、未だ流れる涙もそのままに、ぽかんと俺を見る姿に苦笑する。


 俺は覚えているくせに名前を呼ばない。レサトに指摘されたそれは、今思えばきっと、予防線だった。

 自分が見殺しにするかもしれない“キャラクター”から距離を置いて、見捨てる己を正当化するための、身勝手な防衛本能だったんだろう。


「心配かけて、悪かったな」


 痛みの走る腕を無理やり持ち上げて手を伸ばす。

 すると姫は――リエナは、ふらふらと立ち上がってベッドの脇まで歩み寄り、俺の手を取った。


 そして今度こそ小さな子供みたいに、声を上げて泣き始める。


「ほんとうに、わたくし、心配したんですからぁっ……グールさまの、ばかぁ……!!」


「あー罵っとけ罵っとけ。この際だから好きなだけ苦情聞いてやるよ」


「っぅう~……! グールさまは昔から、すぐお怪我をするし、きちんと手当てしてくださらないし、ご自分が大変でも、何も言ってくださらなくて、ひどいです……!」


「悪人ぶってるくせに好物は木苺のパフェですしね」


「しかも意外と紳士的なのよ」


「便乗すんな」



 そんな調子で方々から苦情なのか何なのか分からない気恥ずかしい罵倒を受け続けた後、ひとしきり泣いて落ち着いたリエナが照れたように目元を押さえて、そろそろ戻らなくては、と言った。


「和平条約の調印中にジュバ様からお話を聞いて、皆で飛び出してきてしまいましたから」


「なんてとこに突撃してやがる」


「だって団長が起きたら絶対に知らせろっつったのそいつらだぜ?」


「まぁ今から戻ってぱぱっと調印すれば平気よ。行きましょリエナ姫」


「はい。すぐ戻って参りますので、グール様はどうかご安静に」


 王国と帝国の和平という歴史に残りそうな条約への調印をまるで宅配便のサインみたいに言ってのけて、王女とリエナが部屋を出ていく。

 するとひとつ溜息を吐いたグラフが、ソルの後頭部をぱしりと叩いた。


「いつまで泣いている、見習い。我々も護衛に行くぞ」


「……っ、はい……!」


「お前……己を棚に上げてよくそんなしゃあしゃあと」


「自分泣いてないんで」


「あハイ」


「それより自分からも言っときますけど、普通なら死んでる怪我ですからねソレ。事実、一回心臓止まってるんですよあんた。すぐ持ち直しましたけど」


「まじか」


「こんなろくでもない冗談言いませんよ。分かったら大人しくしててくださいね」


 そう釘を刺したグラフがソルと共に出て行けば、部屋にはボロ雑巾みたいな俺と、壁際に座り込んで本を開くジュバだけが残された。


 閉じた扉をぼんやりと眺めつつ、夢の中で手渡されたコントローラーの感触を思い出す。

 いや、心臓止まってたってことは、夢というか。


「……臨死体験?」


 そういうのは普通、亡くなった両親とか祖父母に会うものじゃないんだろうか。

 まぁ顔も知らない今世の血縁に出てこられたって俺も困るわけだが。にしても前世の自分って。


 何とも言えない気分で深く溜息をつくと、ジュバが本から顔を上げてこちらを見た。


「どうした? しんどいか?」


「ああ、いや、大丈夫……」


 言いかけて、ふとジュバが手にしている本を見た俺は内心首を傾げる。


「お前それ、帝都突入前に読んでたやつだろ。読み返してんのか、めずらしい」


 アジトでの待機時間に暇だと言ったら本を何冊か貰ったらしく、持ってきたそれを突入直前まで読んでいた記憶がある。

 月明かりしか光源がない中でも読み続けるから王女などは「ちゃんと読めてるの?」と不思議そうにしていた。


 たしか読み終わる寸前で決行時刻になって、もう少しだったのにとぼやいていたはずだ。俺がどれだけ寝てたか知らないが、それでまだ読み終わっていないという事もないだろう。

 ジュバは一度読み終えたものを再び手に取ることはまず無いので、そこにあの時と同じ本があることを少々意外に思った。


「まぁでも、気に入った本が見つかったなら良かったな」


「っつーわけでもねーんだけど」


「ねぇのかよ。じゃ何で読み返してんだお前は」


「読み返してねーよ」


「あぁ?」


「団長寝てるし暇だったから、読もうと思って開くんだけどよ、なんかいっつも読み終わんねーんだよな。ページ、あと少しなんだけどな」


 こんなに読み終わんねーの初めてだ、と何の変哲もない本を不思議そうに眺めているジュバの様子に、俺は目を丸くする。


 ああ。なるほど。

 どうやら、こいつも“通常運転”などではなかったらしい。


「……ま、今度こそ読み終わるだろ。それよりお前にも心配かけて悪かったな」


「なぁ団長、おれって“心配”してたのか?」


「何で俺に聞くんだよ。自分のことだろうが」


「だからだって。心配してる人間にどういう反応が出るかってのは、本で何通りも見たから知ってる。でも自分がどうなってるかは自分じゃ見れねーだろ。だから聞いてんだよ」


 そう言って首を傾げたジュバを見て、俺は傷に響かないように喉の奥で小さく笑った。


「さぁな。せいぜい自分で感じて考えな、人間引きちぎりマシーンさんよ」


 軽い調子で告げれば、納得が行かないらしく眉根を寄せて唸るジュバにまたひとつ忍び笑いを零す。

 体中包帯まみれで、激痛が走らない場所を探す方が難しいくらいズタボロの体の感覚も、今はやけに愉快に思えた。


 そうして現実を噛みしめる俺の脳裏に、ふと声がよみがえる。


 『ちゃんと、やり込んでこいってことだよ』


「……上等だ」


 ゆっくりと閉じた瞼の裏。

 あの部屋で、したり顔の凡人が笑った気がした。






 ――――ちなみに。


「戦後処理なんてきらいきらいきらい!! これがなければすぐグールくんに会いにこれたのにぃ!! なんであたしだけ一週間後とか!」


「情報は鮮度が命なんだろ。頑張れ女帝」


「がんばったよ! なるべく無駄な犠牲とか出さない方向に持って行くのに情報収集したり改竄したりあたしホントがんばったの! がんばってるの! そんなあたしはグールくんに褒められて然るべきだと思う!! 褒めて!!!」


「お前いっそすがすがしいな。あー、ほら、分かったから泣くな。生きてるだろ、ちゃんと」


「ぅあああーんリーダー! 死な゛なくて良かっだぁー!! リーダーのばかー!!」


「はいはい、リーダーはバカですよ。つかマジで今もそう呼んでんのか」


「普段どう呼んでたっていいでしょグールくんのばか! リーダーのばか!」


「悪かった悪かった」


「ううー……ばかぁ……」

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