おひめさまのどくはく


 幼いころの兄は、弱気で引っ込み思案な、どこにでもいる普通の男の子だった。


 私達は特別仲が良かったわけでもなく、かといって悪かったわけでもない。

 優しい母のもとで共に育ち、違う友人と遊んで、同じお菓子を食べて笑い、まれに喧嘩をした。

 あえて言うならば、そう、私達はどこにでもいる“普通の兄妹”だったのだろう。


 けれど私達は「普通」にはなり得なかった。

 なぜなら兄は皇子で、私は姫であったからだ。


 帝国の歴史は、いつも血なまぐさい裏切りと謀略の中にある。

 それは私達の代でも何ひとつ変わらず、父が死んで、母が殺され、兄は徐々に歪んで、膿んで、ねじれていった。


 兄は昔から遺物アーティファクトが大好きだった。

 古代人の残した過去のかけらを拾い集めることを何より楽しんでいた兄は、いつしか、それの持つ兵器としての力に魅入られていた。


 そして弱気で引っ込み思案だった少年は、

人心を弄び、その命を蹂躙し、尊厳を踏みにじる事を愉しむ、狂気の王へと変貌する。



「お兄様! ここ最近の急激な治安悪化を、民は不安がっています。警邏部隊の増員、いえ、せめて配置の見直しだけでも……!」


「なんで? 今のほうが賑やかでいいじゃないか。きちんと整理整頓されたおもちゃ箱なんてつまらないよ」


 そう言って笑う兄の目に、私は映っていなかった。


 兄を止めることも出来ず、民を救うことも出来ない。

 ただの“お姫様”という人形でしかなくなった私の前に、彼は現れた。


 帝都ではあまり見ない褐色の肌に、血のように赤い髪。

 そして何より、ぎらぎらとした殺気を放つその鋭い眼差しに、思わず身を震わせたのを覚えている。


 おそろしい人。それが最初の印象だった。


 彼は何度も兄に奇襲をしかけ、そのたび遺物の効果によって退けられていた。

 あの首輪が与える苦痛はすさまじいようで、見ているこちらが辛くなるほど苦しむ様に、いっそ諦めたほうが良いのでは、と無責任に考えたことも一度や二度ではない。


 けれど彼は諦めなかった。

 屈してなるものかと語るその目を見続けるうちに、諦観に浸食されてすり切れていた私の心が、じわりと熱を帯びる。


「……あの、大丈夫ですか?」


 彼にとって幾度目のものかも分からない敗北のあと、勇気を出して話しかけてみた。


 しばらくは当たり障りのない対応でかわされるだけだったが、何度も何度も、彼のように諦めることなく声をかけ続けるうちに、少しずつ会話に応じてくれるようになった。


 思い切ってお茶に誘ってみたが、「こんなのが行ったらメイドもビビるだろ」と断られた。けれど私は諦めなかった。


 ならメイドは呼ばない。お茶は私が淹れよう。

 生まれて初めて、自分でお茶を淹れる練習をした。最初のころは苦くて飲めたものじゃなかった紅茶が、どうにか及第点と呼べるレベルで淹れられるようになった。


 それを伝え、改めてお茶に誘うと、彼は「何やってんだあんた」と呆れつつもお茶会に来てくれるようになった。


 そうやって接していくうちに、彼は思っていたよりずっと落ち着いた人であることを知った。

 兄に向かっていく殺意に溢れた姿ばかり見ていたから分からなかったが、机を挟んで話す彼は意外なほど穏やかで、思いのほか面倒見がよかった。口は少しばかり悪いが。


 悪名高い帝国の姫、狂帝の妹、と腫れ物扱いされることも多かった私にとって、彼とのお茶会はとても大切な時間になっていた。



 私の声は兄には届かない。

 私の力では民を救えない。


 けれど、けれど、私は声が枯れるまで兄を諫め続けよう。

 いざとなればどんな手段を使ってでも止めてみせよう。


 そしてもし、貴方がその首輪から逃れることを諦める日が来たら、今度は私がその手を掴もう。


「――――わたくしは、諦めない」



 だから“お姫様”はお人形のふりをして、しずかに、しずかに牙を研ぐのだ。

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