第42話バレンティーナの憂鬱

 いよいよ最終戦、バレンシアGPのレースウィークに入った。


 タイトルの行方もこの一戦ですべてが決まる。Moto2のチャンピオンは既に決定していたが、Moto3とMotoGPのタイトルは、ランキング2位のライダーが僅かに可能性を残している。しかし、なんと言っても注目はMotoミニモのタイトル争いだ。バレンティーナの2年連続チャンピオンか、エレーナの7年ぶり10回目の女王復活か。二人の対決は、最高峰MotoGPクラスのタイトル争いをも上回る話題となっていた。バレンティーナ優位ではあるが、オッズは互角。これはエレーナの人気と言うより、苺騎士団の人気と言えた。


 スターシアとシャルロッタは、元々多くのファンがいたが、このところ愛華の人気も急騰している。人気だけでなく、チームとしてのまとまりは、絶対不利な状況をひっくり返す可能性を感じさせてくれる何かがある。レースファンは、何かが起きることを期待していた。



 この時期、パドックを賑わすもうひとつの話題は、来シーズンのチーム体制である。ただしMotoミニモクラスに於いては、協定でシーズン終了までは移籍の公表も交渉もしない事になっている。このクラス特有のチームレースという性質上、シーズン中に移籍話が出るのは、ライダーにとってもファンにとっても、純粋なレースの興を削ぐものとなる。各チームこのクラスの繁栄のために自粛している。


 そうは言っても、裏で動くのが世の常であるが、ここ数年は二大トップチームの代表、ストロベリーナイツのエレーナとブルーストライプスのアレクセイ監督が律儀に協定を守っているため、意外と抜け駆けは少なくなっていた。二大トップチームの争いは、ライダーにとっては憧れであり、目標でもある。少なくとも野心と実力のあるライダーにとっては、どちらかのチームに入れるチャンスがあるのなら、他のチームとの交渉を躊躇ためらった。その連鎖は下のチームにも早期の交渉を躊躇ためらわさせ、一定の秩序が成り立っていた。


 アレクセイとエレーナは元々師弟関係であり、レースでは容赦ない死闘も繰り広げるが、ある意味信用もしている。無秩序な争いは、ファンから見放される事を知っていた。


 タイトル争いをしている両チームは勿論、タイトルとは無縁のライダーも、最後まで自分をアピールしようと真剣に走る姿は、最終戦まで観る者を飽きさせず、消化レース的ムードはない。チャンスに近づく者もいれば、格下チームに移る者もいる。来シーズン顔を見られなくなる者も何人かいるだろう。チャンピオン争い同様、熾烈な戦いが最後まで楽しめた。



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 初日の練習走行から、多くの観客がサーキットに詰め掛けていた。このコースは、メインストレート以外は、ほとんどコーナーが連続しており、絶えずマシンをバンクさせてるか切り返し、又は同じ方向に回り込むといった区間が続く。


 つまり、決定的なパワー差が表れるのは、最終コーナーの立ち上がりからメインストレートにかけてだけと言える。しかも速く走れるラインは限られており、パッシングポイントは少ないが、シャルロッタのような変則的ライダーにとっては、オーソドックなライダーを翻弄する絶好の舞台とも言えた。


 ヨーロッパでは珍しい左回りなのも、苺騎士団にとってポジティブな要素だ。愛華が鮮烈なデビューを飾ったザクセンリンクも左回りだった。レース経験の少なさが、逆に左コーナーの連続に苦手意識を持っていない。気分的なものでしかなくても、ストロベリーナイツにとって少しでも優位な条件は歓迎できた。



 対するブルーストライプス勢は、ポイント上でもマシンでも、まだアドバンテージがあるはずなのに、かなり追い詰められた雰囲気に包まれていた。


 勝って当然という条件は、大きなプレッシャーとなって、時に信じられないようなミスを誘う。リスクを怖れてマージンを取りすぎれば、必ずエレーナたちに喰われる。普段強気のバレンティーナも、これまで経験した事のないプレッシャーを感じていた。今シーズン、絶対楽勝と思われたレースを何度もひっくり返された記憶がボディブローのように効いてきていた。攻めの姿勢で挑む決意をしていても決戦が近づくにつれ、ネガティブな思考が忍び寄ってくる。


(心配する事なんてないんだ。アラゴンの時のように、スタートで引き離せば、普通に走れば追いつかれない。たとえ追いつかれても、このコースは簡単に抜けないし、最後のタイトコーナーの立ち上がりは、彼女たちがいくらスリップを使ってもフィニッシュラインまでに挽回出来ない。パワー差でねじ伏せられるから)


 そう何度も自分に言い聞かせても、バレンティーナの脳裏にはストロベリーナイツの二人の小さなライダーの影が離れない。無理に頭からその影を追い払おうとすればするほど、小さな影はバレンティーナの思考を黒く覆う。


(特にアイカは厄介だ。まるで小型のエレーナだ。とぼけた顔してるくせにレースになると絶対退かない。たいしたライディングテクニックがあるわけでもないのに、スロットルの開け方に迷いがない)


 身体能力と精神力。それだけでバイクを乗り始めて僅か数年で世界のトップレベルまで登り詰める人種がいる。エレーナと同じタイプだ。幼い頃からGPライダーに憧れ努力を続けてきたバレンティーナにとっては、絶対敗けたくない相手だ。


 シャルロッタの才能に嫉妬した事もあった。だがその天才も精神的には脆い。シャルロッタはそれほど怖い相手ではなかった。なのにアイカと走ると、どういうわけかスポ根的キャラに変身する。例の妄想頭で不屈の美少女戦士にでもなったつもりなのだろうけど、おそらくアイカに妙な影響力があるようだ。


 容姿にばかり注目されがちだが、スターシアの技術と安定性はGPでもナンバーワンだ。本人さえその気になれば、十分チャンピオンを狙える実力がある。彼女がエレーナを護っているから、若い二人がおもいっきり暴れまわれるのだろう。スターシアを崩すのも容易ではない。


 こんなやつら相手に、自分の持つアドバンテージなどあまりに貧相に思えた。バレンティーナが自分のチームメイトを信頼出来ない関係こそが、最大の弱点なのだが、彼女にはそこまで考える余裕をなくしていた。



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 午前のフリープラティクスこそ、スターシアに先導されていたシャルロッタと愛華だったが、午後からは二人でおもいきり走りまわった。それは正確なラインをトレースするような安定感のあるものではなかったが、決して日本GPでの初顔合わせの時のような危なっかしいものでもなく、まるでサーキットを二匹の蝶がヒラヒラと舞っているようでもあった。


 シャルロッタの愛華に対する態度は、相変わらず横柄で、上から口調ではあるが、タックインのタイミングを合図したり、技術的なアドバイスまでするツンデレぶりで、エレーナもスターシアも安心して自分のマシンセッティングに集中出来た。


 愛華もシャルロッタのぶっ飛んだアドバイスを素直に聞きながら、愛華なりにシャルロッタのチート走りについていった。


 愛華が前を走っていると、すぐに遅いライダーに詰まる。パッシングポイントを探してペースを落とすと、直ぐ様後ろから信じられないラインでシャルロッタが抜いていく。慌てて跡を追うが、一旦シャルロッタが路を開けてくれたラインは、意外と簡単にパス出来た。愛華は知らなかったが、シャルロッタに合わせて走るには、エレーナですら神経をすり減らすらしい。練習走行終了後、最速ラップを記録したシャルロッタより、愛華の方が話題になって戸惑ったりした。当然、シャルロッタの機嫌は悪くなった。




 その日の夕刻、シャルロッタは珍しくイタリアから駆けつけた実兄と夕食に出掛けて、夜遅くまで帰って来なかった。

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