第15話チェコGP

 ドイツGPの後、愛華は三日間寝込んだ。

 デビューレースを終えた晩、疲れがどっと出た。



 思えば、日本からスペインのGPアカデミーに戻る途中、イギリスの空港で突然エレーナに出会って以来、慌ただしくも夢のような毎日だった。


 急遽ロシアに航り、そこで三週間毎日ハードに走り込んだ。


 そして初GPで過酷なレースを走り抜いたのだ。


 自分でも信じられない出来事だったが、愛華は無我夢中で突っ走ってきた。初めてのGPで自分の役目をなんとか果たす事が出来て、やっと緊張が途切れた。疲れが出るのも無理もない。



 エレーナとスターシアは、まるで姉妹のように愛華の世話をしてくれた。


 エレーナは、チームスタッフたちにも休みを与えた。シーズン中間の休みを返上させて、愛華のトレーニングにつき合わせてきたのだ。彼らもこの一カ月ほとんど休んでいない。


 しかし彼らはレース翌日の月曜日こそ、のんびりしていたが、火曜の朝には次戦のチェコGPに向けて出発して行った。


 マシンや機材を詰め込んだトレーラーでチェコまで陸路を行くには時間が掛かる。エレーナも、スターシアに愛華の世話を任せ、彼らと同行した。EU圏外の国境を越えるのはいろいろ面倒だ。やはり東ヨーロッパでも知名度があるエレーナが同行した方がスムーズに行きやすい。


 愛華たちは、二日遅れて空路でチェコへ向かう事となった。


 エレーナやチームの者たちがそれほど疲れを感じていないのは、この程度のスケジュールは世界GPでは日常的であったからである。初めて世界戦を経験した愛華を責めるのは気の毒だろう。


 エレーナは、むしろここまで頑張った愛華を高く評価していた。


 ツェツィーリアのだだっ広い滑走路に描かれたコースは、転倒すれば痛いがコースアウトしてもぶつかるものもない。バイクもエースライダー用のワークスマシンを与えられ、エレーナとスターシアという一流のライダーが着きっきりで200時間近くも走れば誰でもそれなりに速くなるだろう。

 しかし、いくら恵まれた環境を与えられても、毎日十時間にも及ぶトレーニングに誰もが耐えられるものではない。


 エレーナはじめ、ストロベリーナイツのスタッフたちが、愛華を最も評価したのはそのタフさと根性である。


 愛華は期待に応えた。人選は間違っていなかった。


 幼い頃から体操競技で研かれた運動神経と、精神と肉体の強さ。素直な性格とアカデミーに入るまでバイクに乗った事すらなかった故に、徹底して叩き込まれたバイクの基本テクニック。それは自己流のおかしな癖がつく事なく、正確なレーシングテクニックを身につけるのに理想的な下地だった。


 シャルロッタの代役ライダーを選考する時点で、愛華より即使えるライダーの候補は何人かいた。愛華が使えないと判断したら、すぐ他の候補者にコンタクトする用意 はしてあった。愛華を選んだのは、アカデミーで指導している友人からの強い推薦があったからだが、愛華と空港で会ってすぐに確信した。

 自分が育てようとするライダーの理想的な素材だと。



 今、エレーナを悩ましているのは、シャルロッタの存在である。愛華は所詮代役に過ぎず、シャルロッタが復帰すれば、契約上彼女を優先させなくてはならない。


 無論シャルロッタが愛華に勝っているのは疑いないが、欠場とは別に彼女の才能を生かし切れていたとは言い難い。シャルロッタの性格の問題もあるが、彼女はよく言えば天才肌、そのまま言えば鹿だ。



 シャルロッタ・デ・フェリーニは、イタリアのかつての名門フェリーニMC創業者の孫娘で、『歩きはじめるより早くバイクに乗っていた』と言われているように、まるでバイクが躰の一部のように乗りこなす。おそらくバイクの扱いに於いて、彼女に敵う者はいないだろう。


 しかし、頭の方が余りに残念だった。


 レースでは、彼女が思う存分に走れる展開であれば、誰も追いつけない速さを発揮する。だが思い通りにならない展開だと投げ出すのも早い。その上バレンティーナあたりに揺さぶられでもすれば、勝手に自滅してしまう。決して気が弱い訳ではない。むしろ強すぎて挑発を無視できない。その癖勝てないとわかるとあっさり諦めてしまうのだから、いつもエレーナが手綱を握っていなければならない。

 言わば愛華とは対極のタイプだ。


 上手く噛み合えば、最高のチームとなる可能性もあるが、今の愛華にはシャルロッタに合わせられる実力も経験もない。愛華に問題があるのではなく、シャルロッタが他人に合わせるのが無理なのだ。


 それ以前に問題なのは、現在のチーム体制では四台を出走させるのが困難である事だ。これは今シーズンに限った問題ではない。来季には、愛華を正式にチームに加えたいと考えている。かと言ってシャルロッタを手離すのは惜しい。自分以外が彼女を使いこなせるとは思えないが、他チームに移籍して敵に廻すのも面倒だ。それに、やはりいくら馬鹿でもあの才能は本物だ。時々速かっただけのライダーで終わってほしくない。


 近いうちに来シーズンの体勢を考えなくてはならない時期である。


 エレーナにはレース以外でも、スポンサーとバイクメーカーを説得して、四人分の資金とマシンの供給を交渉する仕事が増えた。それにはタイトルの可能性を示さねばならなかった。








 チェコGPの開催されるブルノサーキットは、ドイツGP同様高低差の大きいコースだ。


 メインストレートから最初のターンで向きを変えると、そこから長い下りのS字コーナーが続く。そしてターン11のヘヤピン状のコーナーから一転、きつい登り勾配となる。一見、愛華のような小柄なライダーが有利と思われそうだが、非力な80ccのマシンでは、ヘヤピン状のターン11とそこから続く登りコーナーの連続を、如何にスピードを殺さず抜けるかがタイム短縮の鍵となる。軽いだけでは速く走れない。



 愛華は体調はほぼ回復していたが、初めてのブルノのコースに苦しんだ。エレーナやスターシアの後ろに着けば上手く走れるのだが、前に誰もいないとペースを保てない。ドイツの時も感じたが、滑走路のようなフラットな路面とはポイントが違う。平均速度が高いだけに僅かな減速が大きくタイムに響く。予選までになんとかコースを覚えようとするが、経験のなさは如何ともし難かった。



 予選は、理想的なライディングでスターシアが最速タイムを記録した。エレーナも僅差の4番タイムでフロントローに並べる。


 2番、3番グリッドにはコースを知り尽くした地元チェコ出身の双子、クリス&アルテア兄妹が食い込んだ。


 兄のクリスはMotoミニモでは数少ない男性ライダーだ。二人はチェコの新興財閥の子息で、親の財力にものを言わせ、今シーズンから自分たちでチームを起こしたプライベーターだ。


 これまで不慣れなコースにセッティングすら詰められず、苦戦してきていたが、知り尽くしたブルノのコースで実力もある事を示した。ただ決勝では寄せ集めのアシストの支援は期待出来ず、二人だけでどこまでトップチームに対抗できるかは未知数である。


 グリッド二列目に、ブルーストライプスのラニーニが5番タイム、バレンティーナが6番タイムで名を列ね、一人挟んで愛華がなんとか8番手タイムで、ちょうどエレーナの後ろのグリッドを得た。



 前戦の活躍で、多くの者が愛華に期待していただけに、予選結果はやはり落胆の声が聴こえた。


 ルーキーの愛華には少々酷であるが、それがプロと言うものである。決勝で見返せしてやれば、黙らせられる。

 しかし愛華自身がネガティブになっていた。

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