最速の女神たち

YASSI

第1話Motoミニモ GP最軽量クラス

 モーターサイクルレース最高峰MotoGP。かつてはモーターサイクル世界選手権(WGP)と呼ばれ、文字通り二輪世界最速を決めるレースである。


 現在行われているのは、オートバイメーカーが莫大な資金と技術を注ぎ込んだモンスターマシンをスターライダーが駆る最高峰クラスMotoGP、その下にMoto2、Moto3と続く。

 WGP時代は最高峰クラス以外も、中・小排気量クラスとして独自のステイタスがあったが、現在、Moto2はMotoGPへの登龍門クラス、Moto3は年齢制限の設けられたジュニアクラスという位置づけに変わってしまった。


 これらのクラスとは別のポジションを現在も確立しているのが、サイドカークラスとMotominimo《モトミニモ》と呼ばれる80ccのマシンで争われるGP最軽量クラスである。


 どちらもに日本ではあまり馴染み薄いが、伝統あるカテゴリーで、サイドカーレースはGP発祥当時から、Motoミニモも50年以上の歴史ある最小排気量クラスとしてタイトルを争われてきた。


 サイドカークラスは言わずもかな、最軽量のMotoミニモ(当初は50ccクラス)も、小さく繊細な車体と極端にピーキーなエンジンのマシンを操るには、職人技とも言える独特のライディングテクニックを必要とし、欧州では昔から目の肥えたファンから高い人気を得ていた。

 しかし1980年頃より、日本のメーカーが次々と500ccなどの大排気クラスへワークスチームとして復帰し競争は激化、それに伴いファンの人気も大排気量クラスに集中し、反して小排気量クラスの人気は低迷していった。ハイスピード化を狙い、50ccだった排気量を80ccにスケールアップするも、逆に125ccクラスとの差が曖昧となり、人気回復の決め手には至らなかった。


 すでに大規模なメーカーは、このクラスに参戦していなかったが、人気低迷によるスポンサーの減少は、昔から活躍していたヨーロッパの小規模なバイクメーカーの多くをも撤退に追い込み、出走台数の減少と、残ったチームも少ない資金で古いマシンに自分たちで手を加えながら参戦するという状況が、さらに人気の低迷を招くという悪循環に陥っていた。


 しかし、ちょうどその時期、あるチームの参戦により再び脚光を浴びる事となる。同時にそれは、このクラスのレース形態をも変えていく事になった。


 その変革をもたらしたチームこそ、当時の社会主義の超大国、ソビエトの国家プロジェクトチームであった。



 東西冷戦の真っ只中の時代、二つの超大国は軍事力や宇宙開発はじめ、あらゆる分野で覇を競い合っていた。


 それはスポーツの分野でも、オリンピックや世界選手権でのメダル獲得のために、互いに国の威信をかけて張り合っていた。


 そのソ連が、社会主義体制の優位性と工業力を証明する為に威信を賭け、最も資本主義的スポーツとも言えるモータースポーツの世界へと、国家計画として乗り込んできた。


 当然、いくら国家事業とは言え、いきなりF1やGP500という頂点に挑む事が無謀である事は明白だ。当面の目標として比較的西側の大企業が本格参戦していないカテゴリー、四輪ならパリダカなどのラリーレイド、そして二輪ではGP80(Motoミニモの前身)とサイドカークラスに絞られた。


 ソ連の四輪への挑戦は失敗に終わったが、GPへのソ連の参戦は、二輪レース界に衝撃を与えた。


 自国開発とされる80ccのGPマシン『スミホーイsu‐03』は前評判を覆す性能を示した。


 当時経営難にあった西ドイツのメーカーをまるごと買い取ったとも噂され、実際何人かの技術者はドイツのチームからの移籍と思われたが、パーツなどの一部は、当時西側ですら一般に入手困難な航空機や宇宙開発に用いられた高価で最先端の材質と技術が使われており、日本製やドイツ製より先をいっている部分も数多く見受けられた。


 なにより話題をさらったのは、ライダーが全員十代の少女だった事だ。


 レースに於ける競技力は、車重量とエンジン出力の比率が大きく関わっている。二輪の場合、それにライダーの体重も大きく加味される。当然、車重量が軽くパワーの小さなクラスほど、ライダーの体重が占める割合は大きい。


 小排気量のマシンでは、体の小さな若い女性の方が筋骨逞しい男性より優位なのは容易に想像できた。勿論小柄な男性もいるが、体重が45キロ以下でアスリートとして優れた運動能力をを持っている者を捜そうとすれば、必然的に女性の方が候補者は多くなる。


 誰もが以前から気づいてはいたが、実際にはそれを活かせる逸材もなく、なかなか立証されてこなかった。


 だが赤いスポーツ大国は、既成概念にとらわれない合理性と国家権力をもって、この仮説を実証した。


 候補者たちは、国家スポーツ省からの優先すべき方針として、主にスピード、バランス感覚が重要とされるスポーツ種目を中心に、連邦全土から集められた。


 全員がそれぞれの競技の将来オリンピック代表を期待され、英才教育を授けていたスポーツエリートたちである。


 集められた運動神経の申し子たちは、徹底した管理下で厳しいトレーニングと選抜テストをくぐり抜け、最終的に選ばれたのは、8人の少女たちだった。


 さらに彼女たちは、これまでのレース常識を一変させた。現在ほど洗練されてはいなかったが、モーターサイクルレースに、チームレースと言う概念を持ち込んできたのだ。


 自転車レースのようにチームで集団を形成し、チームメイト同士で風を避け合い、他のライダーを寄せ付けない作戦。


 出力が小さい小排気量マシンにとって、重量同様に空気抵抗の影響は大きい。


 風圧を避け、チームを引っ張るアシストライダーと優勝を狙うエースライダーの役割分担。自らが下位に沈むのもいとわず、チームの勝利を優先する戦い方に、既存のベテランライダーたちすら翻弄された。


 勿論、彼女たち個々の実力が本物であるのは紛れない事実であった。それは練習走行や予選で個々に走った時のラップタイムを見てもわかる。

 

 反感の声もあったが、意外にも多くのファンは好意的であった。自転車のロードレースが盛んなヨーロッパでは、チームレースの戦い方をすんなり受け入れる土壌があった。


 これまでのモータースポーツにないチーム戦術、軽量なマシンによる最高峰クラスを上回る中低速のコーナーリングスピード。スリップストリームをフルに活用し、目まぐるしくポジションを入れ替える立ち上がりからの加速。落ち目だったこのクラスに、新たな魅力を示した。


 西側社会が、当時のソ連邦指導者の打ち出したペレストロイカとグラスノスチ政策により、冷戦雪解けムードになりつつあったのも追い風となった。ロシアの少女たちを敵視するファンは少数派で、むしろ北の国からやってきた透き通るような白い肌の少女たちに、多くの人は魅かれた。


 各地を転戦するに従い、人気はヨーロッパ中に広まり、いつしか8人の少女たちは、当時冷戦下のソ連の秘密兵器を描いた映画に辿らえ『レッドオクトーバー』と呼ばれるようになっていた。(ソ連のGP初制覇と上位独占を、十月革命レッドオクトーバーに喩えたとも言われている)


 やがて彼女たちの話題は、社会現象とも言える過熱ぶりに発展し、レースファン以外をも巻き込んでいく。


 ずば抜けた身体能力を誇る華奢な少女たちが、颯爽とバイクに跨る姿に世の男たちは歓喜し、それまでモーターサイクルに興味のなかった女の子たちまでをも魅了した。


 当時の若い女の子たちは、アイドルグループに憧れるように『レッドオクトーバー』の真似をし、街中に小型バイクに跨った若い女性が溢れた。それに付随する形で少年たちもバイクに乗る。二輪業界は活気づき、それまで主流だった男性ライダーの不平の声をかき消した。


 廃止すら検討されていた最小排気量クラスは、Motoミニモ人気と売れ行きを見越した二輪メーカーの後押しで忽ち盛り返し、大排気量大パワーのクラスとは別の人気クラスとして、地位を確立していった。


  やがて既存ライダーの中からも、対抗手段として協力関係を結んだライダーのグループが出来るようになった。

 その後、いくつもの組織的チームが登場するが『レッドオクトーバー』の優勢は変わらず、三年連続でタイトルを獲得している。


 同じように女性ライダーだけの俄か仕立てのチームも登場したが、レベル的にはスポンサーの話題作りにしかならなかった。


 しばくは『レッドオクトーバー』の独壇場が続くと思われたが、ソ連邦の崩壊が再び流れを変えた。


 国家の後ろ盾を失ったレッドオクトーバーは、フランスの化粧品会社がメインスポンサーとなり、チームごとフランスに移ったが、他チームによる個別ライダーの引き抜きにより、メンバーは徐々に分散していき、圧倒的な強さを失なっていった。同時に他のチームの強力化によって、各チームのレベルは拮抗するようになり、より高度なチーム戦術が繰り広げられるようになっていった。


 一方で、独特に進化したマシンとレース戦術は、将来的に大きな排気量クラスを目指そうとする成長途上の若い男子ライダーを遠ざけるようになっていく。


 チームとしての総合力が勝敗の大きなカギとなり、他クラスとは違うレース運びは、もう別の競技となりつつあった。


 加えて元々ピーキーなエンジン特性、軽量化の進んだ車体と自転車のような細いタイヤのマシンは更に進化し、独自の感覚と技術が要求されるようになった。


 主催団体は、人気の重要なカギであり、主役となる女性ライダーの育成と確保に迫られた。女性ライダーの層はまだまだ薄い。その頃各地で参加者と観客の両方を狙ったレディースクラスも設立されているが、すぐに失敗に終わった。


 いずれロシアからきた少女たちが引退すれば、一時のブームに終わってしまう。子供の頃からバイクレースを始めるには、本人の意志や才能より環境による影響が大きい。 

 『経済的に余裕があり、物好きの親』が必須条件で、特に女の子の場合、限られた人材の上、年頃になると多くがストイックな競技生活から離れていく。

 逆に自分の意思で始めたいと思っても、環境面、特に経済力に乏しい者ではなかなか本格的にレースに打ち込むのは困難だ。


 危機感を抱いた主催者は、業界に協力を呼びかけ、レーシングライダーを育成する機関を設立した。現在のGPアカデミーの前身である。


 若い才能を発掘する育成プロジェクトは、二輪業界と石油企業などの資金協力によりスタートした。


 社会主義時代のレッドオクトーバーのトレーニングシステムを参考に、オーディションはバイク未経験であっても、運動能力のみで選考される枠が設けられた。


 この育成プロジェクトは、見事レベルの高い女性ライダー育成に成功し、今ではGPアカデミーとして、女子のみでなく、あらゆるクラスに男女問わず優秀な人材をGPに送り込んでいる。

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