第10話ツェツーリアの協奏曲
エレーナとスターシアは、ようやくブルーストラップスのライダー二人がかりのブロックをパスし、愛華を追っていた。
トップグループを形勢する三台からは、かなり遅れていたが視界には捉えている。ブルーストライプスの二台が愛華を弄りものにしているのが見える。
「アイカ! すぐ行くから、もう少しだけ頑張れ」
通信が届かないのはわかっているが、二人は異口同音で叫んでいた。聞こえなくても、気持ちは同じだ。一刻も早く愛華の援護に駆けつけたい。それは自分の順位より、彼女の思いに報いたいと言う気持ちの方が強かった。
「スターシア! 離れるな。置いていくぞ」
「エレーナさんこそ、邪魔するなら退いてください!」
例の如く、憎まれ口を吐き合いながらも、その走りは見事にシンクロしたものであり、信じられないようなスピードでトップグループを猛追する。
トップグループでは、まだ愛華がなんとか先頭で堪えている。しかしバレンティーナのアタックは、もはや常軌を逸したものへとなっていた。
Motoミニモのレースに多少の接触はつきものだ。敵味方を問わず、ぎりぎりまで接近して走る集団では、接触は避けられない。
パワーと質量が小さく、速度も比較的低いこのクラスでは、ライダー同士が身体で押し合うのはよくある光景であり、魅力でもある。
但し、故意に相手を危険に陥れるような接触、直接マシンをぶつける行為や即アクシデントに繋がるマシンの操作系への接触は、当然ペナルティの対象となる。
重大なアクシデントが発生する事は滅多にないが、曖昧な部分も確かにある。そのあたりは、サッカーやバスケットボール等の他の競技と同じように審判の裁量と選手のモラルに委ねられていた。
これまでも、バレンティーナが危険な走りと疑われた事は何度かあった。しかし、スーパースターであるバレンティーナに対しては、スポンサーやテレビ局の見えない圧力もあり公平とは言えないジャッジが為されていた。
それでも、彼女がここまで露骨な危険行為を繰り返した事はなかった。明るいキャラと、レースのグレーゾーンを上手く使い分けていた。
いつもと様子が違う事にオフィシャルも気づいていたが、警告のフラッグを出すタイミングを失っていた。
主催者としては、チャンピオンが確実視されているバレンティーナに、出来れば汚点をつけたくない。
早い段階で愛華が退いていれば、少し熱くなり過ぎたで済ませられたが、もはや故意ではなかったでは済ませられないレベルになっている。誰の目にも悪意ある危険走行だ。
それでもまだバレンティーナに対し、
最初はバレンティーナも、少し脅かす程度のつもりだった。しかし、愛華の全く怯む様子のない事に苛立ち、次第に熱くなっていった。
普段は狡猾で抜かりない癖に屈託ないキャラを演じているが、元々はラテン系の熱くなりやすい性格である。
なんとかこの新人に思い知らせてやりたい。誰がGPの真の女王かを。
実力でも人気でも、自分の方が勝っていると思っているエレーナを崇拝しているのが気にいらない。
パドックでの態度も気に喰わなかった。
予選で話題をさらわれたのもプライドを傷つけられた。
スターとして、注目を集めてきたGPの寵児は、次第に理性の紐が切れていった。
愛華はすでに、精神的にも肉体的にも限界に達していた。デビュー戦でこの洗礼は過酷だ。トップを譲ったとしても責める者はいない。そもそもバレンティーナを成り振り構わなくまで熱くさせ、それを受け返せる者などエレーナぐらいしかいない。
「エレーナさん、すみません。もう少し頑張りたいのに、限界みたいです……」
愛華の気持ちが、今まさに折れようとしていた。
愛華のラインが甘くなったのをバレンティーナは見逃さない。
(このコはもう終わりだね。ちょっと手間取っちゃったけど、エレーナに追いつかれる前に、さっさと逃げよう)
バレンティーナにインを奪われ、どうすることも出来ず諦めかけたその時、愛華の耳に、完璧な協奏曲を奏でる二台のスミホーイサウンドエンジン音が響いてきた。
たった三週間であったが、ロシアのツェツィーリアで耳に馴染んだ、美しくも力に満ち溢れたエレーナとスターシアのあの演奏だ。
荒涼とした大地を吹き抜ける風を引き裂き、戦闘機の轟音よりも力強く愛華を奮い起たせてくれた
毎日毎日、何時間もあの演奏を追った。自分も合わせようと必死で走った。
耳に刻み込まれた記憶が、愛華の折れかけた心に語りかける。
「まだ諦めたらダメ!エレーナさんたちが、もうすぐ来る!」
反射的に身体が演奏に合わせようと動く。弛みかけたグリップを握る右手に握力が戻り、もう一度バイクをクリップポイントに向けて切り込ませた。
だが、既にバレンティーナに一車身ほどリードされている。辛うじてサポートライダーの方は抑える事が出来た。
その時、愛華のアウト側にスミホーイsu-31がかぶさってきた。
「エレーナさん!!」
真後ろには、スターシアを従えている。バレンティーナのアシストライダーは完全に行き場を塞がれ、孤立していた。
「遅くなってすまない。よく頑張ったな、アイカ」
ヘルメットに内蔵された骨伝導スピーカーが、エレーナの声を直接脳に伝えてくる。
「うぅぅ……」
安堵と歓びに、感情が溢れそうになる。
「おそいですよ、もおぅ! わたし本当にがんばったんですから! さっきまで、一人でバレンティーナさんを抑えていたんですよ!エレーナさんが遅いから、抜かれちゃったじゃないですかぁっ! 本当に抑えていたんですよぉ……もおぅ、もおぅ、もおぅ、エレーナさんのばか! あっ、でも絶対に来てくれるって信じてましたから!」
愛華は涙が溢れるのをこらえて叫んでいた。それから、エレーナに向かって「ばか」と口走ってしまったのを慌てて反省した。幸い、マイクのトークボタンを押し忘れていたのに気づいてほっとする。
「わかっている。アイカは本当によくやった。大丈夫、あとは任せろ」
エレーナの返答がヘルメットを通して聴こえてきた。
「ええっ!なんで聞こえてたの!?」
エレーナにすれば、状況と愛華の雰囲気からだいたいの言いたいことはわかる。特殊能力を使ったわけではないが、愛華はエレーナの計り知れない能力に改めて畏怖した。きっと『エレーナさんのばか』発言も聞かれたにちがいない。愛華は怖くなった。相手は特殊能力者だ。
エレーナは、焦る愛華を心配気に目をやり、スターシアに愛華をゴールまで運ぶように指示すると、先行するバレンティーナを再び猛追し始めた。
スターシアが愛華の前に入ろうとしたが、愛華は譲らず、すぐにエレーナの後ろに張りついた。
「アイカちゃんも、立派な苺の騎士になったのね。せっかくの二人でランデブーを楽しみたかったけど、こうなったら三人でバレンティーナを追い落としましょう。ちょうど彼女には、私も懲らしめてやりたかったところです」
スターシアは、少しの寂しさを感じながらも愛華の成長を愛おしく思った。
ストロベリーナイツが揃って背後に迫っている事を察知したバレンティーナは、完全にパニクッていた。サポートする筈のチームメイトとは分断されている。立場は一気に逆転した。
振り返るとエレーナがヘルメットの奥から、氷の瞳で自分を狙っている。スターシアからは愛華の仕返しとばかりの復讐の炎が揺らめいている。いじめていた愛華までもが、子ライオンのように危険そうに思えた。
『獅子の子を猫と間違えてはならない。子ライオンを苛めるとお母さんライオンとお姉さんライオンに襲われる』
後にレース界で語り継がれる事となる教訓であった。
バレンティーナは冷静な判断をしたつもりだった。無理にやり合う必要はない。4位でゴールしても、ポイント上では圧倒的優位な立場は変わらない。ご祝儀代わりに一戦ぐらい勝たせてやるだけだ。
バレンティーナ自身、気づいていなかった。それは戦う前に負け犬に堕ちている事だと。
いつもは彼女がしている心理的揺さぶりに、自らが嵌まって戦意を失なっていた。それ以上に彼女が失なったものは大きい。
無名だった新人に、根性で負けたとファンとライバルたちに印象づけられたのだ。今後は、たとえ格下であっても簡単に道を譲ってもらえなくなるだろう。
バレンティーナを難なくパスしたストロベリーナイツの三人は、当初の作戦を変更して、残りの周回を揃ってこなした。スターシアも不満を訴える事なく、交代で先頭を受け持ち、愛華も公平に先頭を分担する。
しかし、少し走るとすぐにスターシアが「大丈夫?疲れてない?前、代わってあげようか?」とか、「本当は優勝したいんじゃない?私からエレーナさんに頼んであげようか?」などといちいちかまってくるのには、愛華も少々うざくなる。
本日、あまり目立てないスターシアは、愛華の気を引こうとだらだらの甘やかしモードに入っていた。しまいには「お尻痛くない?あとで私が診てあげるね』などとなると、さすがの愛華も無視する事にした。
愛華の成長は、まだまだ甘えて欲しいお姉さんには、嬉しくもさみしいことであった。
ちなみに愛華の尊敬を一身に受けたエレーナは、余裕の表情をかましている。愛華が本当に優勝したいと言えば、一番がんばった愛華にトップでチェッカーを受けさせてやりたいぐらいだ。但し、愛華のお尻の具合をスターシアに診させるのだけは、許すつもりは絶対になかった。
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