第11話表彰台と傷ついたお尻について

 ロシア国歌がドイツザクセンリンクに響き渡った。メインポールにはロシア国旗が翻り、その隣に日の丸が並んで揚げられる。反対側にはメインと同じロシアの三色旗だ。ストロベリーナイツの表彰台独占である。愛華はデビューレースを二位という好成績で終えた。



 主催者からのトロフィーと楯などの授与が一通り終わると、エレーナが表彰台の一番高い位置に愛華を引っ張り上げた。観客が沸く。


 エレーナと同じ位置に立っても、頭一つ低く見える。ちょうど三位の台にいるスターシアと頭がやっと揃うぐらいだ。


 観客からバレンティーナ相手に、一歩も退かなかった小さなニューヒロインに対し、アイカコールが沸き起こった。


 本来のストロベリーナイツのエースであるシャルロッタは、いつも表彰台でバク宙のパフォーマンスをしてくれる。ニューヒロインはどんなパフォーマンスを見せてくれるかと、観客の期待が膨らんでいた。


 エレーナとスターシアに背中を押されて、愛華は一歩前に歩みでた。歓声が高まる。熱気に圧倒され、尻込みしたが、


「バレンティーナ相手にあれほどの走りを見せたのにどうした?今でもバク宙ぐらい出来るだろ?ファンに応えてやれ」


 エレーナに耳許で囁かれては、やらない訳にはいかない。


 愛華は表彰台の端まで歩み寄り、観客に背を向けて立った。エレーナは愛華がやろうとする事を悟り、二、三歩退いた。



「いきますっ!」


 愛華の掛け声にスターシアが音頭をとる。エレーナとチームのスタッフたちも声を揃えた。


アジーン


ドヴァー


トリー


「「「だあっ!」」」


 表彰台を独占した三人が声を合わせると同時に、愛華がぴょーんと飛び上がり、空中で伸身の後ろ宙返り捻りを見せ、正面を向いて表彰台下にぴたりと着地した。


 観客から一斉に「おお〜っ」驚きの声をあがった。日本語で言えば「いち、にい、さん、ダァ―ッ!」である。ちょっと恥ずかしいが、たぶんわかる人はここにはいないだろうと思った。


 体操をしていた愛華にすれば、満点とは言えない演技であったが、高い身体能力を魅せるには十分だった。


 しかし、その後のシャンパンファイトでは、未成年の愛華はただの炭酸水を渡されたが、エレーナとスターシアから本物のスパークリングワインを全身に浴びせられ、一口も飲んでいないにもかかわらず揮発したアルコールだけでふらふらに酔っぱらってしまった。


 愛華は一歳児並みの身体能力になっていた。




 表彰式が終わり、スターシアに支えられながらストロベリーナイツのパドックに戻ると、愛華のリクエストした苺タルトが届けられていた。



 これから憧れの苺騎士団勝利の儀式だ。


 愛華は、苺タルトの入れられたクーラーボックスの前へとふらふらとよって行く。つまずいて危うくテーブルごとひっくり返しそうになった。


「こらっ、アイカ。せっかくの苺タルトをシェークにする気か?まず汗とシャンパンの染み込んだツナギを着替えろ!」


 エレーナに言われて、その場でつなぎを脱ぎ始めた。ちなみに苺タルトをかき混ぜても、シェークにはならない。


「馬鹿!ここで脱ぐやつがいるか。スターシア、トレーラーへ連れて行ってやれ。まったくこれほどアルコールに弱いとは……」


 テントの中では、まだ男性のメカニックが作業をしている。外からも丸見えだ。ウォッカに較べたら水のようなシャンパンの匂いだけであそこまで酔えるのが、エレーナには信じられなかった。


「えれえなしゃん、わたしがくるまで、しゃきにたべたら、らめでしゅよ」


「安心しろ、全員揃うまで始めない」


 メカニックも含め、チームスタッフ全員で食べるのが慣わしだ。


「アイカちゃん、私が着替えさせてあげるから行きましょう。それから、お尻も診てあげないとね。アザでも残ったら大変」


「だあぁ、しゅたあしゃしゃん」


「スターシア!余計な事はしなくていいからな!」



 エレーナはチーフメカニックのニコライに、レース中のマシンについて詳細に伝えた。データロガーに記録されないフィーリングも貴重なデータだ。出来るだけ記憶の新しいうちに正確に伝えるのも大切な仕事だ。愛華は今日だけ大目に見てやる事にした。メカニックへの報告を終えて、自分も着替えるためにトレーラーに入った。



 ソファーの上で愛華がブラとスパッツ姿のまま、じっと座っていた。


「まだ着替えてないのか?どうした?」


 愛華は俯いたまま、恥ずかしそうに身体を強張らせる。よく見るた顔も青ざめている。


「どうした、気分悪くなったか? うん……?まっ、まさか、スターシア!アイカが酔っているのをいいことに、アイカのお尻を……」


「ちがいます、ちがいます!見せてませんから!」


 愛華は慌てて顔を上げて否定した。


「スターシアさんにツナギ脱ぐの手伝ってもらってたら、だんだん酔いが醒めてきて……。そしたら急に恥ずかしくなって……、その……わたし、エレーナさんやスターシアさんに、すごく失礼なこと言ってたみたいで……すみませんでした」


 エレーナは安堵のため息を洩らした。


「そんな事か、気にする事はない」


「そうですよ。酔ったアイカちゃん、甘えん坊でとっても可愛いかったですよ。エレーナさんが酔うと一個中隊では鎮圧出来ないほどの暴れ方ですから」


「適当言うな!小隊に抑えられたわ!」


 小隊は出動したんだ?酔っぱらい女一人抑えるのに……。


 それだけでも恐ろしい話だが、愛華には小隊と中隊の規模もわからない。

 何となく自衛隊がゴジラを攻撃するシーンをイメージしてしまう。ロシア軍なら自衛隊より強そうだと思った。


 エレーナさん、酔うとゴジラより強いんだ。こわい……。



「しかしアイカはアルコールに弱すぎるな。幸い、匂いだけだったから醒めるのも早かったようだが、もう少し酔っていたらスターシアの毒牙に架かって、今頃……」


「私はそんな卑劣な真似いたしません。アイカちゃんのお尻を心配して診てあげようとしただけです」


「スターシアが診んでもいい!」


「そう言うエレーナさんこそ、『ライダーの健康管理は監督の責任だから』とか言って、アイカちゃんのお尻を見ようとしてたんじゃありませんか?」


「ちっ」


「あっ、今舌打ちしましたわ」


「していない」


「いえ、確かに『ちっ』って言いましたわ」


「言うはずないだろ。私はスターシアと違い、邪な気持ちなどないのだから。前々からおかしかったが、やはりおかしいぞ、スターシア」


 レース前に交わされた不毛な言い争いが、攻守を替えて繰り返されていた。レースとは、いつ立場が逆転するかわからないという貴重な教訓である。


 愛華は、自分が不和の原因のような気がして、スターシアの弁明をする。


「あの……スターシアさんは本当に私のこと心配してくれてたから、わたしも酔ってたし、甘えて診てもらおうかなって、ちょっとだけ思ったりして……」


 愛華の衝撃告白に、圧され気味だったスターシアが、勝ち誇ったように「ふん」と横目でエレーナを眺めた。エレーナはショックを隠し切れず、


「アイカは、スターシアには甘えても……私には、診られたくないのか……?」


 あのエレーナ女王が落ち込んでいる。


「そんなことないです!あの……、エレーナさんは、わたしのずっと憧れてた人だから尊敬してますし、エレーナさんが見せろと言うなら……その、やっぱり監督ですし、エレーナさんならって、ちょっとだけ思ったりして……」


 瞬時に立ち直ったエレーナが勝ち誇って「ふん」と横目でスターシアを眺めた。


「そういえば今日は、スターシアあまり活躍していなかったからなぁ」


 エレーナがどや顔でつぶやく。


「エレーナさんだって、私と一緒にアイカちゃんに追いついただけじゃないですか?活躍したのはアイカちゃんで、エレーナさんはおいしいところだけ持っていっただけですわ」


「スターシアが遅いから、アイカに追いつくのが遅れたのだ」


「いいえ、エレーナさんがもたついていたから合わせざる得なかったのです」


 愛華には、あの呼吸の合ったエンジン音を奏でてた二人とは、どうしても思えなかった。まあ、どっちがこの不毛な争いを制しようと、愛華の状況は変わらなそうなので止めに入る。


「あの……、わたしとしては、お尻は……」


「「どっちに診て欲しいの(だ)(ですか)?」」


 声を揃えて返された。なんだか不思議なデジャブ感を感じながら、正直に答えた。


「いえ、だから、その……、お尻はホント大丈夫ですから。全然なんともないです。本当にお二人とも必要ないですから」


「「二人とも必要ない……!?」」


 愛華から必要ないと言われて、二人は揃って引退を考えた。

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