第29話シャルロッタ

 彼女は、久しぶりに跨がるバイクに、全身の細胞が興奮するのを感じていた。以前に乗っていたバイクとほとんど変わりないし、電子制御システムをそれまでの自国製からドイツのリヒター社製に変更されたと言うが難しい事はわからない。言われて見れば体の斬れがよくなった気がする。長いリハビリの末、やっとバイクに乗る事を許されたばかりである。違いがあるのか、ないのか。その違いがバイクによるものなのか、体調なのか。シャルロッタ・デ・フェリーニにとっては、そんなことはどうでもいい。彼女は切り離されていた半身をようやく取り戻した歓びで、夢中に走り続けた。


 バイク乗りには、ならぬと言う言葉がある。スターシアやバレンティーナたちのように、乗り手とバイクが一体のように自在に乗りこなす事を指す言葉だ。しかし、シャルロッタにその言葉は相応しくない。自分の足を動かすようにバイクを動かし、裸足で地面を踏みしめるように路面の感触をタイヤから感じ取る。彼女の神経はバイクと継がっている。それはもうバイクが体の一部と言っていい。人車一体などと中途半端なものではない。半人半車ケンタウルスという一つの生き物だった。



 今、ツァツィーリアを走っているのは、シャルロッタだけだった。ジュリエッタがトラブルを改善したtype12を日本GPに間に合わせるという情報に、スミホーイも自国製インジェクションからドイツリヒター社製に変更してポテンシャルアップを計った。そして切り札はシャルロッタの復帰。



 サラブレッドは、走れない環境にいると、ストレスで死ぬという。彼女も大袈裟でなく死にかけていた。

 怪我をした競争馬は安楽死されられるという話を聞いたことがある。その時はなんて可哀想なことをと思ったが、今は馬の気持ちがわかる。


 競争馬にとって、走れないことは死ぬよりつらい。シャルロッタにとっても、身体を動かせず、ベッドの上だけで過ごす日々は、死んだ方がましだと思えた。もし二度とバイクに乗れないと言われてたら、本当に死んでしまったかも知れない。彼女にとっての生きる価値は、誰よりも速く走ること以外ない。


 まだ体調が万全でないにも関わらず、ウォームアップを適当にこなすとすぐに思いきり走り始めた。


 自分の体が、本来の姿に戻ったのだ。このままずっと走り続けていたかった。


 そうは言っても、現実にはずっと走ってはいられない。まだまだ走り足りなかったが、燃料タンクにはガソリンがあまり入っていなかった。メカニックはシャルロッタの行動を予測していた。


 久しぶりで思う存分走らせてやりたいが、新しいプログラムもまだテスト段階だ。彼女も病みあがりである。慎重に慣らしていかなければならない。



 一旦ガレージに戻ったシャルロッタに、メカニックたちは戸惑っていた。既にシーズン前に出した彼女自身のレコードタイムを1秒以上上回るペースで周回を重ねていた。シーズン前のタイムは、コース脇にまだ残雪の残る時期のもので、単純に比較出来ないが、バイクの性能がよくなったのは間違いなさそうだった。


 問題は技術者たちがマシンのフィーリングを尋ねても、「ブレーキングで足の裏が痒い」とか「あのコーナーはお尻がむずむずする」などと、凡人には理解不能な表現をする。いくらデーターロガーが正確に走行中のデータを記録するようになっても、ライダーの感覚は技術者にとって重要な指標だ。彼女にしかわからない言語で言われても、セッティングのしようもない。どうして欲しいのか尋ねても、「むずむずしないようにして」と返される。リアが流れるのかと思えば、今度は「くすぐったくなった」と文句を言われた。



「セルゲイのおやじが居れば、通訳してくれるのになあ……」


 技術者たちは、シャルロッタを担当している古参のメカニックがここにいないことを恨めしく思わずにいられなかった。



 ──────


(あんなちっこい小娘がエレーナ様のそばに仕えるなんて許せない。しかもアタシの半身を奪って。どうせ、エレーナ様に媚て取り入ったにちがいないわ)


 PCのモニターに映しだされたマレーシアGPの速報を見て、苦々しく唇を噛んだ。シャルロッタにとって、バイクは自分の身体の一部も同然だ。自分の半身を勝手に使われた怒りは憎しみにも近かった。アップされた写真は、表彰台で三人が肩を寄せて笑っている。中心にいるのは優勝したエレーナでなく、憎くむべき泥棒猫、愛華だった。


(スターシアお姉様まで、こんなに愉しそうな顔して……。こんな笑顔、あたしには一度も見せてくれなかったのに!)


 シャルロッタは、自分など最初から居なかったような記事に苛立ち、理不尽な怒りの矛先を、エレーナとスターシアに顔を寄せられて、照れくさそうに微笑んでいる少女に向けていた。


「いいわ、今だけ束の間の幸せを味わっておきなさい。そのバイクもくれてやるわ。あたしには新しい半身があるんだからね。でもこれ以上、エレーナ様とスターシアお姉様には近づけさせないからね。あんたなんか所詮、あたしの代役なんだから」


 シャルロッタは日本GPで復活して、愛華などチームに必要ないことを思い知らせてやると誓った。



 ─────



 Motoミニモのチーム編成は、現在3台から5台が主流だ。予選方式が一人ずつ行うスーパーポール方式になる以前には、8台とか多いチームでは10台という大編成に膨れ上がった事もある。スタートや昇り勾配に特化したライダーや、ストレートのトップスピードを優先したライダーなどのスペシャリストが登場した時期もあったが、予選を集団で走れなくなると、単独でもエースライダー近くのスターティンググリッドに並べるだけの速さのあるマシン以外は消えていき、ほぼ現在の台数に落ちついた。


 特定の区間に特化したライダーはいなくなったが、ライダーのタイプによって今もそれぞれの役割がある。


 このクラスは於けるライダーのタイプは概ね三つに分けられる。


 一つはアタッカーと呼ばれる、先頭に立って積極的にレースをリード、或は先行するライバルチームのブロックに突破口を斬り開く、一番アグレッシブで華やかなタイプだ。エースライダーになるのもこのタイプが多い。バレンティーナがその代表的な例で、ラニーニもこのタイプになる。


 もう一つは、アタッカーをブロックし、エースライダーからリスクを排除するディフェンダー。地味だが、アタッカーに力負けしない実力と絶えず全体の動きを掌握する広い視野が要求される。レース中の司令塔としてチームの指揮する場合もある。


 そして、両方の特性を併せ持つのがオールラウンダー。オールラウンダーとしてスターシアの右に出る者はいないだろう。エレーナなどの場合は、若い頃アタッカーとして活躍したが、キャリアを重ねていく間にデイフェンス技術も一流である事を証明したアタッカー寄りのオールラウンダーと言えた。因みに愛華もこのタイプをめざしている。


 いずれのタイプも現在では完全に専門化されたものではなく、総合的にある程度のレベルになければ、トップチームでは生き残れない。よほど抜きん出た実力がない限り、広い意味では全員オールラウンダーと言えた。その中で唯一人の例外がシャルロッタ・デ・フェリーニだった。

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