第45話結局、避けられない戦い
決勝当日、朝のフリー走行では、ブルーストライプスのジュリエッタ勢が軒並み好タイムを記録した。予選でつまずき、崩れかけたモチベーションを、見事に立て直していた。バレンティーナを中心にした五人のフォーメーションも調和がとれており、優勝でチャンピオンを決めようという意欲が湧き出ている。
昨日の予選結果を受けとめてなお、士気を取り戻すのはさすがだ。エレーナたち相手に安全なタイトル獲得はあり得ない。そのあたりに経験豊富なアレクセイ監督の手腕が垣間見られる。
ストロベリーナイツの側は、どちらかと言うと決勝に向けたマシンの最終調整に専念しているようで、レースペースの走りもそこそこに、軽く流してフリー走行を終えた。
決勝の時間が迫る中、エレーナはメンバーを集め、最後のミーティングをする。
当初の作戦通り、スタート加速優先のプログラムされたマシンのエレーナとスターシアを、レース中可能な限り燃料を消費しないようにシャルロッタと愛華が引っ張る。
最後にエレーナが全員に確認を求めた。
愛華は悩み続けていた。昨夜のシャルロッタとの会話を、エレーナに話すべきかどうか。
シャルロッタは、愛華に「エレーナ様を頼む」と言った。彼女のエレーナさんへの忠誠は変わらないはずだ。何か事情があるのは確かだけど、エレーナさんを絶対に裏切ったりしない。そう信じたかった。
エレーナがシャルロッタに対して作戦の理解を確認する。
愛華はシャルロッタを見つめる。
「了解しました」
彼女は無表情で答えた。
…………
「アイカ!わかったな?」
エレーナの呼びかけられ、慌てて「だあっ」と答えてた。
エレーナは、少しの間二人の様子を見ていたが、再び口を開いた。
「泣いても笑ってもこれが最後のレースだ。シーズン途中からだったが、私はチャンピオンをめざしてここまで来た。私の力だけでは、到底できなかった事だ。それどころか、私が皆の足を引っ張ったレースもある。自分がチャンピオンに相応しいライダーかどうか、何度も自身に問うてきた」
愛華は心臓が高鳴った。もしかしたらエレーナさんは全部知っているかもしれない。次の言葉にそれは疑問から確信に変わった。
「不甲斐ない私をここまで支えてくれたチーム全員のためにも、このレースのストロベリーナイツの勝利は譲れない。早い段階でバレンティーナたちを振り切る。そしてその後は各自、自由に走れ。私より先にチェッカーを承けて構わない。それでタイトルを逃しても悔いはない。このメンバーの誰かに敗けるのなら、今の私はチャンピオンに値しないという事だ」
エレーナの顔は、シャルロッタに向けられていた。その瞳は、青白い炎が豪々と燃えていた。炎は高温になるほど赤から青に変わる。氷の女王の瞳は鉄をも融かすほどの高温で燃えているようだった。
エレーナは、チームオーダーを解いた。怒りも同情もない。世界最速を賭けて、ケンカを売ったのだ。
蒼白の視線がシャルロッタを貫く。
虚ろだったシャルロッタの瞳も一瞬、真っ赤に燃え上がった気がした。
愛華は、自分の心臓の鼓動が聴こえるほど緊張した。スターシアに助けを求めて視線を向ける。しかし、彼女は何も言わない。エレーナとシャルロッタは視線をぶつけ合ったままだ。誰も何も言わなかった。
長い沈黙の後、シャルロッタが立ち上がり背を向けた。愛華はその背を茫然と見送るしかなかった。
「もうすぐ決勝の時間だ。アイカも、ぼうとしてないで準備しろ」
はっとしてエレーナへ振り返る。なにか言おうとしたが、氷のような蒼い瞳がそれを拒否していた。
エレーナにとっても、苦しい決断だった。スターシアの意見も訊いた。スターシアは、裏の事情もすべてシャルロッタに話すのが最良だと言った。すべてを話して、もう彼女の中のフェリーニMCは失なわれた、真のフェリーニの名は、シャルロッタが残せばいいと説得するのが最善だと主張した。
正論だ。たとえフェリーニのブランドが復活したとしても、それはシャルロッタの守ろうとしているフェリーニではない。おそらくジュリエッタにフェリーニの名前を被せただけの出来の悪い偽物が登場するだけだろう。シャルロッタもそれくらいわかっている。わかっていながら、自分の力でなんとかしようともがいている。
シャルロッタは正論では動かない。彼女が信じるのは、スピードだけだ。エレーナとスターシアに従ってきたのも、自分を上回るスピードを認めたからである。
シャルロッタを説得するには、実力を示すしかない。それが叶わなくとも、シャルロッタがレース界から追放される事だけは避けたかった。薄汚れた取引の犠牲となって、その類い稀な才能を終われせたくない。そして……。
──────
バレンティーナは、グリッドに並べられたマシンにから一旦降り、ポールポジションのシャルロッタへと向かった。今日は絶好調だ。朝のフリー走行ではライバルを圧倒した。昨日までとは一転して、心理的にも余裕が生まれた。
逆にストロベリーナイツの連中は、朝から精彩がない。全員がどこか深刻そうな顔をしている。軽くからかってやろうと思った。
「やあ、カルちゃん。今日でシーズン最後のレース、勝っても負けても悔いのないようにしような」
しかし、シャルロッタはじっとストレートの先を睨みつけているばかりで、まったく反応しない。
ガン無視されたバレンティーナは、二番グリッドの愛華に話しかけた。
「カルちゃん、どうしたの?カラコン失くして、魔力が使えなくなったとか?」
「……」
自分では結構おもしろいジョークのつもりだったが、愛華も無反応。いくらライバルチームとは言え、シカトはつらい。
「ねぇ、アイカ。聞こえないのかい?」
バレンティーナは、愛華の目の前に顔をつき出して呼びかけた。
「うわっ!……バレンティーナさん、びっくりするじゃないですか。どうしたんですか?」
どうやら意図的に無視していたのではないらしい。
「どうしたじゃないよ。キミらこそ、どうしたんだ?シャルロッタといい、アイカといい、自分の世界に入っちゃってさ。確かにライバルだけど、締めくくりなんだから、クリーンにやろうよ」
バレンティーナは、シャルロッタの事情について、まったく知らないようだった。
「はっ、はい!レースに集中しちゃって、気がつきませんでした。よろしくお願いします」
レースのこと考えてるなら、もっとボクを意識しろよ!と毒づきたくなったが、なんだかバカらしくなってやめた。この子はスタート前ですら惚けたこと言ってるくせに、レースになればエレーナ顔負けの根性を見せる。警戒するのは自分の方だ。バレンティーナは二列目にいるエレーナを見たが、氷のようなクールな眼差しをピクリとも動かさず、じっと前を見つめている。スターシアまでも、まるで自分などいないかのように、ちらりとも視線を向けない。バレンティーナの自尊心は傷つけられた。
(いいさ、レースが始まれば嫌でも気づかせてあげるから)
バレンティーナは、圧倒的なパワーで捩じ伏せてやると決めた。
今の愛華にとって、バレンティーナのことは失礼ながらほとんど頭になかった。彼女の頭の中では、このレースを制すのはエレーナとシャルロッタのどちらかしかない。
だがそれは、どちらが勝ても、シャルロッタはチームに居られなくなるという酷しい運命を背負った勝負だ。いくらエレーナがチームオーダー無しを宣言しても、シャルロッタが勝つことは許されない。たとえ指示がなくても、今回、絶対にエレーナを優勝させなくてはならないことは、わかっているはずである。もしシャルロッタが先にゴールしてタイトルを逃したとしたら、もうチームには居られない。エレーナが許しても、メーカーやスポンサーからの非難は免れられない。エレーナの監督責任も問われるだろう。
エレーナが勝っても、シャルロッタはチームを去る予感がした。彼女のエレーナ崇拝は、愛華と同等だ。ある意味、愛華以上と言える。敬愛するエレーナに反旗を翻すなら、最初からその覚悟をしてるにちがいない。どちらにしても救いがない。
『約束して!あたしが暴走したら、あんたがエレーナ様をお護りしてあたしを抜くと』
昨夜のシャルロッタの言葉を思い出す。
彼女の忠誠心は変わりないはず。何かの事情で、勝たなくちゃいけなくなったんだ。
そこで愛華は気がついた。
シャルロッタさんは、どこかで敗けることを望んでいる。だからわたしにあれほど頼んだんだ。そうだ、わたしに抜かれれば、エレーナさんと争う意味を失う。エレーナさんを差し置いて優勝を狙おうとしたことは、無かったことになる。
確かな根拠がある訳でもない。むしろ論理的に無理がある気もしたが、本能はそうしろと囁いている。他に出来ることが思い浮かばないから、そう信じただけかも知れない。それでも確かにシャルロッタは、愛華に頼んだ。
今の愛華に、シャルロッタと競り勝つ力はない。それでもやらなくてはならない。シャルロッタを背信者にしないために……。そしてシャルロッタとの約束を果たすために。
フォーメションラップが動き出した。
スターシアは、自分の予感に間違いがなかったことを確信した。前を走る愛華の背中が、つい先ほどまでの不安に脅え、畏縮したものから、強い意志と自信に満ちたものに変わっている。
エレーナも気づいたのだろう。愛華にマシンを寄せ、抑えつけようとする。
『これは私とシャルロッタの問題だ。邪魔するな』
愛華まで巻き込みたくない。シャルロッタだけでなく、愛華まで失ないたくなかった。しかし、エレーナの思いは、愛華に届いていない。
『だあっ!わたしとシャルロッタさんで、エレーナさんを優勝させます!』
『余計な事をするな』
スターシア同様、エレーナも愛華のやろうとしていることがわかっていた。
『自由に走らせてもらいますっ』
エレーナに、愛華を説得すべき言葉がないのはわかっていた。愛華に掛ける言葉は、エレーナ自身に掛けるべき言葉なのだ。
(やっぱりアイカちゃんも、そういう形でしか、理解し合えないのね)
スターシアは、愛華がそういう結論に至ることは、はじめから予想していた。やはりエレーナと同じ人種だ。戦う血が流れている。
しかし、スターシアはもっと深い部分まで見抜いている。なんだかんだ言っても、彼女たちはシャルロッタと競い合いたいのだ。シャルロッタもまた、エレーナと、そして愛華と戦いたいと望んでいる。
「困った人たちね」
スターシアの推察は、
三人ともチームメイトを思う気持ちに偽りはない。このチームを本当に愛している。それでも本能として、どっちが速いかはっきりさせずにいられないのだ。無益で栄光もない、むしろ栄光も未来までも捨てて、己れの力を試したい。自己満足のために。そういう種なのだ。
「いろいろ屁理屈言ってるけど、結局走らないとわからない人たちなんだから。せめて舞台に邪魔が入らないよう、お掃除するしかないわね。私ならエレーナさんに貯金全部賭けるんだけど」
スターシアだけが、本当にすべき自分の役割を理解していた。
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