第35話苺大福の約束
愛華のいた白百合女学院は、小中高一貫のその地方随一の伝統あるお嬢様学校である。生徒の多くは高額な学費の納められる裕福な家庭の子女で、かつては一般庶民の子は入れないと言われていた。生徒の中には、現代日本で唯一憲法で貴族と認められる高貴な一族とご縁のある、やんごとなきお方もおられると言う噂で、事実、殿下のお妃候補として名の挙がった卒業生もいるほどの名門である。
多くの生徒は幼稚舎から大学までを無菌環境の
愛華が中等部に編入出来たのも、当然体操の特待生としてである。豊富な寄付金で整備された体育設備で、最高のコーチから指導を受けられる環境は、愛華の才能を存分に伸ばしてくれた。しかし編入学当初の学校生活は、愛華にとって楽しいものではなかった。
友だちがまったく出来なかった。只でさえ閉鎖的な上、一般家庭に育った愛華とお嬢様たちとでは、話題も習慣もまるで異なっていた。
初等部からの仲良し同士でグループを作る教室の片隅で、一人昼食をとる孤独感は、中学生の少女にとって相当きつい。おまけに母親のいない愛華には、祖母の作ってくれた弁当を恥ずかしいと思ってしまう年頃でもあった。いつしか昼休みには、体育館横の部室で、一人でお弁当を食べるようになっていた。
ある日、いつものように部室であまり女子中学生らしくない弁当を食べていると、隣のバスケットボール部の部室から物音が聞こえてきた。気にしないで食事を続けていると、体操部の部室のドアがノックされる。昼休みを部室にいることを先生に咎められるのではと恐る恐るドアを開けると、そこには背の高いボーイッシュなクラスメイトがいた。
「よかったら一緒に弁当食べない?うちの部室には冷蔵庫もあるから、冷たい飲み物とかもあるよ。あっ、その煮物おいしそう。おかずの代えっことかしようよ」
爽やかな笑顔で話しかけてきたのが智佳だった。
愛華と同じスポーツ特待生で一年生ながらバスケットボール部のレギュラー。愛華と同じように部室で昼食を食べていたらしい。しかし、その理由は愛華と正反対だった。
背が高く、ショートカットのバスケ部レギュラーとくれば、編入生とはいえ、女子校ではモテモテである。一緒にお昼を食べようと他のクラスからも手作り弁当を携えた女生徒たちが詰めかけ、煩わしくなった智佳は、午前の授業終業のチャイムと同時に部室へダッシュするようになったそうだ。
それ以来、智佳とは親友になった。智佳は愛華とちがい、クラスでも人気者で、智佳ファンの中には愛華に嫉妬する者もいたが、「私の友だちに失礼なことする人は許さないよ」と智佳が宣言するとすぐ収まった。
やがて愛華にも、智佳を通じて仲間ができた。べつにお嬢様たちは意地悪していたわけではなく、本来愛華はみんなに好かれる性格である。教室での居心地の悪さはなくなっていた。
「あいか~、テレビ観たぞ。アメリカGPの時、MJと一緒に映っていただろ!メチャメチャうらやましいぞ、この〜ぅ」
智佳は、再会の挨拶もそこそこに、ラグナセカでバスケの神様と言われる元NBAプレーヤーとのツーショットを話題に、愛華の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「観ててくれた?あの時、智のこと思い出していたんだよ」
「じゃ、サインぐらいもらってくれた?」
「え〜ぇ、もらえないよぉ。でもレースのあとでプライベートのアドレス交換したんだよ」
「ますます羨ましいじゃないか!ジョーダンじゃないぞ」
「智、さぶいよ……。でも智のことメールしたら、ぜひ会いたいって」
「うそっ!まじで?いつ?今日来てない?」
「今日は来てないと思う。でも、もしかしたら最終戦のスペインには行くかもって」
「本当か?よしっ、最終戦にも応援行ってやる。絶対に会わせろよ愛華」
「ちょっと智!あいかの応援に行くんじゃないの?」
横にいた紗季が、興奮する智佳を叱る。しかし顔は笑っている。他のみんなも笑っていた。
それから一人一人と再会の悦びと応援の感謝を交わし、チームの人たちに紹介した。スターシアの美貌には、白百合の令嬢たちも羨望の眼差しを向けていた。
「それで、あの背の高い子がアイカちゃんのいい人なんですか?」
スターシアは飾り気ない天然さで、みんなを和ませた。
「なっ、なにを言い出すんですか、そんなんじゃないです。みんなわたしとちがって、英語とかペラペラなんですから迂闊なこと言わないでください」
愛華が顔を真っ赤に染めてわたふたする。しかし既にみんなにも聞こえていた。
「私も愛華と智って怪しいと思っていたんだよね」
「私は知ってたよ。いつも二人っきりで部室に籠っていたもん」
「そうそう、『昼休みの情事』ってやつ。部室棟近づき難かったもんね」
「もう〜、やめてよ、みんな。智からもなにか言って」
振り返ると智佳がすぐ背後に立っていた。
「えっ?ともちゃん……?」
「愛華はオレの嫁だ。みんなも認めてくれているよ」
智佳に顔を間近に寄せられて言われると、愛華は頭から湯気を噴いて固まってしまった。
女子高生たちのわいわいがやがやをエレーナとスターシアは、微笑ましく眺めていた。初めて会ったのに、とても親しみが持てる。
「妬けますか?エレーナさん」
「どうして妬けるんだ?誰にでもある微笑ましい思い出じゃないか」
「さすが余裕ですね。そういえば、何処となくトモカさんはエレーナさんに似てますね。アイカちゃんがエレーナさんに憧れるのは、トモカさんの姿に重ねているだけかも知れませんね」
「スターシア、私に喧嘩売っているのか?」
シャルロッタは、少し違った反応だった。テントの隙間からエメラルドグリーン(カラーコンタクト)の片眼を覗かせ、制服の女子高生たちを観察していたところを、紗季に見つかってしまった。エレーナに引き摺り出されるように姿を現したゴスロリ少女は、たちまち白百合の少女たちに取り囲まれた。
「わあ!可愛い〜ぃ」
「本物のゴシックロリータだよ(ヘテロクロミアは偽物)。やっぱり向こうの人だと似合うよね」
などと興味津々に構われる。
「当たり前でしょ!あたしの家は、ボローニャの名門フェリー二家なんだから。あんたたちこそ、そんな女子高生みたいな格好して……、ちょっと似合っているじゃない」
「て言うか女子高生だよ」
「あいかも中学までこの制服着てたよ。スカーフの色ちがうけど」
シャルロッタも本物の女子高生を見るのは初めてであった。可愛い制服を着た女子高生は、アニメの中だけの存在だと思っていたらしい。
「じゃ、じゃあ、アイカもこんな可愛い制服着て、毎朝トースト食べながら『遅刻、遅刻~』って、走っていたって言うの?」
「一応わたしも着てました。トーストはくわえてませんけど。て言うか、本当にトーストくわえて走っている人なんていませんから」
「いや、あいかはよく食べながら走っていたよ。朝練の前だからみんな知らなかったろうけど」
「智ちゃん、やめてっ」
みんなが笑い声をあげる中、シャルロッタは何やら考え込んでいる。
「……あんた、今から誰かに制服借りてトーストくわえなさいよ」
唐突にシャルロッタから意味不明のリクエストが出された。
「いや、それはちょっと……」
さすがに愛華も恥ずかしい。
「私のだったらちょっと大きいぐらいで、なんとか合うんじゃない?」
一番小柄な美穂が申し出てくれる。気持ちは嬉しいけど、恥ずかしからやめて欲しい。このチームは冗談みたいなとこ、本当にあるから。
「アイカちゃんが制服でトースト……私も見てみたいですね」
「スターシアさん、やめてください」
案の定、スターシアが乗り気になった。
「明日のレース終わったら、その制服貸していただけます?」
「もうやめてください!みんな次の日は学校なんだから、早く帰らないといけないよね。気持ちはうれしいけど、またの機会に貸してね」
さすがにレース前にはおふざけはないだろう。レース終了後は、すぐサーキットを出なければ、地元の名古屋に着くのが遅くなる。
「大丈夫だよ。月曜まで公欠扱いだから。それに実はエレーナさんにお願いがあるんだよね」
紗季たちがエレーナさんにお願い?一体なんだろう。智佳以外はいいところのお嬢様たちだから、あまり変なお願いはないとは思うけど……。
「私にお願い?私に出来る事であれば協力させてもらうが?」
エレーナも愛華の友人たちであれば、あまり無茶な願いは言うまいと踏んでいた。ただレースには素人のようなので、そのあたりの懸念はある。
「実はストロベリーナイツが、優勝した時はチーム全員で苺のスイーツを食べるって聞いたんです。それで私たち、あいかの大好物の『苺大福』って言う日本のケーキがあるんですけど、それを作ろうと材料も持って来てるんです。みなさんのお口に合うかわりませんが、宜しければ栄光の苺のスイーツ、私たちに作らせてください」
愛華にとって今日三度目のサプライズである。苺大福が大好きだったことを覚えてくれたのもうれしい。しかしロシア人の口に苺大福が合うのか不安だ。
「どうするアイカ?友だちの申し出は断りたくはないのだが」
「エレーナさん、やっぱり日本の『あん』って口に合わないのですか?」
「私に食べられないものはない。他のスタッフも何だって食べる連中だ。問題は苺大福と言うのがどれくらい手間の掛かるものなのか知らないが、チームが優勝しなければ食べられない。せっかく友だちが作ってくれたのに、食べられなくなる可能性もあるぞ」
肝心な事を忘れていた。優勝した時のみ振る舞われる苺のスイーツである。今回のチームの目標はエレーナの優勝であり、当然それを成すつもりではいる。しかし、レースに絶対はない。と言って、結果を見てから作ったのでは遅すぎる。たぶん今夜から準備するつもりだろう。
「……」
個人としておごることはないが、チームには絶対の信頼を寄せている愛華が、珍しく弱気になった。それほど友だちの好意を失望させたくはなかった。
「アイカちゃん、大丈夫です。絶対エレーナさんを勝たせましょう。私も苺大福食べたいですから」
スターシアの言葉にやっと決心がついた。チームの人たちにも友だちの作ってくれた苺大福を食べてもらいたい。
「わたし、絶対エレーナさんを勝たせますから、みんなの作った苺大福食べてください!」
どの道、エレーナの優勝以外考えられない。それにせっかく材料まで用意して来てくれたんだ。今さら自信がないとは言えない。愛華は、自分がエレーナを勝たせると言いきってしまった。
「もしかしたら無駄になっちゃうかもだけど、みんなお願い。チームの人たちに苺大福作って」
友人たちにも頭を下げた。
「無駄になんかならないよ、きっと」
紗季と美穂が愛華の肩に手を添えて勇気づけた。
「それにさぁ、もし優勝出来なかったら、私たちで食べるだけだし。愛華には罰ゲームとして、制服でトーストくわえてサーキット一周ってのでどう?」
智佳がからかった。
「いいぞ、それ。私もちょっと見てみたい」
エレーナまで乗っかる。
「まさかのエレーナさんの裏切り!?」
そんなことすれば、確実に動画がアップされて、世界中に恥を晒すことになる。
「お嫁に行けなくなりますぅぅぅ」
泣き崩れる愛華に智佳は、
「その時は私が責任をとるから」
と慰めると、
「まだ高校生のきみがどう責任をとれるのかな?」
なんとエレーナが
「私はあなたよりアイカのことをよく知ってます。心配はいりません」
智佳も一歩も退かず、エレーナを睨み付けた。
「まあ、エレーナさんに尻込みせず張り合うとは。さすがアイカちゃんの愛した人ですね」
「だからちがいますって。愛した人とか誤解される言い方しないでください……」
スターシアの冷やかしに、愛華はもはや消えてしまいたくなった。
そしてエレーナは、この背の高い娘が自分に似ていると言ったスターシアの言葉を思い出し、一人微笑んでいた。
(言い出したのはあたしなのに……、どうして誰もあたしに振らないのよ)
シャルロッタは誰も自分に制服トーストをしろと言わないのが不満だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます