第36話アクシデント

「おそらくバレンティーナは、私とスターシアのスタート加速の劣勢を突いて、最初からとばしてくるだろう」


 決勝前、苺騎士団のパドックではチーム全員を集めて最後のミーティングが行われていた。


「シャルロッタ、序盤バレンティーナを抑えられるな」


「まかせてください、エレーナ様。弾き跳ばしてやります」


 主人から命令をもらえた仔犬のようにシャルロッタが嬉々と答える。


「アイカも私に構わず、前に出てシャルロッタのサポートしてもらう」


「だあっ!」


「バレンティーナなんてあたし一人で十分よ」


「そう言うな。向こうもおそらくラニーニをサポートにあててくるはずだ。他のアシストのスタートグリッドと調子を考えれば、ニューマシンのスピードを生かして最初から二人で逃げ切ろうとするだろう。シャルロッタと愛華にはなんとしても序盤のレースをコントロールしてもらいたい。私とスターシアが合流したら四人で奴らを締め出す」


「「だあっ!」」


 愛華とスターシアが声を揃えて返事をし、少し遅れてシャルロッタも気恥ずかしそうに「だ、だあっ、ッ!」と合わせた。


「予選結果はうちが優勢だったが、マシン性能的には向こうが上回っている。レースになればパワーの差をじわじわと見せつけられるだろう。楽観出来る状況ではないが、気を引き締め、各々が自らの仕事を全うすれば勝利は我々のものとなる。アイカの友人たちの好意を無駄にするな。レース後、皆で天使たちの作ったイチゴダイフクを頂こうじゃないか!!」


[[[[ウラ―――――ッ!]]]]


 メカニックたちが一斉に拳を突き上げ、雄叫びをあげた。テントの中の愛華はもちろん、近くにいた人たちまで突然響き渡った野太い大声に何事かと驚く。その声は、ホスピタリーブースにいた愛華の友人たちにも届いていた。



 ──────


 フォーメンションラップを終えて、愛華は二列目、エレーナのすぐ後ろのスターティンググリッドについた。愛華への応援幕はストロベリーナイツのピットうえに掲げられている。エレーナがピット二階のチーム関係者専用の招待席を用意してくれた。


「みんな見ててね。オリンピックには行けなくなっちゃったけど、同じくらいすごい舞台で頑張ってるよ」


 愛華は、ピット二階に向けてつぶやき、スタートへと頭を切り替えた。



 目の前にエレーナとシャルロッタのお尻が並んでいる。その間を自分の駆け抜けるラインをイメージした。フラッグを掲げていた係員がコースから立ち去る。意識を赤いシグナルに集中する。



「いきます!」


 ランプが消えると同時にクラッチをミートさせた。エレーナもシャルロッタもほぼ同じタイミングだ。しかしウエイトの差でエレーナの加速はシャルロッタより伸びない。エレーナのお尻が迫ってくる。愛華はラインをずらし、シャルロッタの背後についた。


 視界にはシャルロッタのお尻以外ない。バレンティーナもかわしたみたいだ。シャルロッタに続いて1コーナーに飛び込む。



 エレーナのスタートも不味くなかった。シャルロッタがホールショットを奪い、愛華がそれに続いている。一見、ストロベリーナイツの作戦通りのように見える状況だったが、バレンティーナはシャルロッタたちを追おうとしていない。


 1コーナーで後ろから上がってきたラニーニが、エレーナに並び寄せてくる。

 インに押し込められ立ち上がりで思うように加速に移れないエレーナの前を、塞ぐようにバレンティーナが被せて来る。スターシアはアウト側に追いやられて近づけない。スタート直後の混戦状態の中、バレンティーナは本気でシャルロッタたちを追おうとせず、エレーナを封じようとしているのは明らかだった。


 このような展開を想定しなかった訳ではない。目的をタイトル争いに絞れば、無理してトップ争いをするよりリスクの少ないやり方と言える。


 ポイントでリードしているバレンティーナは、必ずしもこのレースを勝つ必要はない。エレーナだけをマークしていればいい。たとえエレーナに負けたとしても、すぐ後ろでフィニッシュすれば総合ポイントのリードは保てる。残りのレースには、チーム全員にニューマシンが渡るのが確実なのだろう。リードを保ったままヨーロッパラウンドを迎える事を優先している。


 ストロベリーナイツとしては、シャルロッタと愛華が如何にリードしようとエレーナを押さえられてはペースを落とさぜる得ない。仮にそのまま二人が逃げ切れば、それはそれでバレンティーナにとって好都合だ。エレーナの獲得ポイントが少なくなるのだから。


 ブルーストライプスを指揮するのがアレクセイである以上、当然想定出来たのだが、みすみすエレーナが裏をかかれてしまったのは、バレンティーナの性格がそれを拒むと考えていたからだ。


 確かにバレンティーナは計算高い部分もあるが、シャルロッタ同様派手さを好む。闘牛士のようにリスクに敢えて挑む者こそ勇者とするマッチョイズムを信仰する典型的ラテン系の性格だ。それはアレクセイの地味な小賢さとは対極にある。これまでのアレクセイとバレンティーナの関係から到底従うとは思えなかった。


 なりふり構わぬまで追いつめられたとみるか、チャンピオンへの執念と評すかは、タイトルの行く末によって評価は変わるだろう。それはともかく、エレーナは一刻も早くバレンティーナとラニーニの包囲を突発しなければならなかった。既に背後には、ブルーストライプスの他のアシストが迫っていた。茂木のようなストップ&ゴーの連続するコースは、コース幅が広くても小排気量では意外と速く走れるラインが限られる。混戦になれば、思うように走れない。




 愛華とシャルロッタがスタートから2回目のメインストレートを通過した時、エレーナが最下位にいる事を知らされた。二人にはそのままトップをキープするように指示が出されていた。そして2コーナーを通過する時、外側の砂場の中にブルーストライプスのマシンが二台停まっているのが見えた。一台はラニーニのマシンのようだ。


「まさかエレーナさんがラニーニちゃんとクラッシュした!?」


 正確なことは判らないが、状況がそう語っていた。だが少なくともエレーナはまだレースを続けているのは確かだ。


 再びピット前を通過した時には、エレーナが30位まで順位をあげている事を知る。そしてスターシアが29位まで順位を落としている。という事は、スターシアがサポートに向かったようだ。愛華とシャルロッタには、相変わらずトップをキープするよう指示が出されている。


 愛華は自分も今すぐエレーナのサポートに飛んで行きたいのを我慢した。限られた情報の中で、自分たちの出来る事はピットからの指示に従い、先頭に踏み留まってレースをコントロールする以外ない。少しでも早くエレーナとスターシアが追いついてこれるように、スローペースに持っていく。



 ──────


 愛華の心配した通り、エレーナは二周目の2コーナーで転倒していた。

 バレンティーナとラニーニに阻まれていたエレーナを、なんとか逃がそうとスターシアがインからラニーニに横に割り込んだ。ラニーニは外側にいるエレーナとの接触を避けるため、アクセルを緩めしかなかった。しかし、ちょうど同じタイミングで同チームのマリアローザがラニーニの真後ろに飛び込んできていた。


 ラニーニとマリアローザが接触転倒。アウト側にいたエレーナはなんとか転倒した二人は避けられたが、コースアウトを余儀なくされ、サンドトラップの深い砂にタイヤをとられ転倒してしまった。マシンにダメージは無かったが、エレーナは以前傷めた左肩を脱臼していた。


 エレーナは立ち上がり再スタートしたが、外れたままの左肩は周回を重ねる度に苦痛が彼女の心身をえぐっていった。

 


 遅れたエレーナのサポートするために順位を落としたスターシアは、すぐエレーナの異変に気づいた。強靭な肉体と精神を持つエレーナが、見てわかるほど苦しそうな走りをしている。

 止めても聞かないのはわかりきっていた。

 スターシアは少しでもエレーナの負担を減らそうと、ほとんど一人で傷ついたエレーナを最下位から引っ張り上げてきていた。



 スターシアはエレーナを引っ張り、まさにゴボウ抜きと言えるペースで追い上げた。レース半分の15周を過ぎた時点で、12位前後まで追い上げていた。



 ──────


 愛華とシャルロッタは、出来る限りのスローペースでトップをキープし続ける。やり過ぎればレース妨害と摂られ兼ねない。本来シャルロッタのライディングは攻めの走りをしてこそ、その常識外れの才能を発揮出来る。ディフェンス的走りを強いられ、フラストレーションが溜まっていくが必死に耐えた。


「あーっ、もぉーう、肩が凝ってくるわ。エレーナ様が追いついたら、思いきり暴れさせてもらうからね!」


 愛華にとっても、スローペースでレースをコントロールする事は、必死にハイペースについていくより遥かに神経をすり減らす。愛華も長時間レースをコントロールするには、経験が浅すぎた。


 それでも二人が先頭をキープ出来たのは、バレンティーナが無理に仕掛けようとしなかったからだ。シャルロッタにすれば、バレンティーナと張り合っている方が余程走りやすかったが、バレンティーナの側もアシストを二人失なっている。しかも一人は最も頼りにするラニーニだ。それはレース後半のスパートにサポート出来るライダーがいないという事である。


 エレーナが脱落した以上、無理にアタックを仕掛ける必要はない。エレーナが追い上げているのは知らされていたが、トップまで届くのは難しいだろう。逆にそれが先行する愛華とシャルロッタの足枷になる。中途半端なポイント圏内にエレーナがいれば、二人はゴール前にエレーナの後ろに下がらざる得ない。ライバルにポイントを与えないようにそのままフィニッシュを迎えたとしても、バレンティーナの優位は変わらない。


 万一エレーナが追いついてきたとしても、トップ二人に合流する前に、力をセーブしておいた自チームのライダーがブロックすればいい。シャルロッタと愛華もサポートに入るだろうが、その隙に逃げきれる。地元イタリアやスぺインでこんなレースをすれば、たちまちブーイングを浴びせられるが、礼儀正しい日本のファンが騒ぐことはないだろう。それにブーイングを浴びるくらいどうという事ない。



 レースは3分の2を過ぎ、残り10周を切ってもエレーナとスターシアは10位前後に留まっていた。追い上げのペースはガクンと落ちている。この5周で抜いたのは二人だけだ。


 上位に迫るほど、先行するライダーのレベルも高くなる。チャンピオン争いとは無関係のチームでも、それぞれのレースを戦っている。一つでも順位を上げたいのは皆同じだ。「はい、どうぞ」とは抜かしてくれない。それでもいつものエレーナとスターシアなら難なく抜き続けたろう。しかし今のエレーナは、本来の力を発揮出来ない状態だった。


 更に、愛華とシャルロッタが先頭でスローペースを維持していたため、トップからエレーナたちのいるところまで13〜4台の大きな集団のままになっていた。先頭が見える位置まで追いついてはいたが、密集した集団を掻いくぐる余力が残っていなかった。


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