第37話龍虎真眼
4コーナーから5コーナーにかけての短いストレートで、愛華とシャルロッタは揃って後方を振り返り、自分たちのエースの置かれた状況を把握した。
「エレーナさんたちが身動き取れなくなっている」
このままペースを維持すべきか、ペースアップして集団をバラけさせるのがいいのか?或いはポジションを落として、エレーナのサポートに向かうべきなのか、愛華は迷った。やはりピットからの指示に従うのが最も適切に思える。しかし、シャルロッタはすぐ様反応した。直情型の彼女にはそれ以外の考えはなかったのだろう。思考を巡らす愛華に「そんなに罰ゲームが嫌なら、そこに一人でいなさいよ!」と言い残し、即減速した。
愛華は悩んだ。シャルロッタほど心とバイクが直結していない。
(二人とも下がったら、きっとバレンティーナさんはスパートする。そしたらもう追いつけなくなっちゃうかも?でもわたしも助けに行きたい!)
その時、以前エレーナから言われた言葉を思い出した。
『ライダーにとって、迷いは最悪の思考だ。迷いは間違った決断よりたちが悪い』
シャルロッタが冷静な判断を下したとは思えないが、この場合、迷っている愛華よりは正しい行動をしたと言える。残りの周回数を考えれば、エレーナを諦め、逃げ切りのスパートをかけてトップを確実に押さえるにせよ、エレーナを引っ張り上げるためにサポートに向かうにせよ、行動を起こすのに一刻の猶予もない。このままレースを続けても、どこかでバレンティーナにスパートを仕掛けられ、トップを守り切るのは難しい。中途半端な気持ちで太刀打ち出来る相手ではない。
「罰ゲームはしません!エレーナさんを優勝させて、シャルロッタさんにも苺大福食べさせてあげます!」
愛華もマシンを脇に寄せて、スロットルを弛めた。すぐにシャルロッタと愛華の動きの意味を察したバレンティーナは、自チームのアシストすらも置き去りにして猛然とスパートする。シャルロッタと愛華が再び集団を突破してくるまでに逃げきるつもりだ。予選では苦汁を舐めたバレンティーナだが、決勝では憎らしいほど狡猾に駒を進めてくる。
──────
「エレーナさまーぁ!お救いに参上しましたぁ!」
シャルロッタはエレーナの前までポジションを落とすと大声で叫んだ。
「シャルロッタ!なに勝手な真似をしている」
エレーナの咽喉マイクは、コースアウトした際はずれてしまっていた。声はシャルロッタに届いていないが、快く思っていないのはいつも叱られているシャルロッタにはすぐわかる。
「お叱りはレース後にいただきます。今はあたしについて来てください。あたしが本気出せば、こんな連中軽く蹴散らしてやります」
エレーナの説教が聞こえたとしても、女王を救出に参上した騎士役に成りきっているシャルロッタには無意味だ。勝手に自分のセリフに酔ってますますテンションが上がっている。
「スターシアさぁーん、お疲れ様でーす。ここからはわたしたちにまかせてください。エレーナさんと一緒に表彰台まで超特急でご案内します!」
愛華も、直接サポート出来る事に興奮していた。正直思いきり走りたくて堪らなかったのだ。
「アイカちゃん、ありがとう。でも無理しちゃ駄目よ。きつくなったらいつでも言うのよ。それから表彰台にはアイカちゃんが上がってね」
自分自身の疲労も顧みず、だらだらに愛華を甘やかすスターシアであった。
「シャルロッタにお救いされるとはな……。まったく、アイカまで悪影響を及ぼして困ったヤツだ」
痛みに顔を歪めてマシンを駆っていたエレーナは、誰にも聴こえない苦言をつぶいたが、その声に愉しさが隠しきれない。聞こえなくて助かった。シャルロッタが調子にのる。
しかし、シャルロッタは、既に調子にのっていた。否、異世界にトリップしていると言うべきか。
「どっけーっえ!女王様の行く手を阻む愚か者どもめ!氷の炎に焼かれたくなくば、道をあけろーっ!」
氷の炎とは意味不明だが、まさに火の玉となって集団を切り裂いていく。トップグループを形成するライダーたちは、普段優勝争いには届かないまでも、一流と呼んで差し支えない優れたライダーたちだ。チームとマシンにさえ恵まれていれば、充分表彰台を狙えるライダーもいる。しかし、そんなライダーたちもシャルロッタの相手にならない。ブレーキングポイントもライン取りもむちゃくちゃだが、それ故にブロックしようがない。中二病を患った天才は、これまでのフラストレーションを晴らすかのように暴れまわる。
シャルロッタの開けた穴を、愛華がエレーナとスターシアを引き連れて抜けていく。残り8周を切って、膠着していた集団が引き裂かれるように崩れていく。
僅か3周ほどで苺騎士団の四人は集団を抜けきっていた。青い縞々のアシストライダーたちのブロックも、まったく歯が立たなかった。しかし、シャルロッタと愛華がさがると同時にスパートしていたバレンティーナは、既にストレート以外では視野に捉えられないほど先行していた。四人でドラフトを使いあっても、僅か5周で追いつくのは難しい差だ。ましてエレーナは肩が外れたままで、スターシアのマシンもタイヤもかなり消耗している。あまり二人に負担は掛けられない。
しかし、そんな問題もシャルロッタの妄想の前には何の障害にならなかった。
「フッ、フッ、フッ、バレンティーナ、あんたの負けは確定よ。子分を犠牲にして一人だけ逃げ出す黒幕の末路が、お約束なのを忘れていたわね」
エースを勝たせるために犠牲になるのがアシストの仕事である。この世界では当たり前だし、漫画やアニメのお約束の結末も、現実には通用しない。しかし、なぜかこのときばかりは愛華もシャルロッタと同じ気持ちになっていた。エレーナの言う通り、シャルロッタの病気は伝染するのかも知れない。
「アイカ、あんたも楽ばかりしてないで、ちょっと先頭替わりなさいよ」
もちろん異存はない。シャルロッタばかり先頭を負担させられない。促されるまま愛華が前に出る。シャルロッタは愛華の背後に入ると頭をカウルスクリーンに押し込み、ヘルメットのシールドを開けて、左手で片眼を押さえた。
「左眼が疼く……。遂に千年前の冥王星の戦い以来封印してきた龍虎真眼の、真の力を解き放つ時がきた。見よ、氷の炎に燃え上がりし龍と虎の真の眼を!」
なんとなく後ろのペースが落ちている気配を感じた愛華は、振り返って驚いた。フルフェイスヘルメットの中から覗くシャルロッタの左目が真っ赤になっている。
「うわっ!シャルロッタさん大丈夫ですか?白目が真っ赤です!カラーコンタクトなんかしてるから、凄い目が充血してますよ!」
愛華の驚きの表情も、シャルロッタには妄想の糧となる。
「あんたにもあたしの龍虎真眼が見えるの?さすが氷の女王が召喚した
本当は今すぐ説明したかったが、レース中なので無理である。それに本当にそんな暇がない。しかし『龍虎真眼』とはなんであろうか?たぶん日本人か中国人に強そうな漢字を訊いて、適当につけただけだと思う。説明は要らん。
シャルロッタは、乾いたコンタクトをグローブを嵌めたままいじくり、真っ赤に充血させた目も気にせず、むしろ、それをモチベーションに先ほどより更にペースを上げた。愛華も意味がわからなかったが、もう彼女に協力するしかない。目的は同じだ。それにシャルロッタと走るのは、やっぱり愉しい。
目は心配だったけど……。
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