第40話チェンタウロの系譜

 日本GPを終えて、舞台は再びヨーロッパに渡る。移動を含め、第15戦のアラゴンまで三週間のインターバルがある。


 その期間、苺騎士団ストロベリーナイツは、スミホーイの本拠地ロシアツェツィーリアに戻り、新たな電子制御システムの調整とライダー同士のコンビネーションのトレーニングをしていた。

 日本GPでは、急に決まった四人体制が予想以上に上手くいった。しかしブルーストライプスも、次戦にはエースバレンティーナと同仕様のマシンを全員に行き渡るだろう。次も上手くいくとは限らない。さらに連係を高めておく必要があった。

 特にシャルロッタと愛華のコンビは、大いに期待している。日本GPでは危ういながらも二人が噛み合えば、マシンの性能差を穴埋めできる事を証明した。それがいつでもできるようにしたければならない。




 苺騎士団がロシアでテストとトレーニングをしている頃、ブルーストライプスもホームのイタリアで同じように最終テストをしていた。


 予想通りエースバレンティーナと同じ仕様のマシンが全員に渡り、レース本番と同様のシュミレーション走行でも問題は出ていない。


 テストは公開されており、すぐにバレンティーナ優位の情報は世界に宣伝された。ジュリエッタとしては、当然自信があるから公開したのであり、早くもタイトル獲得イベントやチャンピオン記念モデルの市販車の企画まで始めていた。


 しかし、主役であるバレンティーナとチーム監督のアレクセイは、ジュリエッタのお偉方やマスコミほど楽観していなかった。


 日本GPでは、一旦は最下位にまで墜ちたエレーナに追い込まれた。しかもあの時、エレーナは肩を脱臼したまま走っていたという。バレンティーナのマシンは改良された最新バージョンだったのにも関わらず、大差を跳ね返された。バレンティーナが単独だったとはいえ、マシン性能では明らかにこちらが上だった。



 エレーナ相手に、どれほどアドバンテージがあろうとも油断出来ない。


 マシンで上回っていても、総合力では負けている。ブルーストライプスは人数ではまさっているが、一人一人のレベルはバレンティーナ以外苺騎士団の方が上だ。うちのライダーがまさってるのは愛華ぐらいだ。しかも、その愛華がレースではやたらとウザい。日本での敗因も、愛華の存在が大きい。これまでのシャルロッタなら、あれだけの差があればすぐにレースを諦めていた。シャルロッタは確かに速い。その才能は、自分をも上回っている。間違いなく天才だ。天才だから苦労しなくても速い。思い通りにならなければ放り出す。誰とも合わせられない。愛華とは正反対だ。その愛華がシャルロッタに影響を及ぼしている。



 少女の頃、バレンティーナは、自分とシャルロッタが組めば必ず世界最速になれると考えていた。自分以外、シャルロッタのパートナーは務まらないと疑っていなかった。必ず自分のパートナーにするつもりだったのに、今自分のタイトルを阻もうとしている。


 バレンティーナには、愛華がまるで疫病神のように思えた。



 ──────


 バレンティーナの父親バージニオは、かつてGP小排気量クラスの一時代を築いたフェリーニ・モトシクロの契約ライダーだった。バージニオ自身は、名を残すようなライダーにはなれずに終わったが、愛娘に夢を託した。


 父親の夢を背負い、バレンティーナは幼少の頃からバイクに親しみ、小学生にして国内のミニバイクレースで話題となる才能を示した。


 そして12才で父親のいたフェリーニMCのジュニアチームに入った。


 父親と同じフェリーニの半人半馬チェンタウロのエンブレムが誇らしかった。


 そこで初めてシャルロッタに出会った。


 シャルロッタは、ボローニャの貴族でフェリーニ社の創業者カルロス・デ・フェリーニの孫娘だった。父親は名目上社長だったが婿養子で、実権は会長のカルロスが握っており、類い稀なライディングセンスを持つ孫娘にすべての愛情を注いでいた。


 「あたしは人とバイクの間に生まれた」と豪語し、自分こそフェリーニ家の紋章でもある半人半馬チェンタウロそのものだと信じていた三つ年下の少女は、バレンティーナから見てもわがままに育てられた痛い子供だった。

 しかし、その走りを目の当たりにして、初めて天才というのを知った。本当にバイクと身体が一体化していた。


 それまでバレンティーナは、父親から本当の天才ライダーの話を何度も聞かされいたが、今ひとつピンとこなかった。自分こそ天才だと思い込んでいた。


 バレンティーナは、脅威を感じた。自分以上にバイクと一体になれる人間がいるのが信じられなかった。

 シャルロッタに嫉妬する愛娘に、バージニオは言った。


「バレンティーナには頭脳という武器があるじゃないか。レースはただ速いだけでは勝てない。練習して、頭を使って作戦を考えなくちゃならない。カルロタは何も考えなくても速いが、世界で勝つには作戦とパートナーが必要なのはわかっているだろう?妬むんじゃなくて力を合わせようとしなくちゃチャンピオンになれない。おまえとカルロタが組めば、世界一のチームになれるぞ。女王エレーナにだって負けないチームが出来る。二人がエレーナを破る姿を世界中に見せてやれ」


 バレンティーナは必死に練習した。そして年下のシャルロッタに追いつけるよう努力を重ねた。

 シャルロッタが大きくなったら、一緒に世界へ羽ばたけるように……。



 シャルロッタも、そんなバレンティーナを姉のように慕うになっていった。


 やがて二人は『ボローニャのじゃじゃ馬姉妹』と呼ばれ、イタリア国内のみならず、国外にも知られる存在になっていった。どこのレースでも、シャルロッタとバレンティーナに敵う相手はいなかった。


 イタリア国民の多くが、この二人こそ、永くソ連〜ロシア人に奪われているMotoミニモのタイトルをイタリアに取り戻してくれると応援し、二人もそう信じていた。



 バレンティーナが世界GPに出場出来る年齢になった頃、二人を取り巻く環境が大きく変わる。


 元々、レース好きの貴族が道楽で始めたフェリーニ・モトシクロは、規模としてはイタリアの町工場でしかない。経営はレース仕様バイクとマニア向けの高級市販車を少数生産しているだけだ。二輪車としては高額であっても、売上げはたかが知れていた。


 しかし、外国メーカーの莫大な資金と大規模な設備、最新のテクノロジーを注ぎ込んだワークスマシンが、小排気量クラスにも次々と参戦するようになると、フェリーニのような小さな工場で手作りされてたマシンでは、とても太刀打ち出来なくなっていった。

 レースでの不振は、レーサーだけでなく、公道用市販車の受注も減少させ、レース活動を続ける事すら危うい経営状況に陥っていった。


 イタリア国内にいくつもあった同じような小規模メーカーは、既に多くがイタリア最大のグループ企業トエニ社に買収され、グループのいちバイクブランドとなっていた。


 フェリーニにも買収が持ち掛けられたが、実質全権を握る創業者カルロスは頑なに拒否した。元々大半がフェリーニ家の資本だけで経営されていた小さな会社である。大きな負債はなく、従業員の数も知れている。


 社長であるシャルロッタの父親や役員だった兄たちは、利益の上がらない会社をさっさと売って現金にしたがったが、カルロスは「カルロタがレースを続ける限り、フェリーニMC社はフェリーニ家のもの」と言い残して他界した。


 シャルロッタの父親も兄たちも、実のところレースに然程興味なく、経営すら仕方なくやっているというていたらくだった。絵画やオペラなどの如何にも貴族的趣味に散財し、シャルロッタのレース活動にも眉を潜めていた。


 危険だからと心配を装い、内心では見てくれだけは良かったシャルロッタをどこかの金持ちにでも輿入れさせ、親戚関係になれればと考えていた。


 ちょうどそんな頃、バレンティーナに、ジュリエッタから誘いがあった。


 バレンティーナは迷った。フェリーニは父が誇りにしたチームだ。自分を育ててくれたチームでもあり、メカニックや他のライダーにも恩がある。そしてシャルロッタのいるチームである。


 しかし、フェリーニのレース活動撤退が時間の問題なのは、若いバレンティーナにもわかっていた。


 バレンティーナは、ジュリエッタ側に条件をつけた。デビュー前の新人としては異例な事だ。


『フェリーニのライダーとメカニックの望む者を現在と同じ待遇で受け入れる事』


 当然シャルロッタも含まれていた。


 ジュリエッタ側は快諾する。優秀な人材は、ライダーであれ、メカニックであれ、いくらでも欲しい。特にシャルロッタはバレンティーナと並んで欲しいライダーだった。モノに成らない者は解雇すればよい。その点はバレンティーナも依存はない。


 バレンティーナのミスは、シャルロッタへの事情説明が後回しになった事だ。彼女に現実がわかるほどの理解力がまだないと、相談することなく決めた。



 ─────


 シャルロッタはテレビでバレンティーナの移籍を知る事となる。しかも自分のチームのメカニックまで引き抜いていくという。


 バレンティーナの裏切り……。


 シャルロッタも受け入れると言われた。しかし、バレンティーナから何も聞いていない。第一、シャルロッタにとってフェリーニのエンブレムは自分そのものだ。バレンティーナなら、それくらいわかっていると思っていたし、バレンティーナも同じ気持ちだと信じていた。


 裏切り者の情けで、ライバルメーカーのマシンに跨がるなど考えられない。


 それともわかっていて、その屈辱を味あわせようとしているのか。幼くても、フェリーニの名の重みを祖父や母親から語り聞かされていたシャルロッタにとっては、誇りを踏みにじられる裏切り行為だった。


 信頼は、一夜にして憎しみに替わった。



 バレンティーナは何度もシャルロッタを説得しようと試みたが、彼女は聞く耳を持たない。


 バレンティーナの行為は、どう正当化しようとしても裏切り以外何物でもなかった。



 優秀な技術者が抜けて、フェリーニMCは事実上消滅した。


 シャルロッタが、バレンティーナに剥き出しの敵意を向けるようになったきっかけである。


 前にも増して他者を見下すようになり、左右、色の違うカラーコンタクトを入れるようになったのも、その頃からである。



 その後シャルロッタは、古いフェリーニのバイクでレースを続けた。ローカルレースでは、旧式のマシンでもシャルロッタに敵う相手はいなかった。しかし、特異なライディングと高慢な性格から、どのチームでも長く続かない。そんな時、ライダーを探していたエレーナに見いだされた。


 最初はフェリーニ以外に乗る事を拒んだ。しかし、エレーナとスターシアの乗るスミホーイにどうしたって勝てない。仕方なく、エレーナと同じ仕様のスミホーイを借りて勝負した。初めてフェリーニ以外のマシンに乗った。最新鋭のワークスマシンは、フェリーニのバイクが完全に時代遅れと思えるほど驚異的に進化していた。


 しかし、それでも結果は同じだった。初めて完膚なきまでに敗けた。


 シャルロッタは泣いた。自分もフェリーニも、氷の女王に敵わない……と。



「おまえの誇り高さは評価する。プライドのない人間は信頼出来ない。だが現実から目を背けるな。現在、ジュリエッタに対抗出来るのは、私達だけだ。もし本当にバレンティーナとジュリエッタに勝ちたいのなら、そのバイクを与えてやる。私のチームで走れ」


 エレーナの言葉が、シャルロッタの置かれた状況と妄想にぴったりリンクした。その場で、スターシアも呆れるほどの大袈裟な台詞回しで女王への忠誠を誓っていた。


 エレーナは現実を説いたつもりだったが、シャルロッタの中二病を拗らせる結果となった。

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