第3話スターシアの秘密
「明日、我々もツェツィーリアに飛ぶ」
シャワーを終えたエレーナがバスローブを羽織りながら、鏡台で美しい金髪を梳いていたアナスタシアに向かって言った。
ツェツィーリアとは、彼女たちのチーム本拠地であり、彼女たちの乗るバイク、スミホーイの工場があるロシアの地方都市だ。
スミホーイはロシア全土でトラクターから航空機まで生産する重工業企業で、その中でもツェツィーリアは、戦闘機やミサイルなどの特に機密性の高いハイテク兵器開発が主要の軍需産業の町だ。
旧ソ連時代には、地図にも記載されておらず、住民は全て国営公社の関係者とその家族で、外国人はおろか、自国民であっても地区に近寄る事も厳しく制限され、存在すら隠されていた。
そこの広大な滑走路で、エレーナはバイクの走らせ方を覚えた。毎日何時間も走らされた。何度も転倒し、体中傷だらけになった。ライダーの安全性よりも軽さと動き易さを優先に作られた当時の粗悪な皮ツナギは気休めでしかない。その上、未完成のエンジンはよく突然焼きつき、超大型輸送機の離着陸にも耐える堅いコンクリートの路面に投げ出さた。
「アイカさんも連れて行くのですね」
「当たり前だ。ドイツGPまで三週間しかない」
「久しぶりにお気に入りのようですね?」
アターシアが鏡越しにエレーナをうかがう。
「気に入った。これほど高揚するのはスターシアを見つけた時以来だ」
「確かに、彼女には可能性はあるようです。歩く姿を見ただけでも運動神経の高さを感じさせます。でも走りも見ないで決めてもよろしいんですか?」
「不満か?」
「少し妬けます」
スターシアが立ち上がり、ベットに向かうのを背中に感じる。エレーナは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一気に飲み干して振り返った。
「スターシア、そういう大人のセリフが言いたいのなら、その猫みたいなぬいぐるみを抱かないと寝られない習慣を治せ。私が男なら叩き捨ててるぞ」
スターシアは『ミティちゃん』のぬいぐるみを庇うように抱きしめて、『ミティちゃん』に話し掛ける。
「エレーナさんは怖いですねぇ。大丈夫ですよぉ、ミティちゃんを捨てるような乱暴な男の人とは、ベットを共にしませんからね」
「……」
まるで子供だ。幼い頃から英才教育を受けた一流のアスリートの中には、その華々しさとは裏腹に、病的とも言える幼児性が診られるケースが稀にある。
だがスターシアの場合、それにあたるのかは不明だ。男を寄せつけない理由はわかっていたが、それについては敢えて触れない。
時にエレーナより冷静で、才能と知性と美貌を兼ね備えていながら、言い寄る男をすべてふって、同性愛者との噂もあるスターシアの裏の顔が、猫のぬいぐるみを抱かないと寝られない痛い女というのは格好がつかない。世間に知られたら、チームのスポンサーがかなり減るんじゃないかと心配になる。男についてはともかく、ぬいぐるみを抱かないと寝られない習慣だけは、なんとかして欲しかった。
「でも、どうしてアイカさんなんです?彼女も疑問に感じていたようですけど、現時点で彼女より速い人材は、他にもいると思いますけど」
ミティちゃんを抱いたまま、真面目な会話に戻った。
「アカデミーで講師をしている友人が言っていた。最近の生徒は小さな頃からバイクに親しんでいてレベルも高い。だがそれだけに小手先の技術に頼り、誤魔化しも上手い。そういう小手先のテクニックは、GPの世界で揉まれれば、すぐにメッキが剥がれる。スターシアも感じているだろ。鳴り物入りでデビューしても、すぐ消えていく連中の多い事を。それに半端なテクニックを身につけたライダーより、理想通りに研ける」
「彼女はダイヤの原石だと?」
「そうだ」
「少し妬けます」
「それはもういい!」
潤んだ瞳で拗ねたような言葉を繰り返されると、その趣味がなくともおかしくなりそうだ。
「私が嫉妬しているのは、神に愛されたアイカさんの才能にです。私より可愛いうえ、才能にも恵まれているなんて……」
アナスタシアは澄んだ瞳でエレーナを見つめた。その瞳に見つめられて、ドキリとしない者はいない。男だけでなく、女であっても固まってしまう美しさだ。
「いや、スターシアの才能が劣っているなんて事はない。容姿はスターシアの方が断然、美しい」
「エレーナさん……」
「……」
スターシアのレズ疑惑の噂を思い出し、エレーナは自分の言った言葉に気まずくなった。しかしスターシアの次の言葉は、エレーナの不安の斜め下に行っていた。
「私の容姿など、どうでもいいのです。私はミティちゃんだけでなく、可愛いものぜんぶ大好きなんです。アイカさんにはカワイイでモエを感じるのです。私はデレになってしまうんです!」
オタク言語のまったく理解出来ないエレーナには、スターシアの言ってる意味がまるでわからなかった。
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