第44話哀しい約束

 シャルロッタは夕食時も部屋に籠りきりで、必要最低限しかチームの人間と顔を合わせようとしなかった。もはやスターシアの悪い予感は確定的になっていた。具体的に何なのか解らなくても、それがチームにとって好ましくない事なのは、愛華にもわかる。


 それでも愛華は、シャルロッタを信じたかった。明日のレースでは、二人でエレーナさんの盾となって、優勝に貢献したい。何よりシャルロッタさんと走るのは、楽しい。そして絶対無理だと思える状況でも、四人で力を合わせて乗り越えるのは、他では味わえない充実感なのだから。



 食事に現れないシャルロッタのために、ルームサービスに頼んでサンドイッチとミルクを部屋に届けてもらう。


 チームのメンバーと食事を終えて部屋に戻ると、サンドイッチもミルクも運ばれたままの状態で、テーブルの上に置かれていた。


 エレーナから、そっとしておいてやれと言われていたが、愛華にはどうしてもほっとけなかった。


「朝もお昼もろくに食べてませんよね。せめてミルクだけでも飲んでください」


 朝、牛乳だけは口にしたのを思い出して、拒否されるのを覚悟で勧めた。


 シャルロッタは、じっと愛華を見つめ、意を決したように口を開いた。


「アイカ、あまりあたしに優しくしないでちょうだい……」


 あまりに哀しいシャルロッタの言葉だった。愛華は泣きそうになりながらも、懸命に笑顔で答えた。


「だって、わたしはシャルロッタさんの前世からの下僕なんだから、どんな時でも尽くします」


「あれは冗談に決まってるでしょ。まさか本気にしてたわけじゃないでしょ?」


 先に涙を見せたのは、シャルロッタだった。




 同じ頃、エレーナとスターシアの部屋にかつての同僚が訪れてきた。エレーナが『諜報部の犬』と忌み嫌うスベトラーナである。入室を拒否するエレーナに、「シャルロッタについて大切な話がある。他人のいる所では話せないので、どうしても入れて欲しい」と頼まれた。あまりに真面目な態度に、仕方なく話だけは聞く事にした。何か要求されても一切きくつもりはない。スターシアは席を外そうとしたが、エレーナはその必要はないと留めた。スベトラーナも同意して、すぐに本題に入る。



「シャルロッタの兄は、絵画の収集に相当な金額を入れ込み、更に最近はギャンブルにまで手を出し、かなり負けがこんでいるようです。フェリーニ家の財産をすべて処分しても賄えないでしょう」


 それは、概ねエレーナの想像した通りの内容だった。失なった金を取り戻そうと、益々深みに嵌まっていく。やがて非合法な金融を頼り、借金のかたに違法な要求をされる。お決まりのパターンだ。ただ最後が想像と違っていた。しかし、それはシャルロッタにとって敗ける事より過酷な選択だった。


「彼は明日のレースで、シャルロッタの優勝に大金を賭けています」


 明日のレースは、エレーナかバレンティーナのどちらかの優勝というのが大方の予想だ。シャルロッタに勝てる実力があっても、チーム対抗の色合いが強いこのクラスでは、彼女が優勝するには、エレーナがリタイヤするか、入賞が不可能になった場合に限られる。相当な倍率の配当が想像出来る。


「だが、賭け金はどうやって工面したんだ?誰かが貸さなくては賭け金もないだろう。それなりの金額を賭けなければ意味がないからな。たとえシャルロッタがチームオーダーを無視するにしても、私の優勝を阻止するだけならともかく、優勝まで狙うとなると容易く出来るものではない。回収の可能性のない人間に、わざわざ大金を貸す奴の目的は何だ?」


「さすがエレーナさんですね。彼はフェリーニMCの商標を売却したのです。その売却相手はイタリア最大の企業トエニグループでした。他の件で捜っていたエージェントが、偶然見つけました」


 トエニグループは、ブルーストライプスのマシン、ジュリエッタ社の親会社でもある。フェリーニMCは事実上消滅しているが、商標はフェリーニ家が持っていた。エレーナの頭の中で、パズルのピースが填まっていく。



 最近のジュリエッタの売れ行きの頭打ちから、トエニグループは名門ブランドの復活を画策していると噂されていた。導き出される答えは、奴らが今シーズンのバレンティーナのタイトルと、名門フェリーニMCのブランド両方を手に入れようとしている。要するに、シャルロッタの兄は始めから嵌められていたのだ。



「それで馬鹿兄は、シャルロッタに、優勝すれば大金が入り、フェリーニMCの商標を買い戻せるとでも言ったのか?」


「その通りです。そしてフェリーニのレース活動を再開し、シャルロッタのチームを創ると約束したようです。シャルロッタにとっては、そんな夢物語より、フェリーニMCがトエニグループに渡るのが耐えられないのでしょうが」


 シャルロッタの気持ちを考えれば、彼女を責める事はエレーナに出来なかった。かといって、シャルロッタの裏切りを見過ごす訳にはいかない。それは自分のタイトルのためでもチームのためでもない。チームオーダーを無視したライダーは、どのチームも受け入れないという不文律の取り決めがある。


 仮にフェリーニのチームを復活させたとしても、到底まともなチームが出来るはずもない。彼女の才能をそんな馬鹿兄のチームで潰す訳にはいかない。

 そもそも最初からそれが目的のトエニグループが、一度手に入れたフェリーニブランドを簡単に手離す訳がないだろう。


「レース終了後、彼の身柄の確保する準備は整っています」


「いくらKGB《カーゲーベー》でも、この国で外国人の逮捕権はないはずだ」


「逮捕などしません。シャルロッタさんにとっては、どんなに馬鹿でも一応血の繋がった兄です。自殺などされては、彼女に救いがないでしょう?」


「彼女は敗けると?」


「エレーナさんは敗けるつもりですか?」


「ひとつ訊きたい?」


「なんですか?」


「何故私に教えた?」


 スベトラーナは少し沈黙して、静かに答えた。


「祖国のためです」


 大真面目に答えるスベトラーナを見て、その言葉の本当の意味を、エレーナは初めて理解した気がした。否、わかっていても認めたくなかっただけかも知れない。


 エレーナは、スベトラーナに向けて20年ぶりの笑顔を見せた。




 シャルロッタは涙を気づかれまいと愛華に背を向けたまま、立場にそぐわない頼み事をした。


「あたし、夢中になると前しか見えなくなるから、もしあたしが一人で勝手に飛び出したら、あんたが絶対にエレーナ様をあたしの前まで連れて来てよね」


「……」


 愛華は何も言えなかった。沈黙の抗議に、シャルロッタの感情はついに抑えきれなくなった。


「約束して!あたしが暴走したら、あんたがエレーナ様をお護りしてあたしを抜くと。そしてエレーナ様を必ず優勝させると約束しなさいっ!」


 シャルロッタにはわかっていた。愛華一人では、バレンティーナたちの包囲を突破出来ないと。そうなるとスターシアも、セーブした走りではいられない。スタートで多くの燃料を消費したスターシアのマシンは、終盤まで持たなくなる。エレーナを最後まで守れるのは、愛華だけだ。


(不思議ね。エレーナ様を裏切ってまで優勝しようとしてるのに、この子に敗けることを望んでいる)


 シャルロッタは声に出さず、自分に語りかけた。


 愛華にも、シャルロッタの胸の内が伝わっていた。それでもそんなのは信じたくない。まるでシャルロッタさんがいなくなるみたいじゃない?きっとわたしをからかっているんだ。わたしは信じない。


「嫌ですっ!そんな約束出来ません。みんなで力を合わせて、エレーナさんをチャンピオンにしたいです!」


 今度は愛華が大きな声で抗議した。シャルロッタは振り向いた。そのブルネットの瞳からこぼれる滴が、冗談でも嘘でもない事を表していた。



「アイカ……、エレーナ様のこと、頼むわよ」



 それだけを言ってベッドに潜り込んだ。

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