第31話シャルロッタの勘違いと愛華の暴走
「えっ!なに、あの進入?あんな真似できるはずないよ」
目の前を、シャルロッタがフルブレーキングからリアタイヤを浮かせたまま、インに切れ込んで行く。跳びはね暴れるリアタイヤなどお構いなしに、フロントタイヤ一本に減速と旋回のGを預け、クリップポイントへスッと寄せていく。
愛華も過去に何度かブレーキングが遅れたり、競り合いの中で、リアタイヤをホイッピングさせたままコーナーに入らざる得ない事態に陥った事はある。しかし、それはもうマシンが自分のコントロール下を離れ、神様に祈るしかない心地だった。
必死に転倒とコースアウトを逃れようとバイクを起こし、減速を続けながらリアの収束を待つしかない。あの状態で自在にラインをコントロールするなんて信じられない。
はじめからシャルロッタが自分なんかより全然格上のライダーなのは自覚していた愛華だった。それどころか、彼女の走りを真似しようと、写真やビデオを何度も観て研究した事もある。彼女に見下されている悔しさより、生でその走りが観れる事の方が嬉しかった。
そう、嬉しかったはずなのに、リアルにその走りを
勝てるとは、夢にも思っていなかったが、愛華はストロベリーナイツに加わってから大きく成長したと自分では思っている。何度もバレンティーナやラリーニと競い合ったし、前のレースではエレーナやスターシアにもついていけた。
シャルロッタから「意外と走れるじゃない」ぐらいは言わせてみせたかったのに、目の前を走る彼女は、まったく次元の違う走りをしている。自分が必死についていっているのを、嘲笑うかのようにトリッキーな走りをしてみせたりしている。全然本気になっていないのは明白だ。
(そう言えば、ラグナセカでバレンティーナさんたちが本気になったときも、わたし全然ついていけなかったんだよね。これが世界の走り?うわ〜ぁ、どうしよう。やっぱり自分なんてぜんぜんじゃん。自惚れてた自分が恥ずかしいよ〜ぉ)
─────
フリー走行前、シャルロッタは愛華に後ろについて来るように言った。単純に自分の走りを愛華に見せて、「すごい」と言わせたいだけの幼稚な動機からだ。バレンティーナのような計算高さは、シャルロッタにはない。
シャルロッタはコースインすると慣らし走行もそこそこに、すぐにペースを上げ始めた。元々念入りなウォームアップなどしてられない性格だったが、愛華に差を見せつけてやろうと、いつも以上に早くからペースを上げていった。そして早くも5周目あたりにはかなりのハイペースになっており、愛華が遅れ始めたら一気に引き離して魔力の違いを思い知らせてやろうと勇んでとばした。
10周目には、コースに合わせたセッティングもろくにされてないマシンでは、かなり厳しいペースに達していた。それは愛華も同じ条件だ。そろそろ遅れ始めたろうと後ろを振り返って焦った。まだピタリと背後にいる。しかもこちらの動きを観察するように自分の走りを窺っている。
後ろに気を取られている内にダウンヒルストレートを駆け下り、90度コーナーが迫っていた。あっという間にブレーキングポイントを行き過ぎる。下りからフラットに変わるコーナーが壁のように迫って来ていた。慌ててフルブレーキングをする。フロントフォークが急激に沈み、リアタイヤが浮き上がる。そのままなんとかインを塞いでクリップに寄せた。愛華は後ろについたままだが、冷静に観察されているのを感じる。今のミスはカッコ悪かった。レースだったらパスされてた場面だ。愛華の底知れないポテンシャルに背筋が冷たくなった。
(スターシアおねえさまの話、嘘じゃなかったんだ。あんた何者?本当に氷の魔女の眷属なの?)
シャルロッタは、少しペースを落とし、ラインを譲った。そして愛華に先行するように促す。
「こそこそ後ろに隠れてないで、あんたの走りも見せなさいよ」
先ほどのミスは、わざと隙を見せて、愛華の反応を試したということで誤魔化し、強がった。
二人とも気づいていなかったが、既に昨年の予選通過タイムを上回るペースに達していた。さすがのシャルロッタも、昨年のデータで大雑把に合わせただけのセッティングで、いきなりこれ以上攻めるのは危険だと感じた。
⇒愛華を先行させ、もしミスをすれば、すかさずパスする。
⇒これ以上走るのは、未熟な愛華には危険と判断。
⇒あたしはもっと走り込みたかったけど、チームメイトの安全性を考え、ひとまずピットイン。
⇒愛華にアドバンスのひとつもくれながら、無理しないようにたしなめる。
シャルロッタの頭の中で、あくまで自分が優勢だという構図が描かれる。ろくにウォーミングアップもしないで危険なペースまで持っていった時点ですでにアウトなのだが、シャルロッタにしてはよく考えたシナリオだ。
何も疑いを持たず、愛華が前に出た。
──────
エレーナは、数周かけてコースの再確認と慣らし走行を終え、マシンの細部のチェックするためにピットに入った。
そこへチーフメカニックのニコライが慌てて駆け寄ってきた。
「エレーナさん、あの二人がとんでもないことになってます!」
レーシングバイクの爆音とヘルメットの中の耳栓でよく聞き取れなかったが、ニコライの表情でシャルロッタがまたバカな事をしたとピンときた。ニコライにピットでの会話用インカムを使うように促す。
「二人とも一度もピットに戻らず、全力疾走しています。今の周も昨年のファステストラップ(レース中の最速タイム)に迫るタイムを刻んでいます」
「バカが!何やっている!すぐピットに戻せ」
エレーナがエキゾーストに負けない大声で怒鳴った。
「勿論、指示はずっと出してます。しかし二人とも無視して……、と言うか、サインボードに気づいてません」
二人が揃ってコースに出ていった時から不安はあった。しかし、シャルロッタはともかく、愛華が自制すると思っていた。昨日の様子から、大きなトラブルはなさそうだとも思っていた。それより、とかく優等生すぎる愛華に、シャルロッタが何らかの刺激を与えてくれる事を期待していた。
「アイカまでサインボードを見落とすほど熱くなっているのか?シャルロッタのバカ、殺してやる」
「それが……、今シャルロッタを引っ張って いるのは、アイカの方なんです」
「ニェート!」
愛華にシャルロッタを混ぜる事による化学反応は、エレーナの想像を越えていたらしい。おそらく愛華は今、限界ぎりぎりの走りをしているはずだ。シャルロッタのマシンにしても、新しいコンピューター制御システムに組み換えたばかりのプロトタイプである。テストは繰り返しクリアしていても、テストコースとは気象条件も違えば高低差などコース特有の条件も違う。本来、通常以上に念入りな完熟走行をしなければならないところだ。
(二人ともセッティングは勿論、マシンの再チェックもしていない。すぐに止めさせないと危険だ)
「すぐ再スタートする。直接私が行って連れ戻して来る」
エレーナがヘルメットの顎ストラップを再び嵌めようとしたところで、少し遅れてピットに戻ったスターシアが止めた。
「私が行きます。エレーナさんは、レースに向けてセッティングに集中してください」
アシストが二人欠ける危険に瀕している。今は集中出来る状況でなかったが、スターシアの言う通り、エレーナにとってこのレースは絶対負けられないレースだ。フリー走行の時間は一秒も無駄にできない。
「くだらない仕事をさせてすまない、スターシア。それからニコライ、あいつらが戻っても、二人とも絶対に再びコースに出すな。増強どころか、スターシアと二人だけでレースを戦う事になるのは、さすがに厳しいからな」
昨日、一安心したのも束の間、やはりシャルロッタは問題を惹き起こしてくれた。しかもアイカまで汚染するとは、只のバカではない。最悪のバカだ。
エレーナはピットロードの向こうの本コースを見つめて毒づいた。
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