第32話愛華の秘密
ピットに戻った愛華とシャルロッタは、スターシアからエレーナがカンカンに怒っていた事を告げられた。
シャルロッタにとってはいつもの事であるが、愛華のショックは大きい。スターシアの話では愛華に対しても、軽率さに失望していたそうだ。愛華はエレーナを失望させた事を悔やんだ。
シャルロッタに認めてもらおうと無我夢中で走っていた。いや、最初はシャルロッタにのせられたのかも知れないが、途中から愛華自身も楽しんでいた。シャルロッタのプレッシャーは凄い。しかしそれはエレーナの狙いすました一瞬の恐怖とはちがう。まるでアクションゲームで、乱れ撃って来る相手から必死で逃げ回るようなスリルだった。どこで仕掛けて来るか予測出来ず、ひたすら逃げ回るしか出来ない。それでいて夢中になるほど楽しい。
それがどれ程危険な行為なのか、気づくことすら出来ないほど興奮していた。
初日の最初の走行から、マシンの再チェックもせずに、まるで初めてサーキット走行を体験する素人のような無謀さだ。多くのライダーがまだスローペースで慣らしをしていた。もしマシンに不具合があれば、自分たちだけの問題で済まない。
しかも、最悪なのはピットサインまでも見落としていた事だ。もう素人以下だ。
エレーナは、愛華たちに目もくれず、何度もピットインを繰り返し、セッティングに集中している。
ニコライからこのフリープラティスクが終わるまで、ピットで待つように言われた。彼はそれだけを告げると、忙しく自分の仕事に戻っていった。
二人とも言われなくても、もう一度コースに出る気力はなかった。エレーナの怒りに脅えていたからだけでなく、ペース配分もなく最初から限界ぎりぎりの走りをして、すでに精神的にも肉体的にも、力を使い果たした。ピットの片隅につなぎを着たまま揃って座り込んでいた。
最悪な気分。みんなが決勝のフィニッシュの瞬間に向けて動いている。
『もうレースは始まっている』
初めてGPのパドックに来た時、エレーナから言われた言葉を思い出した。なのに自分はやるべきことを忘れ、ただ目の前の楽しさに夢中になっていた。一生懸命仕事しているみんなの足を引っ張っている。無意味なだけじゃなく、他のライダーまで危険に晒して、スターシアさんの大切な走行時間まで使わせた。
「エレーナさんも失望するよね……」
「巻き込んじゃって、ゴメン……」
愛華と並んで座り込んでいたシャルロッタが、唐突につぶやいた。
「えっ?あっ、そんな、シャルロッタさんが悪いわけじゃなくて、わたしが実力もないのに無理してシャルロッタさんに合わせようとしたのが悪いので、むしろ巻き込んだのはわたしの方です。後ろからシャルロッタさんが見てるって思うと、もうピットサインも見忘れるくらい必死になっちゃって……エレーナさんに怒られますよね、やっぱり。本当にすみません」
逆に謝られてシャルロッタは戸惑ってしまった。これまで謝らせられる事はあっても、相手の方から謝られた事はない。大抵はシャルロッタが悪いのだから仕方ない。むしろよく許してもらえてきたと言える。
そもそも自分の方からエレーナとスターシア以外の人間に謝るなんて、あり得なかった。なにかがシャルロッタの調子を狂わせていた。
愛華を先行させてから、少しでも隙を見せればすぐ抜き返すつもりでいた。エレーナ様とスターシアお姉様があれほど買っていることで、それなりに実力があるのは予想していた。一緒に走ってみてすぐそれが誤りでないことは感じた。それでも自分の相手になるとは思えない。
予想が少し違ったのは、そのライディングスタイルだ。
控えめな話ぶりや、お人好しそうな雰囲気から、ライディングスタイルも、バイクの性能を無理なく引き出す、無駄のないスターシアのようなタイプだと勝手に決めつけていた。一般的には弱点がなく、抜くのが難しいタイプと言われるが、スターシアほどのレベルになれば別格として、中途半端なスムーズな走りなど、その対極にある彼女にすればおいしいカモだ。教科書通りのライディングなので読みやすく、安定しているだけに逆に安心して接近出来る。
どこでパスしようかと愛華の走りを観察した。出来るだけ精神的ダメージが大きいポイントがいい。
目の前で、アウトからブレーキングで溜めを作って、一気に向きを変えようとする愛華を煽る。基本通りのコーナーリング。しかしその倒し込みの速さは尋常でない。インに切れ込むスピードも、並びかけた鼻先を掠められ、思わずブレーキレバーに添えた指先に力が入ってしまった。
そしてワイドにフルオープンする立ち上がり加速にも迷いがない。ラフさも目立つが、卓越した反射神経とバランス感覚で、サスペンションの動きに合わせ全身で絶妙にトラクションを稼いでいく。
教科書に載っている基本テクニック以上のものは見られないものの、その本性はエレーナに通じる超攻撃的なタイプだとシャルロッタは直感した。小さなミスもあるが躊躇せず、優れた身体能力で然程のタイムロスもなく瞬時にリカバリーしてしまう。なかなか抜くチャンスがない。
「騙したわね!チビでふわふわのくせしてそんな走りするなんて卑怯よ。どうしてアンタがそんなチート走りしてるのよ!」
負けているとはこれっぽっちも思っていなかったし、チート度ではシャルロッタの方が断然上回っているのだが、あまりに意外なイメージとの差に主導権を奪われてしまった。
そして今、隣でエレーナ様に怒られるのを気にして落ち込む少女が、とても同じ人物とは思えない。それでもこの少女が、不覚にも自分にブレーキレバーを握らせたのは事実だった。しかしシャルロッタにはその事実を素直に認めることがどうしても出来なかった。
これまで、競り合いの中で思わずブレーキレバーを握らせたのは、女王エレーナしかいなかったのだ。
「まあ……そうね、あんたがあたしの足手まといにならない程度には走れるのはわかったわ。でもいい気にならないでよ。フリー走行では速く走れても、レースではまだまだ甘いわ。あたしが90度コーナーでわざと隙を作ってあげたのに、ぼけーっと見てるようじゃ、レースじゃ使えないわ」
シャルロッタはあくまでもミスしたのではないと強調した。愛華は初めからミスと思っていなかったので薮蛇なのだが、好意的に受け取ってくれた。
「すいません。あの時は抜くなんて忘れて、シャルロッタさんのテクニックに見とれてしまいました」
愛華の謙虚な姿勢に、瞬間的にシャルロッタは気をよくした。
「まあ、あたしのテクニックを
『〜だけなんだから、勘違いしないでよね』というのは、ツンデレの基本台詞である。否定しながらも本音が見えてしまうちょっと残念なところに、萌えを感じるファンも多い。
「抑えたなんて、ぜんぜん思ってませんですから。シャルロッタさんに後ろからチェックされてると思うとドキドキでした。あの……やっぱり危なっかしかったでしたか?」
ここまで馬鹿正直に応じられると、逆に不安になる。
(この子、ネコかぶってるの?)
「……?」
シャルロッタの怪訝な表情に愛華も首を傾げて覗き込む。その小動物のような無垢な仕草に、陰謀策略の色は微塵も感じさせない。だとするなら……
シャルロッタの頭にひとつのパターンが思い浮かぶ。
⇒明るく純真で、みんなに愛される少女(愛華)。
⇒敵意を燃やす意地悪女(シャルロッタ)から、執拗に絡まれる。
⇒追い詰められた少女が、絶体絶命のピンチに陥り、無意識に反撃した術こそ、伝説の必殺技であった。
⇒意地悪女は呆気なく倒され、主人公は選ばれし美少女戦士であることを告げられる。
シャルロッタの思考は、スターシア以上に完全アニメ脳化していた。しかもそのパターンでは、自分が主人公が覚醒するきっかけを作るショボい悪役キャラになってしまう。大抵初回で倒され、以後登場の機会もないのが定番だ。
「そんなのダメよ!この物語の主人公はこのシャルロッタ様よ。だいたい美少女戦士とか、スターシアお姉様のジャンルじゃない。あたしの設定はチェンタウロ(ケンタウルス)族の最期のプリンセスなんだから!」
「設定があるんですか?」
シャルロッタの独り言に愛華がつっこんだ。
「設定言うな!本当のあたしは、チェンタウロ族のプリンセスだったの!魔性の女バレンティーナの卑劣な裏切りにより一族は滅ぼされ、あたしは半身を奪われたわ。でも氷の女王から失った半身の代わりとなる馬を授かり、王家の再興を果たすのよ」
先に設定と言ったのはシャルロッタである。それにしてもチェンタウロ族とか、王家の再興とか、如何にもなベタな設定である。しかしシャルロッタには、あながち中二病を拗らせたと笑えない背景があることを、愛華は後に知る事になるのでこの設定は覚えておいて欲しい。
「そっか!わかったわ。あんたは、バレンティーナを倒す鍵を握る異世界の少女ね。普段はあまり役に立たないけど、バレンティーナを倒すためにどこかで必要になる魔法か何かを持っているんでしょ?スターシアお姉様の話とも辻褄が合うわ。何持っているの?教えなさい」
妄想世界の鍵など、愛華には到底理解出来る範疇になかった。
「……えっと、それは……その」
「いいわ、言わないで。まだ言えないのでしょ。そうね、今知ったら面白くなくなるものね。なんだろう?って期待しながら待つのも楽しみの一つだわ」
シャルロッタは一人で納得してくれた。
「なかなか面白そうな設定じゃないか」
「だから設定言うなっ!わっ、エレーナ様!」
いつの間にか午前のフリー走行時間が終了しており、エレーナが傍に立っていた。
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