第18話ラグナセカの亡霊
ニ戦続けてストロベリーナイツの表彰台独占を許したバレンティーナは、大量リードをしていたはずのエレーナとの差を一気に詰められ、チームに対策を迫った。サマーブレーク前のサンマリノで、シャルロッタが優勝したのを含めれば三連敗になる。
シャルロッタの長期欠場により、シーズン半ばにしてタイトルをほぼ手中に収めたと思っていたのに、まったく無名だった新人が加わり、当にピークを過ぎてるエレーナをエースにしたストロベリーナイツに猛追されているのだ。バレンティーナだけでなくジュリエッタ本社も、チームに屈辱的な連敗を止め、再びスミホーイを突き離すよう求めていた。
ジュリエッタが主力とする市販車は、GPマシンのレプリカであり、他のバイクもレースイメージを強く打ち出している。レースでの惨敗は、ブランドイメージを傷つけ売り上げに直接響くおそれがあった。
ブルーストライプスのチーム監督アレクセイ・ジーロフは、新型のRS80の投入を決めた。まだ最終的なテストは終わっていないが、従来型から基本設計自体はあまり変わっておらず、主に足回りの改善とエンジンの高出力化が計られている。
エンジンパワーについては、元々スミホーイに対してアドバンテージがあったが、立ち上がりでチャターが出やすかった足回りを見直し、更なるパワーアップが可能となった。
限られたテストしか終わっていないマシンの実戦投入は賭けではあるが、従来型からの補強的改良ゆえに大きなトラブルは少ないと判断した。
ポイント上ではまだバレンティーナ優位ではあるが、ストロベリーナイツには勢いがある。 かつて指揮したエレーナの強さはよく知っている。
彼女は最後まで諦めない。根性だけではなく、何をすべきか知っている。そしてやり遂げる。
余裕のある今のうちに手を打たねば、バレンティーナは喰われるだろう。
アイカ・カワイの登場は予想外だった。どうやって見つけてきたのか、彼女の加入により明らかにチームの空気が変わった。
初めはそれほどのライダーとは思わなかったが、チームに与えた影響は大きいようだ。彼女のお陰でバレンティーナのリズムも狂わされた。
身体が小さく、スタートやストレートで有利なのは確かだ。際立った速さはないが、コーナーでも軽さを上手く使っている。彼女の立ち上がりからストレートにかけての伸びは侮れない。
パワーアップした新型を投入すれば、彼女の加速に対抗出来るだろう。
あとは、如何にエレーナとアナスタシアが優れたライダーであっても、数で
優秀な指揮官とは、劣勢を覆す者ではない。勝つ為の条件を積み重ね、優位な状況を構築出来る者である。戦いの基本だ。エレーナなら知っているだろう。
最終的に勝敗を決めるのは、運や奇跡ではなく、必然である事を。
第11戦USGP ラグナセカ マツダレースウェイ
ラグナセカのコースはシリーズ中、最も平均速度の低いテクニカルコースだ。ストレートは短く、しかも真っ直ぐでなく少しベンドしている。名物のコークスクリューでは、フロントを浮かしての切り返すシーンが観れたり、最終の極低速コーナーが勝負処だったりする特異なコースである。ドイツのザクセンリンク同様、大排気量バイクではかなり窮屈なコースであるが、逆にMotoミニモにとっては見所の多い面白いコースと言えた。
90年代、カルフォニア州の厳しい排気ガス規制の施行によって、2サイクルエンジン車によるレースまで禁止され、一時期、世界GPから外されていた。
今世紀初めに、日本のメーカーがインジェクション化に依る燃焼効率の向上と環境汚染物質の少ないクリーンな潤滑油の開発などにより、初めて2サイクルでカルフォルニア州の規制をクリアした。
2サイクルエンジンであっても、最新の小排気量バイクの方が大型バイクより環境への影響が少ないという事実が証明された。
その後の世界的な原油価格の高騰とアメリカにおける公共交通機関の利便性の悪さ、都市部の交通渋滞などから、気軽に動ける小型バイクが見直されるようになり、主にヨーロッパや日本のメーカーの働きかけによって、5年前から世界GPに復帰していた。
スリルとスピードを好む国民性と趣味にある程度お金を掛けられる中間層の多いアメリカ市場は、低価格な小型バイク市場を中国や台湾、韓国製に圧されていたヨーロッパや日本のメーカーにとって、ブランドと高い技術力をプレミアムとして売り込める魅力的な市場だった。
愛華はフリー走行を終え、コースの攻略法をノートに書き留めていた。
フィーリングやライン、ポイントなどをバイクに搭載されたデータロガーの記録とつき合わせて、コースと自分の走りを分析する。
「アイカちゃん、なにかわからないことない?」
スターシアが、鉛筆をくわえてノートと睨めっこをていた愛華に話しかけてきた。
「いえ……、さっき教えてもらったので、今は大丈夫です」
「そう? 遠慮しないで、なんでも訊いてね」
「ありがとうございます……」
遠慮はしていない。先ほどから、1〜2分おきに同じことを訊かれれば、問うべき事もなくなる。
チェコのレース終了後、愛華は前日に言った「エレーナさんもスターシアさんも嫌い」発言を取り消し、本当は二人とも大好きだと伝えた。それ以来、ずっとスターシアは甘デレモードになってしまった。
自分から大好きだと言った手前、あまり邪険に出来ないが、少々うざくなっている。好意でアドバイスしてくれようとしているのはわかるのだが、まずは自分でじっくり考えたい。
「アイカちゃん」
「なんですかか?」
「えへへ……、呼んでみただけ」
「……」
「だってアイカちゃん、ぜんぜん頼ってくれないんだから……もっと甘えていいのよ。甘えたいでしょ?甘えて欲しいなぁ」
甘えたいのはスターシアの方である。突っ込みたいのを、いろいろ面倒そうなので我慢する。
二人のやり取りを黙って見ていたエレーナが、とうとう堪らず口を挟んだ。
「いい加減にしろ、スターシア。アイカが迷惑しているだろ!」
「……」
うざいとは感じていても、迷惑だと突き放すことも出来ない優しい愛華であった。しかし無言なのが何よりも肯定を意味していた。
「アイカちゃん……私、迷惑だった?ごめんね。私、いない方がいいよね。アイカちゃん……頑張ってね。私のことなら大丈夫、気にしないで……。いつも見守っているから……」
うざかった。もうヤンデレである。
愛華がチラリと横目で見ると、スターシアは美しく澄んでいた瞳を曇らせ、愛華に背を向けた。背中が震えている。
「あっ、いえ……迷惑だなんてそんな……。そうだ!コークスクリューの進入が難しくって、どこから入って行けばいいのか悩んでたところなんです。アドバイスください!」
優しさは、時に罪である。
コークスクリューとは、ラグナセカ最大の難所で、長い上りを登りきった頂点にあるS字状のコーナーの事だ。最初の左コーナーを曲りながら、上りから先の見えない急な下りへと斜面変化するため、目隠しして崖から飛び降りるような感覚だ。
スターシアは振り返ると、パッと明るい顔で愛華に肩を寄せた。愛華の身体を抱くようにノートに手を添え、説明を始めた。
「いい?ここのアウトいっぱい、そう、この辺りから、尾根向こうに立ち木の先端が見えるから、それを目印に飛び込んで行くの。でも下りに入る前に次のコーナーに備えて、バイクは起こしておかなくちゃダメよ」
「ちょっと待て!それはスターシアの視点だろ?ライディングポジションの低いアイカの目線から枝の先は見えにくいはずだ」
再びエレーナが口を挟む。
二人して愛華のノートに図を描いて言い争いを始めた。愛華は一人でコークスクリューの進入場面を思い出していた。
「確かに、わたしには空しか見えなかったかな……」
愛華のつぶやきに、エレーナがすかさず応える。
「そうだろ?いいか、アイカ。あそこはイン側のゼブラからだいたい5フィートの路面を目指せ。ちょうどこの辺りだ。スターシアの言葉を真に受けたらとんでもないぞ」
「ニェート!あそこは上体を起こして、目線を高くして入る方が走りやすいんです。アイカちゃんでも上体を起こせば立ち木が見えるはずです。身体を起こしていた方が、斜面変化にも柔軟に対応出来るし、切り返しも素早く出来ます。空気抵抗も急な下りだから問題にはならないので、無理に窮屈な姿勢を保つ必要はありません」
スターシアも自分のライディングに自信を持って反論する。
「確かにスターシアの言う事は理に合っている。だが、ポイントさえ見失わなければ敢えてスタイルを変更するまでもない。切り返しも馴れない乗り方より、身体が覚えているフォームの方が対応が早い。アイカのライディングスタイルは、スターシアより私に近い。私の意見を参考にする方が走りやすいと思うのだが、どうだ、アイカ?」
どうだ?と問われても困ってしまう。どちらもなるほどと思ってしまった。
「えっ、と、午後からの走行でどちらも試してみます。お二人のいい部分を採り入れた、わたしなりの走りが出来たらいいかな……と思います。すみません、生意気でした」
「謝る必要はない。スターシアの意見は参考にならんと思うが、その貪欲な姿勢や良し。私のようになりたいなら、私の真似だけすれば良いというわけにはいかんからな」
「そうやって、本当によいものを自分で見極めていってください。エレーナさんの悪い部分まで真似ることはありません。やっぱり頼れるのはスターシアさんだって気づけば、それでいいんですから」
二人は愛華を挟んで睨み合った。
いつもの光景である。愛華はとりあえずほっとくことにして、参考にすべき意見だけをノートに書き留め、放置しておいた。
愛華にシカトされた形のエレーナとスターシアは、愛華に気づかれないようコソコソとアイコンタクトをし始めた。
“なんかアイカに無視されてないか?”
“前はオロオロしてちょっと可愛かったのに……慣れてしまったのでしょうか?”
“毎度ワンパターンの展開だからな”
“でもつき合うのがチームワークと言うものです。最近のアイカちゃん、一人だけ大人ぶってません?”
“ちょっと可愛いからって調子づいてるな。ちょっと可愛がってやるか?”
“エレーナさん、めちゃ悪そうです。いじわる魔女キャラですね”
“誰がいじわる魔女だ!?”
“エレーナさんもちょっと可愛いですよ”
レース中にも行うアイコンタクトだけで意思を伝え合う。無線通話が解禁される以前は、アイコンタクトだけで意志疎通をしていた(らしい)。
アイコンタクトだけでここまで複雑な会話が出来るとは、さすがエレーナとスターシアである。否、それはさすがに不可能だ。真相は簡単なロシア語しか聴き取れない愛華が解らないよう隠語を多用した早口で、且つ小声で話していただけである。
それはさて置き、二人は愛華の気を引くため一時休戦する事にした。
「ところでアイカ、走っている時から気になったのだが、身体とか怠くないか?」
「えっ、別になんともないですよ。どうしてですか?」
「私も気になりました。アイカちゃんが走っている時、路面に映る影が後ろにもう一台走っているのが見える時があるんです。誰もいないはずなのに……」
愛華の背中を冷たい汗が滲む。ふざけてるとわかっていてもそのネタは嫌だ。
「やめてください!」
やはり二人のことを大嫌いになった。
「でも、もしわたしが死んだら、エレーナさんとスターシアさんにとり憑いて、ずっと傍に居てやりますから!死ぬまで二人と一緒に走ってやりますから!その時は、お二人こそ、影によく気をつけてください!他のライダーとか、絶対に近づけたりさせませんから!」
「アイカ、怖い……。幽霊になる気満々だぞ」
「アイカちゃん、死んでも死ぬまで走る気です。よくわかりませんが、ゾンビです。ゾンビライダーこわいです。生きてるアイカちゃんと一緒に走りたいです。死なないでください」
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