第20話神様と女神
決勝日、ラグナセカの空には朝から雲ひとつない快晴で、太陽が昇るとすぐに気温をぐんぐんと上昇させていた。
今年のレーススケジュールは午前中はAMA(米国国内選手権)の市販車による各クラス決勝が最初に行われ、その後Moto3、Moto2と続き、Motoミニモは午後からのスタートである。
最初の決勝レースAMAスーパーストックレースが終わる頃には、暑さにも関わらず、客席も年に一度しか観られないGPレースに心踊らせる地元ファンでほぼ埋め尽くされていた。その多くは最大クラスのMotoGPが目当てであったが、小排気量クラス目当てのファンも、最近は少なくない。
昼の休憩を挟んで、いよいよMotoミニモのマシンがグリッドに登場した。
テレビカメラを担いだTVクルーがグリッドを順にまわり、ライダーを一人ひとり紹介していく。
高額なパスを買った熱心なファンに混じって、映画俳優やアメリカプロスポーツ界のスター選手などの顔も見られる。大きなバイクが主流だったアメリカでも、Motoミニモの人気は高まりつつある証拠だ。
朝のフリープラティスクでも、ブルーストライプスの5台が上位を独占しており、今回のバレンティーナは磐石の体制と思われた。
フロントローに並べられたジュリエッタを多くのカメラマンやリポーターが取り囲んでいたが、昨日の予選から僅かにカウルの形状が変更されているのを気にする者はいない。
そのことに最初に気づいたのは、意外にも一般のファンだった。
彼はレース好きの友人と最前列から順にグリッドを観て廻っていた。二列目を終えて、三列目に差し掛かった辺りで友人に話しかけた。
「ブルーストライプスのジュリエッタ、昨日とカウル形状違っていたよな」
「そうだった?昨日はあまりよく見れなかったからな。よくわかるな」
「細かい部分まですべてチェックしているんだ。後でデジカメの写真で比べて見せてやるよ。アンダーカウルの前部が拡げられていた。それにスリットも大きくなっていたぞ。巧く仕上げていたが、あれは急遽変更したって感じだな。おそらくニューマシンに問題があったんだ。素人の目は誤魔化せても、俺の目は誤魔化せん」
熱心ではあるが、素人の戯れ言である。どこにでもよくいる自称事情通だ。しかし、エレーナのバイクを最終チェックしていたニコライは、そのファンの戯れ言を耳にして、ハッとした。
朝のフリー走行の時も、ジュリエッタの快走を苦々しく見ていた。憎らしいほどいい音を響かせ、ピット前を走り抜けていた。
しかし、何か違和感を感じた。昨日とちがう。職人であるニコライは理屈より、感覚的に何かを感じていた。そして素人ファンのカルト的観察力に、感じていた違和感の正体に気づかされた。
ニコライはエレーナのマシンチェックの残りを、もう一人のメカニックにすべて任せ、グリッド最前列に駆け出した。
愛華は見上げるほどの大きな男にカメラを向けられていた。大きな手に収まった日本製デジタル一眼レフカメラが、まるでミニチュアのおもちゃのように見える。その手は数限りないほど多く、
彼こそ、バスケットボールの神様と呼ばれた男である。その彼を凄まじい数の本物のカメラマンが取り囲む。
彼はバスケットボール引退後、国内レースではあるが自分のチームを作るほどのオートバイレース好きで知られている。
元NBAのスーパースターとGPで一番小さなライダーのツーショット。なかなか面白い構図なのだろう。最近はカメラを向けられる事に慣れてきた愛華であったが、カメラマンの数に戸惑う。愛華も自分のカメラを持っていたら、神様とのツーショット写真を撮ってもらいたいところだ。
中学の頃、バスケ部のクラスメイトが、懸賞か何かで手に入れたバスケの神様のサイン入りカードを宝物のように大切にしていたことを思い出しす。
(あのコが知ったらなんて言うかなぁ?しかも向こうからわたしの写真撮ってきたんだよ。もしかして、神様のくせにわたしに惚れちゃってたりして。えへへ)
仲はよかったけど、よく「チビ」とからかわれていた。愛華も「ノッポ」と呼んで対向した。愛華が体操競技に打ち込んでいた頃だ。もちろんお互い本気でバカにしていたのではない。むしろ親しみを込めて呼びあっていた。
普通の女の子なら、コンプレックスに感じるであろう互いの身体的特徴を、二人とも神様からもらった才能だと思っていた。
怪我をして夢を断念せざる負えなかった愛華を、一番心配してくれたのも彼女だ。
(テレビ観てるかな?観てくれてたらいいなぁ)
「アイカちゃん!エレーナさんからの伝言だ」
愛華がレース前の緊張とは程遠い世界にトリップしていたところへ、ニコライが慌てて駆けつけてきた。その慌てた様子に気づいたバスケの神様は、真剣勝負の世界を知っている者として、邪魔しないように気を使い、すぐにその場を離れた。貴重なツーショットを撮り足りないカメラマンたちは残念そうな顔をする。愛華もちょっと残念だったが、チーフメカニックの必死の様子に頭を切り替える。
「どうしたんですか?慌てて」
「スターシアさんにも伝えなくちゃならないから手短に言うよ。いいかい、得意のスタートに集中してホールショット(スタートから最初のコーナーにトップで進入する事)を奪って欲しい。ホールショットが無理だったとしても、後ろを気にせず、とにかく早い段階でトップに出てくれ。エレーナさんたちに合わせる必要はない。一人で行くんだ」
「ええっ!そんなことやれ、って言われて簡単にできるものじゃぁ……」
「大丈夫、『アイカならできる!』ってエレーナさんからの太鼓判だ。これはべつに励ましの言葉なんかじゃない。時間がないから説明はあとだけど、ジュリエッタの抱える弱点が判ったんだ。とにかく後ろを気にせず、全力でトップをめざして。あとはピットからのサインに従って。いいね、これはエレーナさんの決めた作戦だ。女王の言葉を信じるんだ」
その時、ヘルメットを通して愛華の脳に直接エレーナの声が入ってきた。
『チームの勝敗をアイカに託す。ホールショットを奪え!大丈夫、アイカなら出来る』
愛華は振り返り、三列目グリッドのエレーナの様子をうかがった。
エレーナは自信溢れるようにバイクに跨がり、愛華とニコライの様子を見ていた。そして愛華と目が合うと、力強く親指を上に向けた拳を突き出してみせた。バイクに跨がったエレーナには、絶対的強さがある。愛華をここまで連れてきてくれた原動力だ。
エレーナの自信が伝わってくる。まるで愛華にまで力が注ぎ込まれるようだ。
「わたしに出来るんですね!いいえ、出来ないことでもエレーナさんが望むなら、火の中でも飛び込みます」
愛華に迷いはなくなった。
「絶対ホールショット奪ってみせます!」
それは、信頼と言うレベルではない。もう信仰と言うべきものであった。事情はよくわからないが、愛華にはエレーナが出来ると言えば必ずできると信じられた。先程の元NBAのスーパースターがバスケットボールの神様なら、エレーナはレースの女神だ。愛華はレースの女神からの信頼に、絶対応えてみせると誓った。
「俺たちも信じている。それからピットサイン見落とすな!アイカちゃんに女神の御加護を」
ニコライも同じようにエレーナを崇拝していた。最後にちょっとだけ気のきいた台詞を残し、スターシアの方へ向かった。
それから間もなく米国のレース恒例の「スタート ユア エンジン」の宣言がなされ、ライダー以外の者はコースから退場させられた。
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