4話 禍つ祓いの清め舞

 急ぎ手勢を率いて、支月しづくと武藤家の嫡男の芳克よしかつが桜花を出立する。

 だが飛田の方が一足早かった。

 支月が到着したときには、城の周りを領地として削り取り、周辺の村に誓紙を書かせていたようだった。戦になった時、この村の者に飛田は手を出さないと言う約条に、飛田の朱印をもらうのだ。そのかわり、民は飛田へ年貢を納める。


 そこで多少の混乱も抵抗もあったようだが、逆らえば殺されるだけだ。戦で何が起きたのか、その焼け跡を見た民のほとんどは、おとなしく従っただろう。来るかもわからない神宮の加護よりも、目前の恐怖が勝る。

 支月が軍を率いてたどり着いた時も、小競り合いはあった。再び戦の火種になりかねないところを抑えたのは支月の手腕だろう。


 支月は、上坂の隣国にあたる鴻山おおとりやまの城に入った。そしてその城に、碧輝と少数の兵が戻ったと報があったのは、数日後のことだ。



 緋華はすぐに、戦の事後処理と視察のため、鴻山へ向かった。

 抜けるような晴天のもと、城の前に人の姿が見える。支月と、数人の供を連れた若武者が、門前で緋華を待っていた。

「碧輝!」

 手を振ると、頷くような会釈が返る。


 緋華は警護の馬廻りを置いて、馬を駆けさせる。門の前で頭を下げる碧輝の前で飛び降りた。

 駆けつけて、碧輝の袖を握る。生きている。暖かい。背の高い碧輝を見上げると、穏やかな笑みとぶつかった。髪一つ乱れていない。怪我をしている様子もない。

 安堵で、体中から力が抜けた。崩れ落ちそうになった。

 でも皆の前で、そんなことをするわけに行かない。ただひとつ息をついて、袖を握る手に力を込めてこらえる。

 碧輝は長身を折って立礼をした。

「御屋形様には、ご足労いただき誠にありがとうございます」

 うん、と緋華は笑って、碧輝の袖を掴んだ手を離した。


 碧輝の父親は、彼がまだ少年の頃に、神宮先代を守って討ち死にしている。

 先代が遠野家中での揉め事を哀れんだのと、亡くなった碧輝の父親へ報いるのもあって、碧輝を小姓として桜花城に召していた。小姓は当主の身の回りの世話をするのと同時に、内務の手伝いも行う。常に主君の側近として勤める存在だった。

 先代は碧輝の才を認め、師をつけて養育した。同時に、幼い緋華の守り役にしたので、緋華にとっては幼少の頃からそばにいる兄のような人だった。

 今では、大事な相談役のようなものだ。彼なくして神宮も緋華も立ち行かない。


 本当は、飛びついて無事を祝いたかった。確かめたかった。

 でもやはり、それが許される立場ではない。緋華はただ、屈託なく言った。涙がにじむのをこらえて笑う。

「無事で良かった。変わりないか?」

「はい、笹田殿が助けてくださいました。御屋形様も、お変わりなく」

 ――生きていてくれた。

 やはり戦に人を使わせるのは向かない。遠くにいて恐ろしい想像をするくらいなら、自分が渦中にいるほうがいい。

 もし碧輝が命を落としていたらと思うと、恐ろしくて何も考えられなくなる。

 ただ、碧輝を助けるために、将兵が命を落としたのも事実だった。喜んでばかりもいられない。


 緋華は再び、うん、と頷く。

「わざわざの出迎えご苦労」

 緋華が来たのは、碧輝の無事を確かめるためだけではない。

 戦の報償を兵に与えること、戦場で死んだ兵を供養すること。それから、もうひとつ緋華にしかできない大事な役目がある。

「碧輝、上坂の城の近くには行けるのか」

「緋華様」

 支月が咎めるような声を上げた。だが緋華は、聞かなかった。


まがはらいに行く」

「緋華様、あのあたりは飛田の領であると申し上げたでしょう。この国境くにざかいを清めていただければ、それで民も安堵します」

「元を絶たねば、いくらこのあたりを清めても変わらないだろう。死んだ者も供養しなければなるまい」

 緋華は頑として譲らなかった。

「飛田の民とて、苦しむのを放っておけない。飛田は上坂の禍つ祓いを行ったのか」

 束の間、支月は言葉を詰まらせた。碧輝も応えない。飛田晟青が、そんなことをするわけがないのだ。己だけが逃げて、戻ってくるわけがない。

「しかし、緋華様」

 支月が止めようとしたが、碧輝は苦笑しながら言った。


「ご案内いたします」

「遠野殿」

「あのあたりは、死者と妖を恐れて飛田の兵も近寄りません。神宮の兵の遺体もうち捨てられたままです。緋華様のおっしゃるとおりに、供養せねばなりますまい」

 しかし、と支月は強く否定する。

「緋華様を危険な目にあわせるわけには参りません」

「支月。これが私の役目だ。支月が止めても、ひとりでも行く」

 神宮家の親子に振り回されてきた爺やは、厳しい表情で緋華を見た。それを苦笑して、碧輝は支月をなだめた。

「緋華様は言い出したら、決して譲られませんから。ご存知でしょう」



 結局、今なら日が沈む前に戻れるから、と支月を説得して、戦場となった城へ出向くことになった。

 旅装を解かないまま、警護の馬廻りと共に、山伝いに隣国へ向かう。

 ふいに山の木々が途切れたところに、凄惨な光景が広がっていた。

 黒く焼け焦げた木々、陣の跡、そして燃え墜ちた城。煤けた柱が折れて地面から突き出ていた。焼け焦げた人の死体が、あちらこちらに転がっている。


 あたりは黒い靄に覆われていた。煙がくすぶっている訳ではない。燃え墜ちてもう何日もたった。

 あれは、澱だ。穢れた空気が、瘴気のように滞っている。恨みが、痛みが、どこへも行けずに横たわっていた。

 その中をふらふらと歩いている影が、あちらこちらにいる。妖がこちらに気づいて、ひとつ、またひとつと寄ってくる。緋華を警護する兵たちに緊張がはしった。


「緋華様、お気をつけください」

 緋華の前を進んでいた支月が、厳しい声で言った。緋華は首を横に振る。

「大事ない。皆はここで待っていてくれ」

「なりません。ここにいるのが妖だけとは限りません」

「このようなところ、人が近寄るとは思えない。無事ではすまないだろう」

 ですが、と言い募る支月をとどめて、緋華は背負っていた剣を、鞘ごとはずして掲げた。

 神宮家に伝わる十束の剣。神居の剣と呼ばれる宝刀だった。

「禍つ払いの清め舞を行う。支月は下がっているように」

 支月は不服そうな顔だったが、御意、と頭を下げた。碧輝も、緋華の周囲にいた兵たちも、膝をついて従った。

 彼らを残して、緋華は焼け跡の中を進んでいく。


 飛田晟青は、神宮の兵も自軍の兵も火にくべて、自分と周りのものだけ逃げ延びた。当主が逃げ延びたからと言って、これだけ無意味に火を放ち、すべてを無にしたような状態では、勝敗も何もあったものではないのに。

 皇家の血を守るためには、必要な手段だったのかも知れない。だがその手立てが正しいとは、どうしても言いたくない。国と民を守るために、自分も同じようなことをしなければならないとは思いたくない。

 そもそも。戦をしなければ、こんなことにはならなかった。

 焼け跡の中、黒く残った鎧の前に立ち尽くし、緋華は目を閉じた。

 どうすれば、この不毛な争いをやめられるのか。

 いつになったら、やめられるのか。


 緋華は大きく息を吸ってから、静かに細く吐き出す。目を開いて、再びあたりを見まわした。黒い靄に覆われた焼け跡と、こちらに向かってくる妖を見据える。

 神居の剣の露を払う。銀の輝きにあわせて、すう、とあたりの空気が水をはらんだように透明になった。


 ――ひとつ ひかりのあまつたう

 禍つ祓いの数え歌をうたう。再び、神居の剣を空に向けて振るった。そのたび、日の光を浴びたかのように、毒霧のような穢れが祓われていくのが分かる。

 ――ふたつ ふゆの きよらな ゆきのなか

 澄んだ空気が流れて、また靄が晴れていく。

 ――みっつ みくらの はなまう はる

 ふわりと暖かな春のような風が、あたりを包み込んだ。


 後ろに残した護衛の兵たちが、感嘆の声を上げた。だけど緋華は、心の中で嘆息する。

 こんなもの。人を苦しめ、恨みを呼んで、妖が現われただけだ。

 起きてしまった痛みをなだめたところで、何も胸を張れることなどない。妖を生み出しているのは、神宮と飛田、その両家の行いに他ならない。


 戦を、やめなければ。争うのをやめなければ、どうにもならない。

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