5話 迫る謀略の手

 それからまた数日の後、濡縁にいる男を不穏そうに見ながら、三島は緋華の居室に足を踏み入れた。

 護衛の男はいつも寒い濡縁へ留まり、決して中へ入ろうとはしない。白蛇で再会してからの彼は、そうして緋華へ近づきすぎないよう、距離をはかっているように思えた。


 部屋には緋華の分と、三島の分と、食事の膳が用意されている。

 三島は神経質そうな眉をしかめ、物言いたげに濡縁を見ていたが、膳の前に腰を下ろした。


「急な夕餉へのお召しで、何事かと思いましたが」

 飛田晟青の母の兄だと言うが、この人と飛田晟青は果たして似ているのだろうか。思ったが、考えても仕方がない。

「桜花にいた頃は、いつも臣の誰かと食していたものだし、せっかくだから夕餉につきあってもらえないかと思って。堅苦しい評定ばかりで顔を合わせていては、込み入った話もできないでしょう」

「白蛇では、先代の頃はまだしも、この数年このようなことはありませんでしたので、戸惑っております」

「そうか。わたしは父上に、こうした席で臣と話すのも大事だと聞かされていたから、当たり前だと思っていたんだが。これから、慣れてもらわないと困るな」


 闊達に笑う緋華に真意をはかりかねたのか、明らかに三島は困惑している。箸を手にした緋華にならって、戸惑いを隠しもしないまま箸を手にする。

 大根の煮付けを口にした緋華を見て、同じように大根をつつき、居心地が悪そうに食べ始める。

 そして、逡巡してから、ようやく言った。


「武藤殿がこちらにいらしているようですね」

「二の丸に居室をお借りしているが、何か迷惑をかけただろうか」

 支月はいい仕事をしたようだった。緋華が素知らぬ顔で応えると、三島は顔を上げずに言う。


「私が神宮の御家来衆に誘いをかけて、よからぬことを企んでいるなどと思われては困ります」

 緋華は箸を持つ手を止めて、三島を見た。

「支月が失礼なことを言ったなら詫びをします」

 丁寧に言うと、三島はひるんだようだった。

「なぜ自分には誘いかけてくれないのか、とおっしゃいました」

 緋華を見て、遠回しな言葉を思いつかなかったのか、あっさりと言った。

 他の誰が叛こうとも、支月が続くことは絶対にない。それだけは確信しているから、緋華は笑った。

 ――でも、こんなに派手に動いて大丈夫なのか。無茶はするなと言ったのに。


「神宮の宿老の、武藤や木崎に謀反を呼びかける者はそういないだろうな。それなのに、支月がそのようなことを言うとは、残念だ。知らせてくれて感謝する。伏魔の城に住まうと、誰でも鬼に憑かれるのかな」

「御身辺お気をつけられた方がよろしいかと」

「御忠告、感謝する」

 それから、大きく落胆の溜息をつく。

「しかしそれでは、よからぬことを企んでいる方が他にいるということになるが」

「左様、上坂で不審な動きがあると、知らせがありました」

 身の証に、とばかりに、三島は言った。


 夏の終わりの戦で、飛田晟青が城も敵も味方も火にくべた土地。

 命を落とした宇野の先代への労として加増されたと言う。先の戦で飛田が撤退する際、神宮から奪った鴻山の城も宇野に与えられた。

 支月からは何も聞いていないが、飛田領のことである上、白蛇まで報せが届くのが送れるのは仕方がないことだろう。

 鵜呑みにはできないが、聞き流せることでもない。

「宇野殿が?」

「わたしの口からは、何とも」

 ここまで言っておきながら、三島はするりと逃げた。




 二の丸のどこかで騒ぎが聞こえて、緋華は胸騒ぎを覚えた。慌ただしく駆けていく人々の足音が聞こえてくる。

 戦時でもなければ、城内を人が走ることなどない。


「緋華姫、失礼します」

 濡縁から声がして、緋華が応じるよりも前に、襖が無遠慮に開かれた。

 その場に膝をついていた銀夜は室内を見て、三島と目が合うと、驚いたような声をあげた。

「おや、三島殿」

 そもそも取次をしたのが銀夜なのだから、三島がいることなど知っていたはずだ。だが年長の家老に対しても、銀夜の白々しい態度は変わらない。

 三島を見て少し考えるような様子を見せたが、緋華に向けて言った。


「夕餉の席で、武藤殿が倒れられたと報せがありまして」

 のんびりと告げられた言葉を、すぐに飲み込めない。

 支月が倒れた。反芻して、血の気が引いた。

 さっきの騒ぎはそれか。

 碧輝の姿を思い出す。そして戦に行ったきり、遺体となって帰ってきた両親。


 ――だから、無茶をするなと言ったのに。

 思わず緋華が三島を睨むと、三島は慌てたように首を左右に振った。咄嗟に虚勢もはれないその様子では、この男に謀略など不可能だろう。この姿自体が、偽りのものでなければ。

「三島殿、申し訳ない。また改めて」

 箸をたたきつけるように膳に置く。側に置いていた神居の剣を掴み、緋華は駆けだした。




 支月は、彼に与えられた居室で寝かされていた。支月の近侍が慌てて退いて、緋華に頭を下げる。

「支月」

 寝具の横に、力無く腰を落とす。支月は青い顔で眠ったまま、答えはない。駆けつけてきた緋華に、戦時でもないのに城内を走るなど不調法だと、叱る声があがることもない。


 藪をつついた結果だ。問題が起こることは分かっていた。

 緋華がこの同盟のために覚悟をしたように、支月も覚悟をして白蛇へやって来たと言っていた。それを緋華が咎めることはできない。

 緋華は、手に握りしめた神居の剣をじっと見る。これは、飛田に緋華の身を知らしめるのと同時、緋華に覚悟を突きつける。


「食事中に倒れたと言っていたな。毒見をさせていなかったのか」

「させておりましたが、いつどのように毒を盛られたものか、調べるのにも多少時間がかかります。毒とも限りませんし」

 悪びれる様子もなく銀夜は言う。

 無頓着な男だったが、睨み上げる緋華の視線には気がついたようだった。少しも怖じ気ずに、のほほんと言う。

「毒だとしても、御同席の方がすぐに食べた物を吐かせたようですし、毒消しも飲まれたようですから、大事には至らないと思いますが」

 そんなもの、どれほどの確証だと言うのか。


 眠る支月の方へと顔を戻し、緋華は両手を拳に握って、銀夜に言った。

「桜花にも、武藤家にも、しばらく報せがいかないようにしてほしい」

 これ以上、わずかでも神宮の家中に動揺を与えてはいけない。支月もそう望むはずだ。

「もちろん、そのようにいたしますよ。毒とも限りませんから、三島殿には口止めの上、感冒かぜのようだと伝えておきます」


 こういう人なのだと分かっていたが。それでも今ばかりは、神経を逆撫でされる。

 怒っても仕方がないのに、腹が立つ。同情してもらおうと思っているわけではないし、いたわってほしいわけではない。それでも、疑問が浮かぶ。

 この人は、怒ることがあるのだろうか。こうやって笑ってばかりいて。――碧輝も、いつも緋華の前では感情を見せない人だったが、碧輝とはまったく別ものだ。あの穏やかで優しい表情とは違う。

 飛田の副将は、まるで何事も自分には関わりのないのだと言うように笑う。人の感情も己の感情も、周りで起きている物事も、何もかもが滑稽でたまらないとでも言うように、そうやっておもしろがっているようにも見える。

 こんな男に、大事な人を殺されたなんて、考えたくもない。

 歯を食いしばって言葉を返さない緋華に、銀夜はまたのんびりと言った。


「明日、少しばかり白蛇を離れます」

 思いもよらないことを言われて、緋華は銀夜を見た。

 今、この時期に、飛田晟青の腹心が白蛇を離れるなど、考えられないことだった。

 驚きに見上げる緋華に、銀夜は変わらず笑みを返す。

「上坂で乱がありまして」

 不穏な動き、とつい先ほど三島は言っていたが。

「何が起こっている」

「上坂城の周辺の領民を、扇動した者がいるようです。領民ではない、何者かの手勢が混ざっているようで。神宮の民と諍いを起こしていると」

「宇野なのか」

「その危険があったので、領地の加増をして防いだつもりでしたが、人心とは簡単にいきませんねえ」

 相変わらずの食えない笑みに、緋華は眉をひそめた。

「……宇野じゃないんだな」

「あからさまに動いて、自分の立場を悪くする理由がありません。夏の戦を恨みに思っていたとしても、父親の不始末で主に危機を招いた結果のことです。腹を切るよりも命を捨てて主を逃がしただけのことだと分かっているでしょうからねえ。恐らくは、そう思わせたい者の仕業ではないかと」

 神宮の臣を懐柔しようとした者がいるという流言といい、明らかな謀略だ。

「他の者は信が置けませんし、銀夜が行くしかありません。晟青がここを離れれば、神宮に城を乗っ取られたと邪推するものもいるでしょうし」


 緋華を一人にするために、支月が狙われた。

 さらに飛田晟青を討とうとするならば、その腹心を引き離す必要がある。そのためには、白蛇から遠いところで乱をおこすのが手っ取り早い。

 あからさまな誘い出しだ。

「策略に乗るのか」

 きつく言う緋華に対し、銀夜はいつものように、飄々と笑って見せた。

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