2話 従う理由

 晩夏の戦のことは、まだ誰の記憶にも新しい。


 飛田晟青が戦に来るということ。それはつまり、常ならないことが起きるということ。無意味な虐殺が行われるということ。

 その残虐性は、気味が悪いくらい徹底していた。だから、誰もが恐怖する。

 今度は何をするつもりで、戦に出てきたのか。一体何を考えている。何を企んでいる。疑い始めれば切りがない。戦慄を呼び起こすだけだが、止められない。


 前哨戦から一日。自分の仮屋の中で、緋華は知らず、重いため息を落としていた。

 夜明け前に作戦の確認をするため、緋華は鎧を着たままで、碧輝とふたりで地図を見ているところだった。


「あまりお気になさらない方がよろしいかと」

 碧輝の穏やかな声は変わらない。戦場においても、血と土にまみれた空気が満ちていても、変わらない。

「うん。分かってる」

 緋華は笑って応えたかったが、失敗してしまった。頬がこわばるのが、自分でも分かる。


「飛田が何を考えているのかなど、分からないのですから。読み切れたためしはないし、気にしすぎて、勝てる戦を逃すわけにはいきません」

 碧輝の声は、心の中の強張りをひとつひとつ解いていってくれるようだった。そばにいてくれるだけで、その存在を感じているだけで安心できる。

 何がおきても、誰が来ても、彼がいてくれると思うだけで気が安らいだ。

「そうだね」


 無理に笑うのをやめて、緋華はため息混じりに応えた。やっと少し表情をやわらげた緋華に、碧輝は微笑んだ。

 そして思わずのように、言葉を落とす。

「飛田晟青じょうせいの考えが分からないのは、今回のことだけじゃない。飛田当主を継いだときから……」

 独り言のようだった。緋華に気にしないようにと言ったはずなのに、惑わせるようなその言葉は、冷静な碧輝にしては珍しいことだ。


「碧輝?」

 緋華は自分の物思いも忘れて呼びかける。覗き込むように碧輝を見上げる。

 本当に、思わずの言葉だったのだろう。碧輝は少しだけ、しまったという顔をした。それからすぐ微笑んだ。

「申し訳ありません。失言です」

 謝罪は、拒絶のようだった。笑って流してしまうつもりなのだ。

 緋華はあからさまに眉を寄せる。緋華のことだと敏感に悟って励ましてくれるのに、自分のことは決して表に出さないのも、碧輝だった。


「ずるい」

「口にするべきじゃなかった。かえって混乱させてしまうと思います」

「それでも、ずるい。自分ばかり抱え込んで」

 いつも支えてくれる人が沈んでいて、何も出来ないのは嫌だ。役に立ちたいのに、何が原因なのかいつも気になるのに、教えてくれない。気遣ってくれているのだろうけれど、頼りにならないと言われているようで、自分が情けなくなる。腹も立つ。

 だから緋華は、わざと怒って見せた。頬をふくらませる彼女に、碧輝は小さく笑う。失言した自分が悪いと、彼自身分かっているはずだ。


「では、尋ねます。神宮に仕える将は、何故神宮を選んだと思いますか」

 唐突な言葉に、緋華は怒るのをやめて碧輝を見た。話をそらそうとしているのかと思ったが、どうやら違う。

「多くの神宮の臣下は、初代の時に助けてくれた者たちだと聞いている」

「そうです。飛田家に追われ、生家を滅ぼされ、身一つしか無かった御初代に従った者たちが中枢を担うようになりました。彼らが御初代に従ったのは、何故だと思いますか?」

「禍つ祓いの血の正統、初代の人柄。そういう彼へ従う者たちを見て、力を推し量りついてくる者。それから、飛田家への憎しみ」


 神宮を支えてくれる主な三家もそうだ。

 初代と幼い頃から親しかった中原家。

 初代を殺すためにやってきたにも関わらず彼を認めて従った木崎家。

 そして有力な貴族で飛田と並び称されていた武藤家。

 神宮初代を支えた名高い軍師たる武藤芳月むとうほうげつは、最初の乱で一族を滅ぼされて飛田を憎み、追われながら暗殺を企てる中、初代と出会ったという。


「続く戦乱の中、神宮に破れ、飛田に滅ぼされた者たちが神宮を選んだのも、同じ事だろう。己が従うに足る『力』を認めて、選んだ」

 飛田と比べて神宮の正統を、利を、力を認めて従った。

「でも、長く従ってくれている者たちは、「神宮」への忠義を持ってくれていると思う」

「御名答」

 碧輝は微笑んで言う。

「それは、今も変わりません。この戦乱の世、武将たちは、己の上に立つ者の力を常に図っています。力がなければ奪われる。飛田は特にその色が濃いのです。飛田晟青もそれを分かっているはずだと、俺は思っています。――だから、彼が当主を継いだとき、何か問題が起こるだろうと、先代も見ていました」


 どういう経緯いきさつがあろうとも、己の血以外には何も持たなかった神宮初代を助けた神宮の古い将と、実利と能力を重視する飛田では、あまりに気風が違う。

 だから、緋華が跡を継いだときと、飛田晟青が跡を継いだときでは、幼い主君が起ったという状況でも、あまりにも様相が違ったはずだ。


 緋華には守ってくれる人がいた。だが、飛田は。十二歳だった飛田晟青の隙を突こうとする者の方が多かったのではないだろうか。

 血の正統は変えられない。だが幼い主を操り、権をほしいままにすることならできる。


 神宮の先代は、飛田当主の死を耳にして、飛田の家臣たちが行動を起こすだろうとみていた。おおっぴらに動いて刺激しないように気を遣いながらも、内乱に備えていたのだ。

 だが、それは起きなかった。


 飛田晟青は、庇護者にもなり得た外祖父を殺し、身内であっても逆らえば許さないと示してみせた。自分の意を通すためなら、なんであろうとやってみせるのだと見せつけた。

 無謀で我儘ともとれる行動だったが、飛田の臣が黙ったのは事実だ。


「人は彼のことを、暗愚だと言います。非道で横暴で、民のために何もなさないどころか、血の一滴までも搾り取るようにしてきた人です、当然でしょう。人々の言うことは間違いないのかもしれません。でも、それなら何故、彼は今まで無事でいられた?」

「禍つ祓いの力のせいではないのか」

 飛田晟青が殺されないのは、ひとえに副将がいるからと言われてきた。彼の乳兄弟である副将は、この戦乱の世において、名の知られた猛将だった。

 だがもちろん、それだけではない。


 禍つ払いの皇家の血の正統。

 彼はその血を持つ誰よりも、禍つを祓う力があると言われている。国や民を苦しめる彼は、滅多に国を清めたりしないが、その力を使えば、かつてないほどに澱みは祓われ、妖は近寄らなくなると言われていた。

「禍つ祓いの力が確かならば、人は彼を失いたくないはずだ。その力を質にして、彼は人を従えているのでは」

 言いながら緋華は、自嘲する。それは皇家の血ならば、神宮も同じことではないか。力を盾にして人を従えている。

 ――だが神宮は、民のため、国のためにあろうとしてきた。それが、力を与えられた者の定めだと。そうであるべきだと。


「ですが、緋華様。それは彼に好き勝手させる理由にはなりません。生きてあればいいのですから」

 極端なことを言うならば、禍つ祓いの皇家の血筋も、命さえあれば役目は果たせる。捕らえて手足を奪ってでも、口があれば清め歌を謡うことはできる。家中の争いで、幽閉される者は決して珍しくはない。


 だが、これだけ無茶なことをしているのに、彼は排除されていない。何故家臣は謀反を起こさない。

 ――否、そういうことが、皆無だったわけではない。ことごとく鎮火されてきた。謀反を企んだ者に対して飛田は容赦がない。親戚縁者に至るまで、処断する。民の一揆も副将の手によって軽くあしらわれる。

 だから、副将が居るからこそ彼が今まで生き延びているのだと、まことしやかに言われていた。


「飛田の領土は荒れているし、謀反の嫌疑をかけられた臣は、次々に殺されている。飛田は少しずつ力を失いつつあります。ですが彼が本当に無能なら、家臣が彼の力を認めるわけがありません。もうとっくに幽閉されたり、殺されていて不思議はありません。それを偶然に生き延びてきただけだったとして、本当に彼が好き勝手にやっているのならば、飛田はもっと力を失っているはずなんです。けれどそういう訳ではない。そうは見えない」

 民を踏みつけ搾取し、ただ苦しめている。それならば、上にいる者は富んでいるだろう。

 だが飛田家臣は、私腹を肥やすことにも、軍を鍛えることにも成功しているようには思えなかった。


 彼らは神宮と戦をする。

 領内で一揆が起きて、それを収める。

 飛田は臣下に謀反の疑いをかけ、別の臣に命じて討たせる。

 いずれにしても金が動き、米が必要になる。兵は死んでいく。だからこそ民は生きていけないほどに搾取され、苦しんでいる。

 飛田を恨んでいる。乱が起きる――もう、それすら絶えてはいるが。その繰り返しだ。

 飛田の臣はそういったことで浪費し、飛田家に搾取され四苦八苦している。

 家臣たちは、崩れていく飛田家の内側で好き勝手に振る舞い、機をうかがっているだけなのかもしれないが。


「それに、飛田晟青には子息がない」

 常に側にいる副将のこともあり、飛田晟青は女に興味がないのだとも言われている。衆道は武士のたしなみとされるが、それと妻を娶るのとは話が別のことだ。

 飛田は先代までの跡目争いの末、血族を失った。跡継ぎがいなければ飛田は滅ぶ。

 神宮には緋華がひとりきり。飛田にも、飛田晟青がひとりきり。


「計画的に自分の力を削いでいっているように聞こえるんだが」

 まさか、そんなことがあるのか。緋華の言葉に、碧輝は首を傾けた。肩にたらした漆黒の髪がゆれる。

「俺はそう思います。彼は、家臣たちに気取られないように気をつけながら、少しずつ力を削いでいるように思えるんです。度合いがすぎれば、無能と決め付けられ、臣は結束して彼を捕らえるでしょう。だけど、そうはなっていない」


 坂を転げるのがあまりにもゆるやかで、内にいる者は気づかない。

 緋華も、強硬に戦を仕掛けてくる彼らのことを無謀に思っても、まさか内から食われているなどとは思わなかった。だが違和感を禁じえないのだと、碧輝は言う。

 皇家の血を引く、飛田という名。それが纏う衣装は豪奢だ。だが、その内は。


「何故そんなことを」

 理由が分からない。本当にただの愚者で、好き勝手にやった末に国が滅ぶというのならまだしも、意図して滅ぼそうとしているだなんて。そんなことをして何になる。

「私利私欲で、国を乱しているだけじゃないのか」

 何を考えているのか、まったく分からない。

「だから、かえって混乱すると言ったでしょう? でも多分、俺の考えすぎです」

 碧輝は静かに息をつく。それからいつものように、穏やかに微笑んだ。その笑みは、たいしたことじゃないんだと言っている。


 昔から、この笑顔にごまかされているなと思う。碧輝の懸念も、本当の気持ちも。

 けれどいつも本当にごまかされているのは、ともすれば挫けそうになってしまう緋華自身の気持ちかもしれない。碧輝の笑みを見ていると、大丈夫だと思える。ごまかしてくれているのだ、彼は。


「とにかく、気にしすぎないように。上の空で戦場にいたら、命を落とします」

 夜が明けたら第二戦が始まる。昨日のように半端なことにはならないだろう。神宮側は今日で勝敗を決してしまうつもりだった。――飛田晟青が出てきている以上、何が起こるか、分かったものではない。早く片をつけてしまわなければ、兵の士気にも支障さわりが出る。

「分かってる。無茶はしない」

 笑ってみせると、碧輝は答えるようにうなづいた。


「緋華様、私利私欲というのなら、俺も同じです」

 碧輝の声は穏やかだった。私欲などとは無縁の、落ちついた笑みで言った。

「俺は最初から、私欲でしか動いていません」

「碧輝が?」

「最後まで、私利私欲でしか動かない」

 人の欲の形は、必ずしも重ならない。その結果が呼ぶものも。

「あなたを守る。それが俺の欲です」

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